Act4 聖域の密談 厳三郎と薫 2
樹 厳三郎は、道場で静かに薫と対峙していた。厳三郎にとって、姫神会の姫神 正雄は、「武道を金と権力に変える不快な男」だった。だが、その娘である薫には、幼い頃からその目に宿る「冷たき知性」を認めていたのである。
「そして、もう一つ……希さんを瑞穂学園高等部に入学させてください」
道場の空気が一変した。厳三郎から放たれる殺気が、物理的場圧力となって薫を襲う。
「……希はまだ中学3年生だ。瑞穂のような特権階級の腐った温床に、わしの可愛い孫を放り込めと言うのか?」
薫は冷静に答える。
「希さんの拳は、厳三郎様、貴方の教え通りの『守護』の拳です。けれど、その奥に眠る天賦の才は、もっと広い世界を知りたがっている。……彼女を瑞穂学園に招きたいのです。私の隣で、その力を震わせるために」
薫はよく、孫娘の試合を覗きに姿を見せていた。
厳三郎は目を開けぬまま、呆れたようにため息を吐く。
「……全く、希はとんでもないものに目をつけられたのう……」
「あら……お気づきでしたのね、厳三郎様」
「気づかぬはずがなかろう。ここ数年、希が試合に出るたびに、会場の隅であんたの刺すような視線を感じていたわい。……物見遊山の令嬢が暇つぶしに見る目ではない。獲物を値踏みするか、あるいは自分に欠けた破片を慈しむような……そんな熱に浮かされた目だ」
厳三郎は目を開け、薫をまっすぐに見据える。
「……希の試合にたびにあれほど熱心に見守っていたあんたの『執念』に免じて……今夜の話は受けてやろう……加納の小僧の居候と希の瑞穂学園入学だな。……だが薫さん、あんたが希に魅せられたかどうかは知らんが、希があんたにもし失望するようなことがあれば、わしは容赦はせん」
「有難うございます」
薫は深々と頭を下げたまま、静かに言葉を続けた。
龍輝を預かり、希を瑞穂学園へ送り出す。その思い決断を厳三郎が口にした直後、彼女は打ち明ける。
「……お聞きください。厳三郎様。お父様と姫神会の理事会は、現在、この一帯の再開発計画を氷面下で進めています。学園の拡張を名目に、古びた住宅などを強制買収し更地にする計画です」
厳三郎の眉がピクリと跳ねた。それは彼が薄々感づいていた、この街の「浸食」だった。
「私の権限で、この樹家道場を含む周辺一体を、瑞穂学園の『伝統文化特別保護区』としました。これにより、姫神会であっても公的な開発の手を出すことは出来なくなります」
「……ふん、施しと同時に土地の囲い込み……か」
「いいえ。これは『支援』でも『施し』でもありません。……厳三郎様、私は希と龍輝に帰ってくる場所をそのままの形で残しておきたいのです。戦場へ送り出すものが、その帰還場所を保証するのは当然の『維持経費』。……そうは思いませんか?」
薫は顔を上げ、厳三郎の眼を真っ直ぐに見据えた。
「これは姫神会からのお金ではありません。私がこれまでにお父様の目を盗んで蓄えてきた私財と人脈を投じてきたものです。ですが、あの子たちがここで生きるための『環境』だけは、私の我儘で整えさせていただきました。……どうかお認め下さい」
厳三郎は鼻を鳴らし、再び木刀を手に取った。薫の提案は、彼のプライドを直接傷つける「現金」ではなく、彼が最も守りたい「伝統」と「孫の帰る場所」という形であった。
「……勝手にしろ。わしが死ぬまでは、この道場の一石一木たりとも姫神会の好きにはさせん。あんたがそのために用意したというなら……この老い先短い老人の意地として、利用させてもらうまでだ」
薫の唇の端に、微かなしかし確かな勝利の笑みが浮かんだ。これで樹家という「要塞」は守られた。希を前線に、龍輝を矛に、そして自分や航聖を軍師とする、加納家解体への「完璧な陣形」が完成した瞬間だった。
なんだか暗い雰囲気になってきた。




