第259話 医者の領域
アインの問題発言に、戦場が凍り付いた。
これは空気の話であって、物理的な話ではなかった。だが直ぐに物理的な話にもなった。
「――ッ!」
頬を赤く染めた麗華によって、空気を上回る冷気が発せられ、戦場は言葉通り氷河期のように冷たくなった。
地面に倒れているレオンは完全に凍り付いたが、アインとその隣に居るシュペンは霜一つ付いていない。麗華が狙いと出力を間違えるとは思えないため、アインかシュペンのどちらかの力によって、防がれてしまったと考えるのが妥当だな。
「ごめんごめん、ユニコーンとして言いたくなっただけで、特に他意はないんだ。怒らせたなら、謝っておくよ」
「死んで」
麗華のとても冷ややかな声。
掌から生み出された氷は、その声以上に冷たい。
「なるほど、これが【氷結】と【絶氷】による世界最強クラスの氷属性か」
巨大な氷塊。先端が鋭く尖り、物量でも貫通力でも規格外の攻撃だ。
しかしアインは焦るどころか、冷静に分析している。医者として働いていたのは、情報収集のためだったのだろう。その証拠に、麗華が使用したスキルを正確に言い当てている。
「良い攻撃だね。私でも怪我しそうだよ」
そんな言葉とは裏腹に、行動はとても冷静だった。
一切の焦りを見せることなく、右手を突き出した。氷塊の物量に対して、とても心もとない防御方法。だが隣に立つシュペンが一切焦っていないことから、その防御で十分なのだろう。
「“聖域”」
その言葉をアインが口にすると、目視可能な半透明のドームが、シュペンとアインのことを覆った。直ぐに氷塊がぶつかる。半透明のドームは揺らぐことすらなく、ただその場に存在し続けた。
対する麗華によって生み出された氷塊は、半透明のドームに触れた傍から、その膨大な質量が分解されていった。
「――っ」
その光景に、麗華も、江梨子も、当然俺だって驚きが隠せない。
それがスキル由来の魔法であり、この世に存在していなかった物であるというのは、冒険者であれば誰もが分かることだ。
それがスキル由来で、いつかはこの世から消えようと、一瞬で消えるなんて事態はあり得ない。それもあの質量ともなると、消失まではかなりの時間を要するはずだ。だというのに今回は触れた傍から消えている。驚かざるを得ないだろう。
「窪田くん。以前君に伝えたように、今の私は患者の味方だ。少なくとも、この要塞内から出るまでは、医者という職を辞めるつもりはない。まあもうすぐ辞めるけど……とにかく、腕を失った君にアドバイスをあげよう」
「……アドバイスだと?」
「四肢の欠損を治すのは、私でも難しい。でも一人だけ治せる人が居る」
「……まいちゃんのことだろ」
「そう。日本の聖女様だよ。彼女の居場所を教えてあげようと思ってね」
「……何が目的だ」
「はぁ、何度も言っているだろう。この要塞における私は医者であり、患者の味方だ。だから患者である君の味方……とでも言っておけば、納得するかい?」
「正直に言うつもりはないってことか」
豊臣の目的は世界の王に成ること。
だがそれに付き従う魔人たちの目的は、あまり分かっていない。個々が人のように思考を持ち、野望を持っているとなると、利害の一致で付き従っているだけなのかもしれない。
だが目的が分からないと、今後の動きも全く分からなくなってしまうから、できるだけ情報を引き出さなければ。
「情報を引き出したいみたいだけど、私が君に話せることは、聖女の居場所だけ。それ以上のことは、吐くつもりはないよ。医者にだってプライベートは必要だからね」
「……それで、まいちゃんは何処に居るんだ」
「旧日本政府のおける区分で表現するなら、京都府。もっと詳しく言うのであれば、京都御所に拠点を置いているよ」
「京都御所……」
「じゃあ私たちは帰るから、この要塞は好きにしなよ。まあレオンだけは貰うけどね」
「させると思うか?」
聖域の外、アインの背後に浮かぶ江梨子の姿。
その姿はとても心強かった。
「佐藤江梨子、君の力も知っているよ。【魔導之王】。全ての魔法に適性を得る、魔法系最強のスキルだ」
「知っているか? 知識があっても、どうにもできないのが最強だって」
吹き荒れる突風。
聖域内に居るアインとシュペンの髪が揺らいでいた。出血。江梨子によって生み出された風は、聖域という名の結界を超え、内部の二人にダメージを与えていた。
「やはり自然の力を介する攻撃は、どうにもできないようだな」
「まあ私の防御も万能ではないからね」
「レオンには、色々聞きたいことがあるんだ。渡すつもりはない」
江梨子は突風を発生させたまま、膝を付いて俯いているレオンの元へと走った。
「殊勝な考えだ。でもこちらとしても渡せないんだよ」
アインがしゃがんだ。
嫌な予感がする。左腕を失っていようと、動かなければならない。
「【六道】」
代償が降りかかって、戦えなくなることを覚悟して、【六道】の力を使用した。
「“畜生道”」
“畜生道”に内包される権能は、畜生の名の通り、動物に関する力を使用すること。今回はハヤブサのような翼を生やし、江梨子の元へと一瞬で移動した。それは地を走る何倍ものスピードが出ている。
「――ッ!」
江梨子の身体を掴み、そのまま進んだ。
刹那、江梨子が走っていた進路上に、円錐状の杭が生まれた。もし俺が江梨子のことを引っ張っていなければ、その杭によって身体を貫かれていただろう。
「だから君は私の患者じゃないし、容赦はしないよ。まあ邪魔をしないのであれば、こっちから手を出すつもりもないけど」
アインとシュペンは聖域ごと移動している。
不動ではなく、移動もできる結界なのか……今の俺たちではどうにもできないな。
「じゃあね、窪田くん。また会うときは、医者と患者としてではなくて、敵同士になっちゃうけど」
「……クソ医者との関係が切れて、清々する」
「ふっ、それは残念だよ」
未だに俯いているレオンの足元に、黒い靄が発生した。
それはまるで、豊臣が使っていた【転移靄】のようであった。
「じゃあお大事に」
レオンとアイン、シュペンが靄に呑まれ、その姿を消した。
残ったのは荒廃した街と、“王の軍勢”から解放されて地面に倒れる人々、そして勝者とは言えなくなってしまった俺たちだけだ。
あと数話で皇居編が終わります。
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