54.三尸(さんし)の虫
龍王寺は、心松寺や黙光寺など訪れた他の寺よりも一回り小さい、こじんまりとした寺だった。『浄土宗 龍王寺』と彫られた石が入口に置かれ、入ってすぐにある鐘楼もこじんまりとしている。手水舎はなく、水場は墓の入口あたりに並ぶ水桶の横の蛇口くらいだった。
本堂はザ・寺というようなカーブ強めの屋根を持つ寺院建築ではなく、言い方は悪いが、土壁の昔の集会所といった雰囲気である。
その本堂の裏側にやはり質素な感じの平屋があった。本堂に人の気配がないため、そちらの平屋に行くことにした。
ピンポンとチャイムを鳴らすと、しばらくして「はい」と女性の応答があった。
「突然恐れ入ります。戸塚と申します。笹嶺神社で男性が倒れていた件ご存知でしょうか? 現在その調査を行っておりまして」
「警察の方?」
「警察ではないのですが、警察に協力している者で」
少し罪悪感はあったが、嘘は言っていない。
「隣の畑にある庚申塔について、何かご存知でしたらお話を伺いたいのですが…」
「庚申塔について?」
少しの沈黙の後、
「少々お待ちください」
と回答があり、インターホンが切れた。オレよりも少し上くらいと思われる女性が顔を出した。
「戸塚と申します」
「畑谷と申します」
オレたちは名乗り、お辞儀をした。
すると、それに釣られて老齢の女性もお辞儀をした。
「庚申塔についてお話をお伺いしたいのですが」
「はい」
「隣の畑の庚申塔のご管理は龍王寺さんがされているのですか?」
「管理に関しては、この一帯で持ち回りです」
「この地域の皆さんで建てた形ですか?」
「そうですね。昔、庚申待をこの一帯でやっていたようで」
「庚申待?」
「民間信仰のようなものです。60日に一度、庚申の日に皆で集まって朝まで飲み食いする行事です」
「お寺の方も参加されたのですか?」
「ええ。おそらく中心にいたのはうちの寺だと思います」
それまで黙っていた畑谷が口を挟んだ。
「庚申待は何かの会合みたいなものっすか?」
「三尸の説に基づいたものと伝わっています」
「三尸の説?」
「三尸の虫はご存知ですか?」
オレと畑谷は同時に「虫?」と反応した。
女性は少し首を傾げて考える仕草をした。
「本堂にお上がりになりますか?」
オレたちは、女性の案内で本堂にお邪魔することになった。
中に入ってもやはり集会所のようであったが、柱と柱の間に仏壇のようなものがあり、その前にある生花や香炉、ろうそくなどが並び、その前にある一段低い机に小さな鐘のようなものと長い菜箸のようなもの、その両脇に木魚と器のような鐘があり、お寺の要素は詰まっていた。
女性は、仏壇のようなものの裏側に回り、古そうな木箱を持って戻ってきた。
「こちらが三尸の虫になります」
女性が木箱を開けると、中には巻物が入っており、それを広げてくれた。そこには三体の絵が描かれていた。右側に着物を着た男性、真ん中に狛犬のようなもの、左側に人の足に龍の頭がついたような姿をしている。
「これが虫ですか? 妖怪ではなく?」
「この三尸の虫は、中国道教の教えに出てくる虫です。右から上尸、中尸、下尸と呼ばれ、人の体に住んでいると言われています」
「え?」
畑谷が驚いたように反応した。
「人の体の中?」
オレの頭に三田さんが浮かんだ。畑谷はおそらくオレと同じことを思っただろう。
「庚申の日の夜に眠っている人の体を抜け出して、上帝にその人間の悪事を密告するとされ、密告された人間は寿命を縮めるとされています。これを防ぐために行ったのが一晩中飲み食いする庚申待です。この庚申待を3年間で18回続けることで三尸の虫が体から抜けるとされ、それを記念して庚申塔を建立したと伝えられています」
「3年に1度建てるんですか?」
「3年に1度というより、3年間庚申待を続けた時に建てるということになるかと思います」
「外には10塔ありましたが、10塔で止めてしまったということですか?」
「なぜ止めたかまでは…。ただ、そこにある庚申塔の年号を見ると1691年から1720年にかけて建てられてたもののようです」
1691年。それは村に寺が建てられ始めた1690年の翌年にあたる。オレは気になることを正直に聞いてみた。
「庚申待が始まったことと、鬼虎の話は繋がっている可能性はありますか?」
すると、女性の顔は一瞬凍り付いたように見えた。
「鬼虎の話をご存知で?」
女性は言った。
「はい、最初に万福寺のお婆さんに聞いて、その後黙光寺さんや永福寺さんなどで聞きました」
「そうですか。万福寺のお婆さん」
そう言って、女性は苦笑した。
「では、寺の女性は結婚できないという話も聞いたんですね」
「ええ…。聞きました」
「私もその一人だと思われてますか」
オレは言葉に詰まった。
「そうなんですよ。私も結婚できないので寺に就職しました」
返す言葉出てこない。
「この寺は庚申待して呪いが解けたんじゃないんすか? 黙光寺さんは体からアザが抜けて、呪いが解けたから、女性も結婚できるようになったという話だったんすけど」
畑谷は返す言葉が出てきたようだ。
「そうですね。黙光寺さんは千代の子の泣き声が聞こえなくなって、呪いが解けたとされていますね。でもうちは、呪いは解けなかったとされています」
「庚申塔にオルダが移ったってことは、体からアザが抜けたんじゃないんすか?」
畑谷が聞くと、女性は怪訝そうな顔で、
「オルダ?」
と聞いてきた。
そうか、『オルダ』では通じないのか。オレは、ペンダントを外して、ペンダントトップの石を見せた。
「これがオルダです」
ペンダントトップをこすったら、オルダが現れた。
「虫ですか?」
「ええ、石に住んでいる虫です。この虫と契約を結ぶことで、この虫の声が聞こえるようになります」
「契約?」
「まあ、あの、ちょっとした儀式みたいなものです」
「宗教ですか?」
「あ、いや、違います。まあ、その話は置いておいて、オルダは会ったことのないオルダが近くにいると、ギーーーーーーーー―という声で鳴き始めます。それは、耳鳴りのように耳の中で響く感じで、人によっては子供の泣き声のように聞こえるかもしれません。我々は調査している中で、鬼虎に関わって呪われたとされた人々は、このオルダが体内に入り込んだのではないかという仮説に辿り着きました」
「体の中に?」
「我々も体の中にこのオルダが入り込んだ人に出会ったことがなかったので、最初はその発想にはならなかったのですが、昨日警察の方が、笹嶺神社の裏の森で、事故的な形でオルダが体の中に入り込みまして」
畑谷がうんうんと頷いている。
女性は怪訝そうな顔のまま聞いている。
「腕に、腕の表面にオルダが、まるでアザのように現れまして。オルダの声も聞こえるようになりまして」
女性は唾を飲んだ。
「千代の呪いの話のようですね」
「ですよね。我々は村役場にあった根屋家の古い文書を確認したところ、この龍王寺の近くでオルダらしき鳴き声を聞いたとする記録が残っていたのを見つけまして、それでこちらに来たんです」
「はあ…」
「来てみたら、庚申塔の一つにオルダがいました。享保2年のものでした」
「1717年の、最後から2番目のものですね。あの庚申塔だけ風化や破損がないんですよね。不気味に思っていました」
「あそこにオルダがいたということは、元々龍王寺さんの誰かの体の中にいたオルダが移ったということなのかなと考えました。つまり、あの庚申塔を建てた時に、千代の子の泣き声がしなくなり、体からもアザが消えたのではないかと思ったのですが…」
女性はオレから視線を外した。
「呪いが解けていないということは、そのような話は伝わっていない?」
女性は「少々お待ちください」と言って、再び仏壇の裏側に回った。




