88.磨崖仏
「先祖の中に、あのお地蔵様の石に触れて倒れた方、あるいは片目を失った方がいると言う話は伝わっていますか?」
オレが訊くと、住職は首を横に振った。
「そのような話は伝わっていないです」
「そうですか」
「ただ…戸塚さんの質問に対する回答になるか分かりませんが」
住職はご本尊の斜め上を指した。
「あそこに張り出した岩がありますよね。まるで宙に浮いているような」
オレと畑谷は住職の指した先を見た。そこには崖の際ギリギリに乗った岩がある。
「落ちそうで落ちない岩ということで、昔から信仰の対象になっていたそうです。初代はにあのご神体に祈願するため、この地を訪れたとされています。しかし、近づくにつれ千代の子の泣き声が強くなり、ご神体にをも拒まれたと思ったそうなのですが、このご本尊のある岩壁に触れた際に泣き声が止んだとのことで、そこに摩崖仏を彫ることにしたそうです」
初めはそこにオルダがいたということか。
「摩崖仏を彫り終えた頃に、他の呪いにかかった人々が寺を建立し始めたということで、初代は摩崖仏をご本尊として長命寺としたとされています。その後、ご本尊を彫る際に切り出されたあの石に三体地蔵を彫ったとされています、しかし…長命寺という寺の名前ではありますが、初代は三体地蔵を彫っていた途中で亡くなり、二代目が引き継いで完成させたということです。だから、あの左の一体だけお顔立ちが異なっています」
確かに左端の地蔵は他の地蔵とは若干異なる容貌に見える。
「オルダが体にいる人が、オルダがいる石を彫りながら、体から出ていくよう願ってしまったんすかね」
畑谷が言った。
可能性の一つとしては考えられる。
「何か、寺にまつわる古文書のようなものはありますか?」
「村役場からも聞かれたことがあるのですが、あいにくあまり残っておらず…檀家さんの個人情報くらいしか」
「そうですか…」
オレの質問が終わると、畑谷が住職と敦子さんに言った。
「法事の時には檀家の皆さんはここまで昇ってくるんすか?」
敦子さんが首を横に振って「いいえ」と答えた。
「本堂は麓にございます。門をくぐってすぐ右手に」
階段の方に目を奪われ、門を入ってすぐの本堂は目に入らなかった。
「そうっすよね。ここで法事は大変すよね」
畑谷は口半開きであたりを見渡して言った。
「そうですね。檀家の方は高齢者が多いですから…」
敦子さんが苦笑いで言った。
陽も傾き始めてきたので、オレたちは麓に降りることにした。
畑谷はオレに、
「あの2体の方のオルダは切り取らなくてもいいんすか?」
と聞いてきたので、
「もしいただいたとしても、あれは値段がつかない。最低でもヒスイというか、石そのものに価値が無いと客は買わないんだ」
と答えた。
約10分かけて麓に降りて、門入ってすぐのところに本堂が存在していることを確認した。こじんまりとした感じは龍王寺と似ている。墓の数も心松寺の半分もなさそうだ。
オレと畑谷が本堂に気を取られていると、敦子さんはオルダの石を握りしめて、
「耳鳴りしないです!」
と興奮気味にオレたちに言ってきた。
「良かったです」
「ありがとうございました」
「あ、注意があります。先ほどお伝えした通り、このオルダは常に持ち歩くようにしてください。離れた瞬間にオルダが鳴きます。また、持ち歩いて出かけていると、オルダが鳴くことがあると思います。その時は近くにそのオルダが出会ったことのないオルダがいるということです。鳴き止ませるには、他のオルダに敦子さんのオルダを付けてください。それがオルダ同士の挨拶になり、鳴き止みます。他のオルダが見つけられない場合は、早めにその場から離れてください」
敦子さんは頷いて「分かりました」と言った。
「笹嶺神社のオルダには近づかない方がいいっす」
畑谷が忠告するように言った。
「笹嶺神社のオルダ?」
「社の下にオルダが住む石があります。そのオルダは力が強そうですので、近づかないに限ります」
オレは補足した。
敦子さんは大きく頷いて、
「分かりました。気を付けます」
と答えた。
畑谷は「最後に」と敦子さんを見た。
「村役場に入ったらオルダが鳴くと思うんすけど、たぶん清水さんが近づいてくるので、その時はオルダを差し出してあげてください」




