第208話 慣れない作業
手に火を灯し、薪へと移す。
戦闘で使うような火力にはしていないため、薪が一瞬で燃焼し切ることはなく、料理に使いやすい火力で燃えてくれた。
用意したのは、飯盒に米、そして今となっては貴重品となってしまったバターだ。これはそこら辺の店から盗ったやつではなく、江梨子が世界の変化以前に購入していたかなり高級なバターだ。
「はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても蓋取るな」というように、最初は弱火で飯盒を熱していく。
「……へぇ、炊飯器じゃなくてもできるんだぁ」
「小学校や中学でやらなかったのか?」
「そんなことやるわけないじゃない」
……これはジェネレーションギャップなのか?
少なくとも、俺は中学校の頃に宿泊学習として自然の家に行って、飯盒で米を炊いたぞ。周りの学校とかも同じように、自然の家に行っていたらしいから、ウチの学校だけの特色だったわけではないはずだ。
日本の治安が変わったせいで、そういった行事がなくなったのか? もしくはこの女の通っていた学校が、特別そういった行事がなかったのか……どちらにしても飯盒ができないなんて、今後の生活に支障をきたすはずだ。
「なら手伝ってもらうぞ」
「えっ、なんでよ」
「当たり前だろ。この程度もできないようじゃ、この世界では生きていけないぞ」
「……分かったわよ」
女に任せる、と言っても一度火を付けてしまえば、特にすることはないので、失敗することはないだろう。念のために、隣で見続けるため、失敗する可能性はゼロに等しいと言える。
無心で焚火を見つめていると、急に女が動き出した。
動き出したと言っても、手を伸ばしただけだが、止めないわけにはいかない。手首を掴む。その瞬間に、前を向ていた首が、グリッとこちらへと向く。ホラー的イメージを感じる動きだったが、表情にこれといった怖さは感じられない。
「何してんだ」
「どのくらいなのか、開けてみないと」
「……『はじめちょろちょろ中ぱっぱ赤子泣いても蓋取るな』って言葉は聞いたことないか?」
「なにそれ?」
「はぁ、とにかく開けなくていい。タイミングは俺が教えるから、変なことはするな」
「……それって私がやる意味ある?」
「経験したのと、したことないのとでは、全然違うだろ」
やっぱりこの女は、どこかの名門私立に通っていたんじゃないか?
そんな説が、俺の中では有力な説へと変わっていく。しかし考えが確信へと変わろうと、この女への対応を一切変えるつもりはない。
名門の出でも、こんな世の中になっては意味のない称号だ。こんな世で重視されるのは、己が技量。戦闘でも生産でも、何か秀でたものがなければ、優遇されることはない。
「ほら、火を強くしてみろ」
「???」
こっちは火吹き棒を手渡そうとしているのに、訳が分からないと言わんばかりに首を傾げ、全く受け取ろうとしない。
焚火に対しての知識がなくても、空気を送ると火が強くなるのは、小中で習う義務教育内のはずなんだが……やっぱり名門私立生まれではないのか?
名前も知らないし、生まれも知らない、年齢も知らなければ、どんなスキルを持っているのかも知らない。やはり切るべきなのでは……という思考が頭をよぎるが、切って捨てるメリットよりも切った際の精神的ダメージの方が大きいと思うため、切り捨てることはできない。最低でも、裏切られるその時までは……。
よくよく考えてみたが、こいつに裏切られたところで、俺たちに困ることはない。特に情報を渡したわけでも、貴重な物資を渡しているわけでもない。食料はどうなんだと言われてしまったら、そこまでの話にはなるのだが、今はまだ、食料も重要物資とまでは言えないだろう。
ここまでの思考に要した時間は、数字にして一秒未満。色々と考えていたが、今必要なことは、この女に火を吹かせること。それ以外の思考は切り落としていい。
「ほら、こうやって火に息を吹きかけて、火力を調整するんだよ」
お手本をやってみせる。
火吹き棒を使って、軽く息を吹きかけた。すると焚火が赤く染まり、見るからに火力が強くなった。しかしそれは一時的な物であり、直ぐに火力は元に戻ってしまう。
「こういう風に息を吹き込めば、火力を変えられるから、やってみろって」
「……」
女はジト目で顔を見て来る――顔というよりも、少し下。口元にある火吹き棒だ。何となく言いたいことが分かった。
「俺が口を付けたのが嫌なら――ほらこれなら良いだろ」
わざわざ開封前の新品を取り出し、女へと手渡す。
これを拒否されたら、火を吹くという労働が嫌だということになる。
女の手が伸びる。火吹き棒を掴んだ。
そして焚火へと近付き、火吹き棒を構えた。ここまでは順調だ。あとは息を吹き出せば、基本的な作業はできるようになる。
――ふぅ
吹いた。焚火の火力が強くなった。
これで米は完璧に作り切れるだろう。俺が眠ったり、タイミングを見逃したりしない限りな。
次回は食事と要塞へと向かい出す話です
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