間話 ある龍の追憶
今から遠く昔のことだ。
朧げな記憶の中でただひとつはっきりと残るもの。たとえいつか生まれ変わっても持っていたいと望むほどに温かでささやかな追憶。
「シン様。包帯を替えに参りました」
「俺の血は人間にはよくないと言っているだろう。お前は村の者に疎まれているのか?」
俺の傷の手当てをしてくれている少年は、言葉に詰まる。
おそらくは図星なのだろう。
「その瞳と髪の色が海を思わせるからか。水がないと人間は生きていけないというのに。そもそも俺は別に海を憎んでもいないし、むしろ好きだ。魚が美味い」
「そうなんですか。はあ、生まれ変われるのなら、海沿いの街がいいです。いやもういっそ人間以外に生まれ変わりたいですね」
少年は手際よく包帯を交換し、溜息混じりに呟いた。
「終わりました。あと、これは個人的な贈り物です」
彼は花のような形をした石を取り出し、俺の手のひらに載せた。指で触れても崩れないし、枯れない。
何よりひんやりとして、すこしざらついた感触。花のように見えるが、これは鉱物だろう。
「とても美しい鉱物だな。初めて見た」
「砂漠の薔薇、というそうですよ。薔薇というものを残念ながら僕は見たことはないのですけど」
**
人は脆く、儚い。
俺の毒のせいではなく元々彼は体が弱かったと聞いた。
村から外れた枯れかけの湖。すぐに風化してしまいそうな小さな墓に、摘んできた薔薇を供える。
「生前に見せてやることができなくてすまない。願わくば次に生まれ変わるとき、お前の希望が叶った姿で、自由に生きられるように祈ろう。そしてもしもその時にまだ俺が生きていたなら、本物の薔薇の花をともに見よう」
**
時は廻る。
「おや、この花は」
海龍は思わず足を止める。
遠く記憶の中で朧げに見たことがあるような形の花が揺れていた。
「……薔薇だ。水藍で見ることができるとは思わなかったが」
シンは手袋越しにそっと白い花を一輪摘み取って海龍に渡す。
「覚えているか?いや、覚えていなくても構わない。かつて、お前がまだ人だった頃に約束をしたのだ。
本物の薔薇を見せるとな。ずいぶん時間がかかったが、果たせてよかった」
「……覚えていますよ。これが本物の薔薇。当たり前ですが砂漠の薔薇とは違い、柔らかいしいい香りもしますね。人だった頃、あなただけが僕を肯定してくれました。だから、約束しましょう」
――いつか、変わりゆく世界の果てで、あなたが世界に【否定】されるのなら。
「僕だけは、あなたの存在を【肯定】します」
やがて、水藍には深海のような深い青色を持つ薔薇が咲き、海薔薇と呼ばれるその花は海龍への捧げものとなった。
戦乱を経て花は喪われたが、今でも水藍の装飾の中にその薔薇は静かに息づいている。




