第三十六幕 VS四凶·窮奇
遠雷が聞こえる。
それなのに世界は驚くほど穏やかで、中央で微笑む女の顔も柔らかな笑みをたたえていた。
「こちらへきてよく顔を見せておくれ。妾のカケラを受け取り、その力を振るおうというのじゃ。その権利ぐらいはあるじゃろう?」
足が勝手に声の方へ向かう。ああ、彼女は人間ではない。
「ほう。眼が強いな。顔立ちは穏やかじゃが、芯が通っておる。悪い意味では頑固ともいうが。昔、よく似た眼をした男に会った。まあもう生きてはおらぬじゃろうがな」
「貴方は」
「ふふ。怯えずともよい。妾は別に人間を嫌ってもおらぬし、お前にカケラが渡ったことにも納得しておる。妾は雷龍。とはいえ、雷龍様と呼ばれるのは好かん。レイで良い。お主の名は知っておるが、お主の口から聞きたいのう?」
「天乃 紡です。レイ様、いくつか質問をしてもいいですか?」
「良いぞ。率直に言うが妾は黒龍のやつは昔から好かんかった。やつの所業を聞いた今、懲らしめる役に立つことなら喜んで教えよう」
「じゃあまず、根本的な質問ですけど。【四凶】ってなんなんですか?」
東華区に当たり前のように残る【四凶】の伝説とその名前。龍は鉱物から生まれたと海龍は言っていたけれど、彼の昔話には【四凶】の名前と存在は出てきていない。
「【四凶】はな、妾たち龍が最後に戦った相手なのじゃ。あの戦いで多くの龍が亡くなり、鉱物だけを遺して消えた。また戦いの影響で東華区の地形も土地の属性すらも大きく変わってしまった。その上、奴ら【四凶】の残滓は瘴気となって土地を蝕み続けた……その解決方法は……」
「……辰砂は確かに毒性を持つ鉱物だけど、高天区の鳥居の朱は、辰砂から作られた色だって京さんから聞いたことがあります。辰砂龍には毒への耐性があり、おそらく人間の信仰によって魔除けの力も得ていた」
紡はずっと考えていた。確かに、辰砂龍のもたらす辰砂が桜蘭の砂に毒を与えたのは事実。その毒で命を落とした人間たちも家畜もいたに違いない。
ただ、強い毒性を持つ動物や植物、鉱物は他にいくつも存在する。林香は毒は薬にもなるし、身を守る武器にもなる。だから野外での採取が多い薬師は毒のあるものについて学ぶ必要があるのです。と言って、紡に一冊の本を渡してくれた。その本には沢山の動植物や鉱物が載っていた。身近なものだと、紫陽花や鈴蘭にも毒があるのだと驚いたのを覚えている。
だからこそ、ただ毒のある龍というだけでは辰砂龍が処刑され、その後に部位を分けて封印されたというのは理由として弱すぎる気がしていたのだ。
それに辰砂龍は別に東華区の敵ではなく、叶わずとも人間との共存を願い続け、実際水藍は彼によって守られているのだから。
「だったら……辰砂龍はきっと、東華区の全てを守るために自分を犠牲にしたんでしょう」
雷龍は頷くと、ため息をついた。
「そうじゃ。全くあいつは……本当に。じゃが、あの時にはそれ以外の方法が無かったのも事実。残っていた龍で、強い力をまだ持っていたのは辰砂龍と黄龍だけ。黄龍はのちに辰砂龍の願いと遺志、そして東華区全土を見張る眼と耳として【四神】を作り出した。【四神】は【四凶】を封じるためだけの存在。だから東華区の外には出られない。まあ人工生命体というやつじゃ。彼らの心臓には【四凶】の残滓が使われておる。昔、仙人と呼ばれたある退魔道士が黄龍と協力して作り上げた。いつか、【四凶】の残滓が完全に浄化されれば【四神】も消える時が来るのじゃ」
「フェオンが言っていたのはそういうことだったのか……」
紡は思わず俯く。
「【四神の神子】たちも同じじゃな。彼らは動くことのできない本体から切り離された端末のようなもの。運命共同体として長い時を生きておる。見た目は全盛期のままで。麒麟の神子もほぼ同じじゃろう。……やはり思うことがあるか?」
「無いとは言えないけど……でも彼らが運命を受け入れているなら、本人以外がどうこう言えるものでは無いと思う……」
「では、彼らが受け入れていなかったら?理不尽な運命を壊したいと願っていたら?」
「……僕にできる手助けをしたい。何ができるかはわからないし、なにも出来ないかもしれないけど……願いに寄り添うことぐらいはできるから」
ーーこの世界のために、何ができるかはわからない。そもそも俺たちは、この世界では【罪人】だから。だけど、あの人の願いに寄り添うことを決めたから。これは、うん、エゴだよ。かつて、俺たちもきっとそう言ったと思うけどね。アルカナシステムを構築して、遺す。あとは未来に丸投げ。いずれ生まれてくる運命の子どもたちに恨まれても仕方ないね!でもまあ、世界のために罪を背負うのは何度やったかわからないし、慣れてるから気にしないで。それよりも鉱物になって静かに眠ってたレイや龍たちを起こしてごめん。頼み事が頼み事だから嫌なら断ってもいいよ。
「……世界を救いたいなどという願いを誰が断れるかというのじゃ……そもそも龍はそのために生まれ、戦い、散っていったのに……」
雷龍は紡の言葉に誰かを重ねるように眼を細める。
「世界を救う……?」
「……ああ、昔を少し思い出したのだよ。お主の中にもあいつのカケラを感じるが、今は置いておこう。これを受け取れ」
雷龍は紡に雷を纏って淡く光る指輪を手渡す。
「ゾンズから渡された槍には妾のカケラである雷管石が埋め込まれている。そして槍の柄に使われているのも琥珀じゃ。だが、それだけでは四凶を倒すのに出力が足りぬ。そこで、このトルマリンの指輪を渡す。これは妾との契約の証。【唱雷】と口にすれば雷槍は目覚める。さて、そろそろ夢は終わりじゃ。見事窮奇を打ち倒して見せよ!」
**
「雷龍様から直々に指輪をもらった?」
「はい。これで僕は雷の力を使えるようになりました」
朝食を終えた紡たちは扶桑地区の森の最奥にある遺跡を目指して森を進んでいた。
森の空気は澄み、時折鳥の囀りが聞こえる。
「簡単に言うけど凄いことなんだぞ……オレはまだ四神からコンタクトされたこと、夢ですら無いのに」
「紡は【可能性】か【災厄】かって言われるぐらいで、目覚めるまで培養槽にいたって莱人さんが言ってたっすから……やっぱりなんか特別ではあるんでしょうね」
宵霧は少し不安そうに紡を見る。
「けど、大丈夫か不安になることもあるんすよ。紡が複数属性を使いこなせるのは【愚者】のアルカナ由来って言われてますけど、普通の能力者やアルカナ資格者の属性は基本ひとつで、最高でもふたつまでってのが基本なんです」
だが、すでに紡が使う属性はふたつを軽く超えている。それに加えて今朝、雷属性も得たという。
「今のところ血にも変わりはないっすけど……本当に使う属性が増え続けて大丈夫なんすか?」
「心配してくれてありがとう、宵霧。僕は大丈夫。それより今は窮奇との戦いに向けて気を引き締めないと」
「……まあ、それもそうっすね。でも、東華区での旅が終わったら一回本部で検査してもらうっすから」
「うん、約束」
たどり着いた遺跡は苔むして、蔦に覆われていた。
「よっと」
入り口を覆っていた木の枝と蔓をみんなで手早く刈り取って、薄暗く少しじめっとした内部に足を踏み入れる。
ゾンズの案内でまず目指すのは特別な布が祀られている祭壇だ。
遺跡内部には結界の影響か文字喰いや紙魚種はいない。
時が止まったかのような静けさを靴音だけが刹那に揺らす。
「ここだ」
祭壇には真紅の布が祀られていた。その赤を見てリュシンは呟く。
「辰砂龍の……色」
「ああ、そうだ。砂漠の民に伝わる辰砂龍の血で染まったとされる布切れだよ。人間を守るために戦って傷を負い、その止血に使われたらしい」
「……この布をまた見ることになるとは……」
いつの間にか海風と入れ替わった海龍は迷うことなく布をそっと手に取る。彼には見覚えがあった。当然だ。この布を傷口に巻いて止血したのは、かつて砂漠の民だった頃の海龍自身なのだから。
「……紡、槍を。辰砂龍は秘密裏に龍の力が悪用されないように制限をかけた。だが、この土地を守るためならむしろ彼は喜んでその力を貸してくれるだろう」
「……辰砂龍。この土地を、東華区を救いたい。僕らに力を貸してほしい」
槍をそっと布で拭く。清めるように、祈るように。
その想いに応えるように槍全体が強く光り、雷を帯びる。
〈ほう。力が制限されていたのはあやつのせいか。文句はないぞ?龍の力は強大じゃ。望まず力を振るうのは好かぬからな〉
「レイさん」
紡たちの前に姿を現したのは長い龍の尾と稲妻型の角を持ち、東華区風の服を身に纏った美しい龍女だった。
「やっと、現実世界で会えたな。紡。そして青龍の神子ゾンズに海龍。そしてこの龍の子がリュシンか。愛いのう。どれ、この首飾りを持っておくと良い。今から窮奇をぶっ飛ばすのじゃろう?妾は残念ながらここから遠く離れた地にいるゆえ参戦は叶わぬが、力はいくらでも貸すぞ」
レイはリュシンにトルマリンの首飾りをかける。色とりどりで見た目にも鮮やかだった。その石のひとつひとつが雷の気を帯びている。
「ありがとう、レイ様」
「どういたしまして、じゃな。さ、行ってこい。そう遠くないように会えるような気もするし、もし会えたら全力で可愛がるからのう」
レイの姿が消えると共に、布にも変化が起こった。鮮やかな朱が瞬く間に褪せ、布は朽ちてボロボロと崩れた。
「……確かに受け取ったよ。辰砂龍」
紡は淡く輝く雷槍を握り直す。
「あなたの願い、あなたの想い。僕たちが代わりに叶えに行きます」
**
遺跡の最奥にそれはいた。
空中を、虎の姿をした獣が舞っている。本来ならあり得ないはずの翼で自在に飛び回るその姿は歪んでいると同時に、どこか畏れも感じさせた。
「いたぞ。よし、作戦通りに撃ち落とす!」
ゾンズは言い残すと四凶窮奇の死角になる場所で木を生やし始める。
青龍の属性は木。ゆえに、樹木の成長を早めたり、操る力を持つ。
だが、この術には少し時間がかかる。
その間はーー
「これでも喰らいやがれ、です!効くかわからないけど!」
林香は特別製の薬が詰まった瓶を四凶窮奇に向けて投げつける。
地面に落ちて割れた瓶からは強力なマタタビ臭が放たれた。
窮奇は虎の姿をしている。じゃあネコ科なんだからマタタビには弱いのではないかというただの思いつきだったが、試してみる価値はあったので試作してみたものだった。
「グ、ア?」
「効いて、るわね?」
窮奇の飛行速度が明らかに落ちたのを見て、成長した木の上でゾンズが槍を構える。
「おらあっ!」
その槍は正確に窮奇の背中に突き刺さる。致命傷ではないが、作戦としては完璧だ。
「唱雷!」
すかさず紡が槍を構え、ゾンズの槍に雷を落とす。
窮奇に直撃した雷は翼を焼き切り、窮奇は飛行能力を失って地面に叩き落とされた。
地面に落としてしまえばあとは倒せるまで攻撃を加えるのみだ。
「……切り裂いて!風龍閃!」
リュシンの放つ風の刃が窮奇の体を裂く。
「……はあっ!」
畳み掛けるように勇陽が踏み込み、炎を纏った剣戟を繰り出す。
風属性の窮奇には炎はよく効くようで、勇陽目掛けて繰り出される牙や爪の一撃にもキレがない。
「シレーナ。お前は海の力を、我と同じ能力を操るようだ。東華区にも人魚の伝承はあるから、故に我はお前の力になれる。この首飾りを持っていけ。珊瑚がお前を守り、力となるだろう」
「ありがとうございます。早速ですが力を借ります!……囚われよ……!」
シレーナは海水を呼び出し、檻を編み上げる。窮奇を確実に捕らえるための檻が完成した。
「紡!」
「レイさん、最大出力でお願い!雷鳴よ、歌え!唱雷!」
雷槍の穂先に集った雷が窮奇の上空から雷鳴と共に解き放たれ、窮奇を撃ち抜く。
水の檻に囚われた窮奇に逃げ場はなく、白い閃光が収まった時には全てが終わっていた。
「……倒した……?」
「うん。もう大丈夫。窮奇の気配は、しない」
「……ああ、オレたちが勝った。帰ったら祝杯だな。と、その前に」
ゾンズはぎゅっとリュシンと紡を抱きしめて頭を撫でる。
「紡、リュシン、ふたりとも本当よく頑張った!オレは難しいことを考えるのは苦手だ。林香や海風、シレーナに宵霧に勇陽。これはみんなで掴んだ勝利だ!本当にありがとう!」
紡たちは、足早に遺跡を後にして旅館へと戻る。
その夜は遅くまで賑やかな宴が続いた。
**
同じ頃、東華区の南方、波南の港から豪華なクルーズ船が人知れず水藍の港へ向けて出港した。
「潮風が気持ちいいね。そうでしょ、レイ」
甲板で黒い髪を靡かせる紅い東華風衣装に身を包んだ女は、術で角を隠して人間の姿をしている雷龍ーーレイに微笑みかける。
「そうじゃな。波南は蒸し暑い。その意味では紡に槍が渡ったのは大変良いといえる。龍には別に東華区を出れない縛りはないからの。そうであるなら黄龍が別の区に仕入れにいくなど不可能じゃろう?」
「すっかり旅行気分なのね。でも、いいんじゃないかしら?今の東華区があるのは辰砂龍や龍のおかげ。その分楽しんだってバチは当たらないでしょ。そしてそれは紡たちも同じ。波南にも四凶は出現したけれど、戦いばかりじゃ疲れちゃう。あの子たちにはとびきりのバカンスをまずはプレゼントしてあげるって決めてるの。トリチェッロ区の件も大変だったみたいだし。自分にご褒美をあげるのは大事なのよ?自分を大切にしない人は世界なんて救えないってわたしは思っているから」
レイは同意するように頷く。
「全くじゃ。彼もじゃが、どいつもこいつも無理ばかりして世界をその肩に乗せたがる。誰かの犠牲で救われることは決して最適解ではない。避けられぬものもあるだろうが、それでも。妾はお前に全面協力するぞ、リエ。とびきりの忘れられない夏を贈ってやろう!」
「ええ。東華区の花、波南。南国の楽園へ」




