第229話 鼻が鼻がァ
全身を入念に洗う。もう臭いなんて思われるのは嫌なので、いつも以上に身体を擦りあげる。以前までの身体であれば痛くなるレベルの擦り。これだけやれば、流石に臭いも落ちてくれるだろう。
そんな確信を基に、体に纏っている泡を洗い流す。流れ落ちる泡は、俺の中にある死した囚われていた人たちへの罪悪感と共に、俺の身体を離れて行った。
着替えを済ませて風呂場を後にすると、険しい表情をしている三人の姿が見えた。
「揃いも揃って険しい表情をしているが、なにかマズイことがあったのか?」
「……悟、麗華の居場所が分かったぞ」
「つまりそれが顔を険しくする原因ってことか?」
「そうだ。麗華の居場所はレオンの手元。つまり敵のボスに囚われている」
なぜなのか、麗華の実力は江梨子に劣れど、世界でも上から数えた方が速く、日本ではトップと言っても過言ではない力の持ち主のはずだ。確かにレオンは強大な力を有していたが、それでも麗華が簡単に囚われるとは思えない。
江梨子と同じように、周囲への被害を考えて、手を出すことができなかったのか、それとも何かほかの理由があったのか……どちらにしてもただでさえ厳しい戦いだったのが、さらに厳しいものへと変わってしまった。
「レオンとの戦いでは、麗華の力は期待できないってことだな」
「そうだ。私やロジャース、そこの信綱と悟、そして従魔たちで戦うしかないだろうな。レオンやこの要塞内では精鋭に位置する親衛隊を相手にして……」
「じゃあ、なおさらたぬ吉たちを探し出さないとな」
麗華を戦力に入れて考えても、勝てるかどうか分からない相手だというのに、ウチの従魔たちも居なくなったとなれば、かなり厳しい戦いになってしまうはずだ。
「俺と江梨子は従魔を探しに行くとして、二人はどうするんだ?」
「作戦を始めるまでは、ここから離れるつもりはない」
「……」
信綱は言葉で返してくれたが、ロジャースは指を地面に差すだけで、相変わらず無口を貫いていた。ただその行動的に、俺たちに付いて来るという意味ではないだろう。
「じゃあ行ってくる」
「では【シンクロ】を頼むよ」
「ああ、【シンクロ】」
従魔たちと視界を繋げた。
暗い。だが何も見えないほど暗いというわけではなく、ダンジョンの中のような淡い光が漂っている。
「この要塞内にあるダンジョンって、【皇居ダンジョン】だけなのか?」
「変革以前であれば、【皇居ダンジョン】だけだな。しかし変革後に発生している可能性は切り捨てられないため、何とも言えないというのが、私の答えになる」
「なるほどな……」
「もしかして従魔の視界が、ダンジョン内に似ているのか?」
「ああ、何となくだが、そう思ったんだ」
この視界がダンジョンであるという確証はない。
しかしダンジョン以外の場所だとしたら、全く心当たりのない場所になってしまう。だからダンジョンである方がありがたいのだが……。
「取り敢えず地下を探すか」
「信綱、この辺りでマンホールはあるか?」
「少し離れたところにあるが、人通りが多い。誰の目にも留まらずに降りるのは、かなり難しいだろう」
「……じゃあ夜か」
「ではそれまでの間、ここで休むとしよう」
信綱は親切心からコーヒーを渡してくれた。
まずは匂いを楽しむ。やはり監獄の臭いで鼻がやられてしまっていたようで、コーヒーのいい香りが鼻を刺激することはなく、ただ鼻の中が温まるだけであった。
「江梨子、鼻の具合はどうだ?」
「ん? ちゃんといい香りがしているが、本当は違うのか?」
「いや、いい匂いで合っていると思う。俺の鼻がイカレて、コーヒーの香りが一切得られなくなっているだけだから、江梨子の鼻は正常で合っているはずだ」
「そうか、であればよかった」
どうして俺の鼻がイカレて、それ以上の時間監獄に居た江梨子の鼻は壊れていないんだ。理由が分からない。
そして、鼻の機能の壊れは、治るんだよな!? 鼻が壊れると、食事も十分に楽しめなくなるぞ……。
「大丈夫だろう。あの臭いに慣れたように、きっと時間が経てば治るはずだ。だからそこまで落ち込まなくていい……はずだよ」
「……そうだな」
しょんぼりとしているのが顔に出てしまったのか。
ただ鼻が壊れただけで、しょんぼりとしてしまうなんて、なんだが弱々しく思われてしまいそうで嫌だな。
「……パンケーキも頼む」
「分かった」
用意されたパンケーキはフワフワとしていて、上に掛けられた蜂蜜が輝いている。甘みの暴力。見るだけで味の想像ができるのに、舌に乗せるまでは、きちんと味がするかどうかは分からない。
「――」
ごくりと唾を飲む。
そして覚悟を決め、パンケーキを一口……甘い。良かった。嗅覚が死んでも、味覚が死んだわけではなかった。匂いで味を付けているような、カキ氷のシロップなどは、味わえないのかもしれないが、普通の料理であれば、ある程度の味わえることが分かったので、随分とホッとした。
次回から、従魔探しが始まります。
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