28.黙光寺のヒスイ
黙光寺には、約束の5分前である13時55分に到着した。
オレの到着を待っていたのかは分からないが、黙光寺の門をくぐるとすぐに保育所の中から女性が顔を出した。
「戸塚さんですか?」
女性は50代くらいだろうか。髪を後ろに一本で結い、トレーナーにジーパンというラフな格好をしていた。
オレが「はい」と答えると、
「お待ちしておりました」
女性は、保育所の扉を出てカギを閉め、オレたちの方へと小走りで寄ってきた。
「本堂でお話を伺いますので、どうぞこちらへ」
オレたちは女性の後を付いていくが、オレの背中をトントンと畑谷が叩いた。
「辛いっす。どこっすか、オルダ」
畑谷は耳を押さえている。そうだ、こいつはまだここのオルダと挨拶してなかった。
「あの水場の亀の下の石だ」
手水舎を指して言うと、畑谷は小走りで手水舎に向かい、ノートを亀の下のヒスイに付け、オレの元に戻ってきた。
「あれが例のオルダですか」
オレは頷いた。
前を歩いていた女性は、賽銭箱裏の本堂の入り口に立ち、
「こちらで靴を脱いで、そこの棚に靴をお入れください」
木製の階段の下にスノコが置いてあり、その隣に小さな靴箱が置いてある。
オレたちはスノコで靴を脱ぎ、靴箱に入れた。
「私は内側から入りますので、どうぞお上がりになってお待ちください」
女性は、裏の家の方に歩いて行った。
オレたちは、木の階段を昇り、本堂の扉を開けて中に入った。そこには折り畳み式の簡易椅子が4つ向かい合わせに並んでいた。
座っていいのか分からず二人で並んで立っていると、
「どうぞそちらにお座りください」
と、昨日対応してくれた住職が法衣を着て現れた。
「ありがとうございます」
オレたちは言われるまま、椅子に並んで腰を掛けた。
住職はオレたちの前の椅子に「失礼します」と腰を掛けた。
「妻は間もなく来ますので。…で、お隣の方は?」
住職は怪訝そうに畑谷を見て言った。
「ああ、調査の協力をしてくれる方です」
「畑谷です。よろしくお願いします」
「黙光寺の住職をしております。佐々木です」
住職はまだ好意的ではないらしいのが、その顔から分かる。
それにもかかわらず、畑谷は口を開いた。
「あのぉ、住職さんはみんな坊主頭ではないんですね」
何を言い出すんだ、こいつは。と思いながらオレは畑谷を見た。
「うちの禅宗ではありませんので」
住職は簡単に答えた。
宗派によって剃髪しなければならないところと、剃髪しなくても良いところがあるという話は聞いたことがある。先ほどの心松寺は剃髪しなければならない宗派だったのだろう。
「へえ、寺によって違うんですねえ」
畑谷は感心したように頷いている。こいつは天然なのだろうか…。
「お待たせいたしました」
先ほどの女性がお茶を運びながらやってきた。オレたちの前に小さな机を置いて、その上にお茶の入った湯呑を「どうぞ」と2つ置いた後、住職の隣に座った。
「鬼虎の話と手水舎のヒスイについて話を聞きたいという風に住職から聞いています」
「はい、この寺に伝わっている話をお伺いしたく」
「鬼虎の話は、万福寺でお聞きになったとか」
「はい」
「この寺に伝わっている話は、概ね同じかと思います。鬼虎という男がこの村に突然現れて、村の娘・千代を人質に取り、笹嶺神社に立てこもった。村人たちは千代を助けるため、鬼虎が排便のために外に現れたところ背後から殺めて、神社の奥に埋めた。千代は助かったが、数か月後に子供を産んだ。千代は嫁入り前であったことから、その子は鬼虎に胎まされた子ではないかという噂が立ち、村人たちは千代に子供を始末するよう訴えたが、千代は自分の子であると拒否をした。しかし、成長するにつれ、その子は鬼虎の顔立ちに似ていった。その子が悪さを働いたわけではないが、成長して鬼虎の同じように悪さを働くのではないかと恐れた村人たちは、その子を笹嶺神社に閉じ込めてしまった。子は『出してけぇ』と延々と泣いていたが、食事も与えず、閉じ込め続けると、やがて泣き声が聞こえくなった。村人たちは神社の扉を開けると、子は息絶えていた。村人たちは誰にも気づかれぬよう、鬼虎を埋めた同じ場所に、その子を埋めた。それを知った千代は深く傷つき、『鬼虎の子を殺した人間を一生、末の代まで呪ってやる』と叫んで、子を埋めた場所で自害した。その後、その場所から涙が溢れだした。というのが村に伝わる鬼虎の話です」
「万福寺のお婆さんから聞いた話と概ね一致していました」
女性は頷いて、
「この話の続きもお聞きになったということですね」
「はい」
「千代の子を閉じ込めた村人たちは、互いに近寄ると子の泣き声が聞こえるようになった。そして、アザが現れた。それが千代の呪いだと考えた村人たちは、祈祷や除霊を行ったが一切改善されず、それぞれが離れた場所に寺を建立し、祈り続けた。しかし、子や孫の代まで呪いは続き、呪いを解くために、様々な祈祷を行ったそうです」
「笹嶺神社の慰霊祭もその一つですか?」
女性は目を丸くして驚いた。
「それも万福寺さんからお聞きに?」
「いいえ、それは村の通史を見まして」
「笹嶺神社の慰霊祭は、当時生類憐みの令が発せられていて、亡くなった人や動物を慰霊するために始まったと聞いています。それに、千代の呪いも絡んでいるかどうかは分かりません。ただ、寺の者が神社で慰霊祭を行うというのは、考えにくいかと思います」
「確かに…仏様と神様ですもんね」
「ええ」
「では、手水舎の話をお聞かせいただけますか?」
「先ほどの話の通り、千代の呪いを受けた村人たちは、子の泣き声が聞こえるようになり、手にはアザが現れるようになりました。それは子や孫の代まで続きました。しかし、うちはどの代かは分かりませんが、手水舎の水盤を清掃していたときに手のアザが水盤に移り、それ以来、子の泣き声が聞こえなくなったと聞いています。他の寺は、娘は呪いをかけられているとされ、嫁に行くことが許されませんでしたが、うちは許されたそうです」
「手水舎は40年ほど前に建て替えられたと伺いました」
「はい、私が小学生の頃だったので、そうだと思います」
「亀の土台となっている石が、手のアザが移った石だったという話ですが」
「はい、その通りです。ある日突然手水舎が崩落して、水盤が割れてしまったそうです。当時住職をしていた父は千代の呪いについては半信半疑という態度であったので、手水舎を丸ごと作り替えようとしたそうなのですが、水盤の割れ目からヒスイが現れたため、そのヒスイを水口の土台として使ったそうです。完成後に確認してしたときに、ヒスイにアザがあると気づいて、千代の呪いについて信じるようになったそうです」
ここで、畑谷が突然口を開いた。
「あのぉ、お父様は耳鳴りに悩むことはありましたか?」
「耳鳴りですか?」
女性は口を一度結んだ。
「あの…とても言いにくいことなのですが、この寺を出ることがなかったです」
「出ることがなかった?」
「この寺を離れると、耳が痛くなると言って、買い物さえ行きませんでした。どこか具合が悪くなった時は、診療所の先生に無理を言って往診に来てもらっていました。檀家さんの家で葬儀を行う場合は、父は赴かず、別の村の同じ宗派の僧侶に来ていただいて対応していました。うちの住職も、それでうちに来るようになりまして、婿養子に入っていただいた形です」
「これって…」と畑谷がオレに耳打ちをした。
「お父さん、オルダと契約してしまっていたのかもしれない」とオレは返した。
「ちなみにですが、お父様は他界されているのですか?」
「ええ、2年ほど前に」
「ご病気で?」
「ええ、ある日突然ポクッと。老衰だと思います」
今までオルダと契約をして亡くなった人に出会ったことはない。亡くなった時にオルダとの契約が切れるものだと勝手に思っていた。その後、そのオルダがどうなるかはオレは知らない。
「今、お父様と同じように耳鳴りがすると言っている人、近くにいらっしゃったりしますか?」
女性は住職を見て、住職が答えた。
「私です。あの男や、診療所の男、そしてあなた方が来る直前、耳鳴りがしました」




