20.医者の家
医者が扉を開けると、途端に生活臭がした。ガヤガヤとしたテレビの音、ジャ―という肉を焼いているような音が聞こえてきた。
「こちらがキッチンとダイニングになります」
キッチンでは、昼間に警察官を連れてきた看護師が料理をしていた。
オレが驚いていると、医者が看護師側に立って、
「夫婦なんです」
と笑って言った。
看護師は照れたように小さく会釈をして口を開いた。
「今日の夕食は生姜焼きを考えていますが、嫌いだったりしますか?」
「あ、いえ、食べ物の好き嫌いはないです」
「それは良かったです。どうぞ、そちらで少しお待ちください」
看護師は、ダイニングの席を手のひらで指した。そこには4人用ダイニングテーブルセットがあり、壁際に小さなテレビが設置されていた。
医者は、オレを椅子の一つに座らせた。
「どうぞこちらでお待ちください」
医者は、キッチンから箸やコップ、サラダや漬物、小鉢などを順に運んでくる。
オレはひたすら恐縮している。この村に来て、このような展開になることは微塵も想定していなかった。村の外の人間、赤の他人を、こうも平気で家に入れて大丈夫なのだろうかと若干心配になるくらいだ。
「本当にお世話になって良かったんですか? 今日初めて会った素性の分からないオレみたいなのを泊めてしまって大丈夫なんですか?」
オレは心配のあまり確認した。
医者は生姜焼きを運びながら逆に質問をしてきた。
「悪いことでもするつもりですか?」
「いや…」
医者と看護師はオレの前に並んで座った。
「警察にも躊躇なく身分証を提示してましたし、万が一何かを盗まれたとしても身元が既に割れてますし」
確かにそうだと思った。昼間、警察官に身分証の提示を求められ、多少戸惑いはあったものの、持っていた健康保険証を提示した。運転免許証を持っていないので、オレが持ち歩いている唯一の身分証明書となっている。
「それに、例のお仕事引き受けてくださいましたし」
看護師は、「え、本当?」と医者に確認した後、「助かります!」と前のめりでオレに笑顔を向けてきた。
相当な負担だったのだろうと思うと同時に、オレは苦笑いを返した。
「それでは、いただきますか」
医者の合図とともに、オレたちは「いただきます」と夕食を開始した。
「味、合いますか?」
看護師が不安そうに聞いてきた。
料理の味は、小さな居酒屋で食べたことあるような庶民的な味で、良い意味で安心した。
「美味しいです。ありがとうございます」
「良かったー。明日はこの人が作るんで、味がうすーくなりますよ」
看護師は医者に向け嫌味のように言った。
「健康のためには薄味がいいんですよ」
医者はオレに向けて言い訳を言った。
どうやら交互で料理の担当をしているようだ。
「明日は卓上に醤油を用意するので、お好みで調整してくださいね」
看護師は医者の声に被せるように言った。
オレは、勢いに飲まれ「あ、はい」としか返せなかった。
「ところで、今日村を回ってみて、探していた石は見つかりましたか?」
医者は興味深々に聞いてきた。
「ああ…。五十嵐が倒れていた笹嶺神社にはありませんでした」
「そうなんですね。明日もまた探しにいく予定ですか?」
「ええ、午後に約束したことがあるので、午前中に今日訪れていない場所を回ろうかと」
この二人は鬼虎の話をどこまで知っているのだろう?と思った。
「あの、お尋ねしてもいいですか?」
「はい」
「この村に伝わる鬼虎の話はご存じですか?」
「鬼虎?」
医者は全く知らない様子である。
「すみません、私は村の外の人間でして、着任したのが2年前で、村についてはまだ詳しくないんですよ」
「村の方ではなかったんですか」
「元々は富士市の総合病院に勤務していまして、この診療所の先生が高齢で引退されたのを機に依頼を受けて、病院から派遣されたんですよ。妻は同じ病院で働いていた看護師で、この派遣をきっかけに結婚しまして、二人で」
「へえ」
「美樹さんは鬼虎の話知ってる?」
「笹嶺神社の湧水の話ですよね」
どうやら看護師の方は知っているらしい。
「患者さんから最近聞きました。都市伝説みたいな話ですよね」
「そうなんです。今日、万福寺のお婆さんから聞いて」
「私は、五十嵐さんの件で気になることがあると患者さんから。彼が笹嶺神社で倒れていたのは千代の呪いに触れたからではないかと患者さんに言われたんです。あまり非科学的な話は信じないタイプなので、聞き流してはいたんですが」
医者はオレと看護師を交互に見て言った。
「その話聞かせてください」
オレは万福寺のお婆さんから聞いた鬼虎の話を一通り話し、更に黙光寺の石の話まで伝えた。
「それは凄い」
医者は少々興奮気味に反応した。
「ということは、鬼虎の話はただの都市伝説的な話ではなくて、現実にあった話の可能性があるということですか?」
「可能性は高いように思います。なので、詳しい話を聞きたくて、明日の午後にもう一度黙光寺に行くアポを取ってきました」
「オルダ、もう一度見せてもらっていいですか? 昼間はその姿を見られなかったので」
医者は言った。確かに、昼間警察官に見せた時には姿を現さなかった。
オレはペンダントを外して、石の部分を手のひらに乗せ、軽くこすった。すると、淡い鈍色のオルダが姿を現した。
医者と看護師は「おお」「え?」と驚いている。
「この石の虫が人の体の中でも生きるのですか?」
医者は訊いてきた。
「いや、オレは今まで話を聞いたこともなければ、見たこともありません。ただ、その特徴はオルダにとても似ていますし、実際黙光寺にはオルダがいたので、鬼虎の話は誇張表現や作り話が混じっているかもしれませんが、おそらく真実も含まれているのだと思います」
「伝承は後世に残したい何かしらの理由があるから引き継がれているわけですからね」
「ええ、そう思います。だから、オレの同業者も鬼虎の話に興味を持ったのだと考えます」
「面白いなあ。明日、また話を聞かせてください。あ、でも、笹嶺神社には気を付けてくださいね。鬼虎の話が本当にあったことで、五十嵐さんの件が患者さんの言う通り千代の呪いだったのだとしたら、戸塚さんが同じ目に遭う可能性もゼロではないのですから」
「はい、分かっています」
「呪いなんて存在しないわよ」
看護師が冷静に言った。
オレと医者は同時に看護師を見た。
「呪いが存在していたら、この世は死人だらけになってしまうわよ」
確かにな、と思った。
「でも、呪いと思ってしまうようなことが現実には起きたんでしょうね。石の中に虫が住むなんて、その虫が石の中で動くなんて、正直、話を聞いただけでは信じられないけど、この目で見てしまったら信じるしかなくて…」
「美樹さんがこの手の話に乗ってくるなんて珍しいな」
「うーん。なんというか、つまり、笹嶺神社にはオルダでしたっけ、その虫を生み出す何かがあるのかもしれないですね」
「かもしれません」
看護師は、オレをジッと見て、
「もし、鬼虎の話のとおり、オルダが人体に入り込むことができるならば、五十嵐さんの目玉を食べた可能性とか考えられません?」
突然グロい話になって、鳥肌が立った。
「おお!」と医者は反応している。
確かにその可能性もあるのかもしれない。
「きっと万福寺には出ていないのかもしれませんが、他のお寺に目玉を食べられた人がいないか聞いてみるのもいいかもしれませんね。ありがとうございます」
診療所に宿泊できたのは、オレにとって幸運だったのかもしれない。オレひとりだったら、その可能性に気づくのに時間がかかったかもしれない。
「明日、調査の結果を聞かせてください」
医者はキラキラした目でオレに言った。




