第194話 東京入り
アリの巣で麗華を奪還してから一週間の時が経った。
本来であれば一日の休養期間を設けて、直ぐに皇居を目指すはずだったのだが、色々と盛り上がってしまい、一週間も時が経ってしまった。しかしこれまでの非日常が嘘だったかのように、とても平和な一週間を過ごせたため、俺たちは万全な状態を保てている。
「じゃあ今度こそ目指すとしようか、悟、麗華。準備はできているか?」
「ああ、大丈夫だ」
「大丈夫」
俺たちは千葉を後にし、東京へと足を踏み入れた。
県境というものは、世界の変化に伴い形骸化した存在となったはずだが、千葉から東京へと足を踏み入れた瞬間、言葉にはできない違和感を感じるようになった。
それがプラシーボなのか、実際に違和感の正体が存在しているのかは分からないが、警戒するに越したことはないだろう。
「……東京に入ったからと言って、皇居はまだ先だ。走るぞ」
「ああ」
走る。と言っても江梨子は風の力によって浮遊して進み、麗華は地面を凍らせて滑り、俺は竜馬に騎乗して進んでいるため、実際に走っているのはウチの従魔たちだけだろう。しかも亀之助は悟空に抱えられているため、走っているのはたぬ吉、タマ、悟空、竜馬の四人しかいない。
こうなったのは、体力の問題とかではない。普通にこれが一番速く進めるから、こういった体制になったというだけの話だ。
「……止まれ」
江梨子の声に、俺たちは足を止めた。
前方、数百メートル先。豆粒のようなそれだが、纏う殺気はこちらまで十分に届いている。
それを発しているのは巨大な猿。【魔境群馬ダンジョン群】の三十四階層で戦った猿魔と酷似した見た目をしている。だが違う点があるとすれば、数百に上る猿の取り巻きを連れていることだ。
「あれは猿魔で合っているのか?」
「ああ、あれは猿魔だ。取り巻きを連れてはいるが、猿魔で間違いはないだろう」
「――っ動いた」
麗華の声に、俺たちの気は引き締まる。
ボスであろう猿魔は動いていないが、数百の取り巻きたちが建物の影に隠れ、散開していった。開けた場所に立っている俺たちは圧倒的に不利な状況だ。
「炙りだす」
麗華が腕を振るった。
氷結。東京の中では比較的田舎で、そこまでの高層建築が建っていないとはいえ、巨大な建物やそれが崩れた瓦礫の山がいくつもあったはずだが、その全てが一瞬にして凍り付いた。
当然、隠れていた猿たちも巻き込まれ、凍り付いている。しかし百体以上は抜けているだろう。まだまだ油断はできない。
「――【シンクロ】」
――パキッ
そんな微かな音を、俺の耳は捉えた。
反射的に【シンクロ】で借りたのは、亀之助の“水弾”だ。名の通り弾丸のように進んだ水の塊は、醜い猿の悲鳴と共に弾ける。
俺ができることは、今のように一体一体倒していくことだ。たった一体されど一体。ゼロよりも一の方がいいに決まっている。
そんな俺の行動がヘイトを買ったのか、猿たちが一斉に飛び出してきた。狙いは俺。麗華には目もくれず、俺だけに殺気を浴びせて来ている。
「私を無視するなんて、酷いじゃないか」
吹き荒れる突風。
猿たちの軽い身体は簡単に巻き上げられ、宙へと舞った。鋭い不可視の刃が混じった風に呑まれた猿たちの身体は、死を迎えるまで切り裂かれていく。
ゼロ。数十秒前までは数百居たはずの取り巻きの猿たちは、麗華と江梨子の手によってゼロまで減らされた。
「……遠くてよく分からないけど、きっと怒っているんだろうな」
遠すぎて黒い小さな粒にしか見えなかった猿魔。しかし今の猿魔は、若干赤みがかっているように見える。
消えた。頭で理解するよりも速く、俺の身体は動いていた。抜剣。何もない空間へと振り抜いたはずの剣は、急に現れた猿魔の拳を受け止めていた。
数歩分、後ろへと押されてしまう。だがそれだけで、これといったダメージは負わなかった。
そして俺は一人じゃない。もっといえば格上である麗華と江梨子という人類の上澄みも上澄みが仲間になっている。
「“――”」
「“氷槍”」
攻撃を受け止められたことに対し、目を見開きながら驚いている猿魔の身体へと、風の刃と氷の刃が突き刺さった。その強烈な一撃は、猿魔の強靭な肉体であろうと簡単に突き破り、猿魔から命というものを奪い取るに至った。
崩れ落ちる猿魔の巨体。砂埃が舞う。
これは豊臣の手によって世界が変わった時から思っていたことだ。
「なあ江梨子、スタンピード下の魔物は魔石にはならないのか?」
いつからか魔物を倒しても、その死体が消えることがなくなっていた。ダンジョン内であれば、倒せば魔石やドロップアイテムを残して消えていた。
だが【魔境群馬ダンジョン群】でスタンピードが起きて、出てきた魔物たちが江梨子に屠られた時は、魔石とドロップアイテムになっていたはずだ。
「……魔物たちも適応したのだろう。地上を生き残る上で、死体を残すことの重要性に」
「……厄介過ぎるな」
既に地上から魔物を絶滅させるのは、不可能なレベルまで来てしまった。そんな状況下で、魔物の格としての進化ではなく、生物としての進化が起きる……想像したくもない。
「だからこそ皇居を奪還し、確かな生存圏を作り上げる必要がある」
「……そうだな。今は皇居のことだけを考えよう」
「これどうする?」
麗華が指さすのは、一向に消える気配のない猿魔の死体だ。
猿魔は強力な魔物だ。このまま放置しておくのは、なんだか勿体ない。
「麗華、氷漬けにしておいてくれ」
「分かった」
一瞬で猿魔の氷像が出来上がった。
これで腐ることはなくなったが、持ち運ぶにはデカすぎる。江梨子の空間拡張鞄であれば入るだろうが、これを他の物と一緒に入れるのは、衛生的に大丈夫でも生理的に無理だ。
「……私が持っていこう」
「そのサイズの空間拡張鞄はかなり貴重な物のはずだが、いくつ持っているんだ?」
江梨子が取り出したのは、新品の空間拡張鞄だった。
ちなみに俺の疑問に対して江梨子は、はぐらかすだけで詳しい数は教えてくれなかった。無理に聞くことはしない。理由? 怖いから。
【第3章 皇居】編が始まりました。
そして総文字数が40万字を超えました。しかし話はまだまだ続きますので、どうぞお付き合いお願いします。
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