64.日記
段ボールの中でも最も古そうなものから確認していくことにした。
畑谷はノートを開き、
「明治28年のもののようっす」
「急に時代が飛んだな」
「この頃になると、一行メモというより日記のようっす。ってか、これ、新しいノートは戸塚さんでも読めるんじゃ…」
畑谷はそう言ってノートをオレに見せてきた。
オレには相変わらずニョロニョロに見えるが、あの巻物よりは読める字の数は増えている気がする。
「確かに同時進行で読んだ方が時間短縮になるな」
オレは段ボールの中から比較的新しそうなノートを取り出した。
同時に刑事たちも手を伸ばした。
「私らも読みますよ。オルダとの契約方法と解除方法について触れてたり、誰か倒れた人がいたとかいう記載があれば一声かけます」
刑事たちはノートを読み始めた。
「では、私も!」
清水さんは段ボールを覗いた。しかし、残っているのは和綴じのノートだけである。清水さんはノートを開いて、「あ~」と落胆の声を上げたが、
「出来る限り頑張ってみます」
と、清水さんは読み始めた。
オレもノートを開いた。オレのノートの始まりは昭和44年だった。感覚的には最近のものだ。しかし、こちらのノートは畑谷のノートと違い、日記ではなく、巻物同様の1行目メモのようである。
『昭和44年7月4日、杉野氏の畑より出土。形はいびつ。シミ小さく有。中にやや薄い紫のヒスイ。美恵子氏触れたが異常なし。1000円で買取』
これは、おそらく畑からオルダが住んでいる石が見つかり、中から青碧のヒスイが出土した。発見した人はオルダに触れたが、契約は結んでいないということだろう。そして、この頃には、根屋家ではオルダがいる石を買い取っていたということだろう。根屋家はオルダを集めていたのか…?
『昭和45年12月18日、根音小裏の森より出土。勾玉型。薄緑。シミは無し。縄文あるいは弥生期のものと想定。役場に寄贈』
『昭和46年10月4日、秋本家建て替え時に出土。形はいびつ。シミ有。中に緑色のヒスイ。触れた者無し。10000円で買取』
やはり似たような記述が続いている。オルダがいないヒスイは買い取らず、役場に寄贈していたようだ。当時の物価や相場が分からないが、現在のオルダがいない本ヒスイ相場は透明度が低ければ10カラットでも5000円、質が良ければ1カラットでも50000円くらいである。ラベンダー色だとその5分の1から6分の1程度になる。おそらくだが、1000円で買い取っている薄紫のヒスイは質が良くなく、10000円で買い取っている緑色のヒスイは質が良いものだったのだろうと想像する。中にオルダがいれば、オークションではだいたいこの10倍くらいになるイメージだ。
オレは同様に新しめのノートを読んでいる香川さんに聞いた。
「オレのノートでは、見つかったオルダを買い取っているような記述があるのですが、そちらのノートもそのような記載がありますか?」
香川さんは、一度読むのを止めて、オレの方を見た。
「私のは昭和26年から、いわゆる戦後ですな、その頃から始まっていて、今のところ笹嶺神社で慰霊しとりますよ」
そこに、もう一冊の新しめノートを読んでいた松井さんが入ってきた。
「こちらは買取してます。度々『佐々木氏』という業者のような名前が出てきます」
「業者?」
「こちらです」
松井さんが広げたノートを床に置いた。
『平成2年3月8日、佐々木氏にオルダ2体渡す。前回オルダは8万円』
それを見て、オレと香川さんの引っかかったポイントは違っていたようだ。
「この時にはオルダという名称を使っているんですね」
「完全に取引しているな」
松井さんは更に話を続けた。
「さらにですね、この時にはもう挨拶を実行しているようで」
松井さんはノートを何ページか戻した。
『昭和63年11月24日、笹嶺の土台石で内船のオルダ祈祷』
笹嶺の土台石というのは、根屋家の古文書における笹嶺の右石なのだろうか。そこに内船で見つけたオルダを乗せて何か祈ったということだろうか。
オレのオルダが笹嶺神社のオルダと共鳴しなかったのは、根屋家が入手して、このような祈祷を経たものだったからという可能性もありそうだ。
「でも、契約とか解除とか、そういうのは出てこないです」
「あ、そうだ」
オレの急な声に、香川さんが反応した。
「どうされました?」
「おそらく香川さんのノートだと思います。目利きの畑谷くん曰く、笹嶺神社は50年くらい前に建て直されているようなんです。昭和40年台に笹嶺神社を建て直しているような記述無いですか? もしかしたら土台の石を残すみたいな記述があるかもしれないです。オレのは昭和44年から始まっていて、昭和46年まで見てますが、建て直しについては書かれていないです」
オレの発言に畑谷が少々慌てて言った。
「だいたい半世紀くらい前ってことっすよ。正確に50年前じゃないっす」
「分かりました。すぐ見てみます」
香川さんはノートをペラペラと捲って確認しだした。
オレも読み進める。
『昭和50年9月20日、心松寺近くで出土。薄緑。シミ有。電柱交換の際に出土。触れた者なし。4000円で買取』
住職は無関係だと言っていたが、心松寺の近くでも出土していたらしい。
『昭和53年5月31日、黙光寺手水舎建て替えの際、水盤の中に出現。薄緑色。かなり大きい。シミ有。譲ってもらえず』
これは黙光寺で聞いた話と一致している。
「おお!ありましたよ」
香川さんが言った。そしてノートを床に広げた。
『昭和42年6月26日、笹嶺社が老朽化。左柱シロアリ。建て替えの必要あり』
『昭和42年7月3日、津本建築に相談。宮大工は日程調整つかず。早くて来年。神社風建物であれば可能』
『昭和42年7月20日、津本建築下見。梁3本は再利用可能。それ以外は入れ替え』
『昭和42年10月1日、笹嶺社解体式』
『昭和42年10月3日 笹嶺社解体開始。土台は傷つけないよう直接触れないよう注意払うこと伝える。』
『昭和42年10月26日 地鎮祭』
『昭和42年10月28日 笹嶺社着工』
『昭和42年11月30日 笹嶺社竣工』
畑谷が予想した通り、おおよそ半世紀前である。さすがの目利きだ。
「土台に触れないよう伝えているということは、石のオルダに触れると契約をしてしまう可能性があることを理解していたということですな」
香川さんが言った。香川さんはオルダへの理解がかなり高まっているようだ。
「その可能性高そうですね。だから、取り出すこともせず、昔の礎石がそのままの状態で残っていたんですね」
「今、読み飛ばしたんで、再度振り返りますわ」
そう言って香川さんが再びノートを読み始める。松井さんも同様である。
「なんだかすみません。私、今のところ、お伝えできることが見つかっていません。私のものは大正4年から始まっている。それだけです」
清水さんが申し訳なさげに言った。
「いや、お気になさらないでください」
正直、清水さんには期待はしていないので、見つかったらラッキーくらいに思いながら、オレもノートを進めることにした。松井さんが話していた内容から、オレのノートに『オルダ』の名称がついた時期が入っているはずである。そして、いつから佐々木氏が絡んできたのかも、このノートにあるはずである。




