第210話 名前の言えないアイツ
江梨子や従魔たちの食事が終わると、遂に俺たちは要塞へと本格的に目指すことにした。駆けるわけだが、当然一般人でしかない女は足を引っ張る。だから竜馬の背中に乗ってもらうことにした。
先導は毎度の如く江梨子。俺たちはその背中を追って、走っている。速度で言うと、麗華やたぬ吉、タマや亀之助を抱えた悟空が中盤辺りで、その後ろに女を乗せた竜馬が走って、最後尾の殿とも言える立ち位置は俺が務めている。
子の陣形が最も安定した陣形だと思うが、長く続けることはできない。この陣形で皇居要塞に近付けば、発見される確率が高くなってしまう。そのためこの陣形を取れるのは、皇居要塞からある程度の距離がある場所までだ。
「江梨子、何処までこの陣形で行く?」
「……これは感覚の領域でしかないから、その場に行かなければ分からない。そもそも敵の索敵範囲のサイズが分からない以上、こちらで詳しい場所は言えないだろうな」
「てことは、この陣形は賭けでしかないってことか」
「そうだ。不利な攻め手である以上、勝利するにはある程度の運は必要。自分や私たちの運を信じろ」
「……ああ、そうだな」
運。どんなことにも、結局は運が絡んでくるってことは、俺も分かっているつもりだ。未来を視ることができるスキルでも所持していない限り、細かいところでの動きは運が絡んでくるだろう。
そんな運だが、俺は人よりも持っていないと思っている。
そう思っている一番の要因は、あのクソ過ぎる黒過社に入社してしまったことだ。まあ就職活動で何社も落ちていたから、他の所でもブラックだったんだろうが、犯罪に関与しているところを選んでしまったのは、運が悪かったからだろう。
「もう少しこの陣形で進める」
「分かった」
江梨子の指示に従い、俺たちは陣形を保ったまま、荒廃した埼玉県の道を駆け抜けて行った。
魔物との接敵は、東京に近付くにつれて増えて行ったが、そこまで強い魔物と出会うことはなく、長時間足を止められることはなかった。
バターご飯を食べてから、大体一日分程度駆けて来た。人の域を超えた身体能力を持つ、俺たちによる全力のダッシュは、一瞬で埼玉県を終えた。と言っても詳しい県境は誰も分からなかったため、ここが埼玉県なのか、東京都なのかは分かっていない。
そして東京に近付いたということは、敵の索敵範囲に近付いたということ。歩みを緩めざるを得なかった。
「前回東京入りした時も数が多かったが、今回は一段と多いぞ」
「さらに要塞へと人が集まったんだろう。あそこから離れたところの魔物は間引きされずに、ダンジョンから湧き出すたびに増える。つまり時間を掛ければ掛けるほど、既存のコミュニティが強くなるということだ」
「……キツイな」
多分江梨子の考察が正しいのだろう。
前回に来たときは、多少の人の気配は感じられた。しかし今は全く感じられない。世紀末と化した世界を生きられずに死んだのか、あの要塞コミュニティに呑まれたのかは知らないが、人が減ったというのは確実だ。
人が減っても、ダンジョンから魔物は湧き続ける。それが人口密度の低い山や海でスタンピードが起こりやすい原因であり、理由だからな。
「はぁ、あまり音は立てたくないんだが……」
俺たちの歩みを遮るように、前方に立っている魔物の群れ。
そいつらは四足歩行でありながら、背中にも手を生やしている異形の存在、四足六手だ。名前の通り、背中から生えている腕は六本あり、その全ての掌には口がある。
そんな四足六手が十体いる。単体ですら厄介な魔物だというのに、それが十体……簡単には倒せない、というのが江梨子の見解だ。
普通にこんな魔物は知らなかった。当然だろう。冒険者になってから一年も経っていない、初心者でしかなかったんだからな。
「“――”」
突風が吹き、四足六手の身体が宙へと舞う。
空中でジタバタと暴れる四足六手たちは、名前も出したくないあの昆虫と同程度の嫌悪感を抱く存在と化していた。
「キモっ」
誰の口から漏れたのか、しかしこの場に居る全員の総意であることに、違いはないだろう。
「――」
鳴き声なのか、何処かを擦り合わせた音なのか、詳しい生態が分からない以上、その音の正体については分からないが、とにかく不快感を煽る音を四足六手が鳴らした。
咄嗟に耳を塞ぐ。それは俺や麗華、突風を引き起こしている江梨子も例外ではない。逆に耳を塞いでいないのは、うちの従魔たちと女だ。
「あっ」
反応が遅れたのだろう。
女が不快そうな顔をしながら、遅れて耳を塞いだ。
ブーンという深いな虫の羽音。
それが遠くから聞こえて来る。当然、小さな虫が出している音ではない事だけは確かだ。
「……いやな予感がするのは、俺だけか?」
「何を言っていたのか分からないが、私も同感だと言っておこう。これが届いているのか、分からないがな」
俺の声は届かなかったらしい。
しかし江梨子の声は鮮明に聞こえて来る。空気の流れを操って、音を届けて来たのだろう……もしくは俺の聴覚が異常に良くなったかのどちらかだ。
俺たちが抱いた嫌な予感は、見れるはずのない未来を見通し、これからやってくる存在を、何となく当てていた。
「――」
四足六手のことを名前も出したくないあの昆虫と表現したが、その本家が空を飛んでやって来た。
黒いそれは空を覆い、曇天だと錯覚してしまう空へと変える。だが実際に空を覆っているのは、ツヤリと輝いていながら嫌悪感しか抱くことのできない、人類の敵と言ってもいい虫だ。
それが四足六手の比じゃない数で群れている。地獄。そう表現しても足りないくらい最悪の光景だ。
最後に出て来たゴ――は、人型ではなく、あの姿をそのまま大きくしたような姿をしています。なので「じょうじ」と言ったりはしません。
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