第三十二幕 歴史にも残らない
ーー荒野が広がっている。
さっきまであれほどいたはずの魔物の群れはどこにもいない。かけらさえ残らないほどに塵になったのだろうか。
「......怪我は、ないか」
「う、うん」
正直なところ少年は怯えていた。目の前にいるのは人間などではない。真紅の瞳に黒と赤が混ざった髪に、真紅の鉱石の角。
「怖がらせて、すまない。我には、そうか毒もあった。ここは風上だから大丈夫か?」
「助けてくれて、ありがとう。でも、ぼくはもう帰る場所がない......毒の心配は要らないよ。ぼくに毒は効かないから」
少年の言葉に、角を持つ男は目を見開いた。
「毒が効かない?お前も人間ではないのか?」
「どうなんだろう。実はぼくはぼく自身のことはあまりわからない。化け物だって追い出されたから」
「我は、化け物なのだろうな。毒を持ち人ならざる我は、毒で魔物から人間たちを守ってきた。だが、我の毒は人間を害する」
少年は何かに気づいたように男を見つめた。毒で人を守り、毒で土地を穢す者の名を聞いたことがあったから。
「あなたは....辰砂龍さま?」
「そうだ。だが、シンとでも呼んでほしい。お前の名は?」
少年はためらいなく名前と願いを口にする。
「シン。お願い....水藍を守って。あの場所だけは失っちゃいけない気がするんだ....」
シンはわかった、と頷いて少年を旅の道連れに加えた。
**
「......ん」
寝台車でリュシンは目を開けた。
水藍と扶桑を結ぶのは今のところ鉄道のみ。
扶桑の環境保護の観点と単純に土地の狭さから空港を作ることが出来なかったという。
海岸に位置する水藍と違い内陸の森林地帯にある扶桑は標高も高く、霧も多い。
東華区随一の高山地帯である崑崙ほどではないが山と森に囲まれた静かな都市だった。
窓の外の森は深くなっていく。
「おはよう、リュシン」
「紡」
リュシンは起きてきた紡の膝にちょこんと座り、じっと車窓の外を眺める。
「木がいっぱい。珍しい」
「そうだね。僕もあんまり森って見たことがないんだ。高天区の森とは全然違う感じがするね」
「植生の違いっすよ」
「あ、宵霧。おはよう」
宵霧の言葉にリュシンはしょくせい?と首を傾げる。
「生えてる植物が違うってことっすよ。高天区は広葉樹が多かったすけどここはまた違う感じ。ゾンズさんに聞いてみないと何が生えてるかはわかんないっすけど。それより朝食だから食堂車に来てくれって言われて呼びに来たんすよ」
「今行く」
**
食堂車は車両の一番前にあった。大きな強化ガラスの窓からは車窓の外の景色を一望できる。
「扶桑名物森茸薬膳粥です」
運ばれてきたのは森茸と呼ばれる扶桑地区の森林に一般的に生える食用きのこを使ったもので、食べてみるとコリコリとした食感で香りが良かった。森林鷄の卵焼きも添えられている。
「朝はこういうものが食べやすくていいわ」
シレーナは薬膳粥が口にあったらしく、箸の進みが早い。対照的に物足りない顔をしているのはゾンズだ。
「扶桑の料理は薄味や山菜が多いから俺はあんまりなんだよな。昼は扶桑ポークの角煮丼にしよう」
「ゾンズさんガッツリ系好きそうですもんね」
勇陽の言葉に、
「筋肉には肉だ。やっぱり肉食わないとパワーが出ねえな...…」
彼はそう答えて鮎の塩焼きを追加で注文した。
扶桑を覆う深い森を育んだのは北の崑崙山脈からの雪解け水と言われている。扶桑の中心を流れるのは水藍よりもずっと川幅の狭い東華江で、水温の冷たさと水質の良さから上質の川魚や蟹が獲れ、養殖も盛んだ。
一方で扶桑の森にはキノコや薬草、山菜が豊富に生え、一部では扶桑地鶏や扶桑ポークの養殖、養蜂による扶桑花蜜、楓蜜も販売されている。
車内の観光ガイドに目を通し終わった頃、列車は駅に到着した。
**
「わあ……」
駅を出て飛び込んできた風景に紡たちは目を丸くする。
「驚くよな。樹から吊るされてる家や、樹の上にある家。もちろんちゃんと地上に建ってる家もあるけど、樹上旅館は扶桑の名物なんだぜ。今日泊まる宿もせっかくなんで樹上旅館だ。安心しろ。エレベーターもあるし、部屋が落ちたりもしない。扶桑の大木は扶桑界樹と同じ種類で結界石の琥珀の影響で岩のように硬くなってんだ。古来からある大木だけだがな」
「ゾンズさーん」
「おっ、林香」
林香と呼ばれた少女は緑色の髪に茶色の瞳、眼鏡をかけ、三つ編みにした髪を輪のように束ねている。肩にはきのこのマスコットのようなものが乗っていた。
彼女はゾンズの方に走ってくると、チケットを数枚手渡した。
「はい、頼まれてたものです。あと情報の方ですけどやっぱり書庫に記録はないです。わたし、試験前なのでこれで。まあ、明日で終わりですからその後なら扶桑の案内にも協力できますけど、何かあったら連絡ください」
林香はそのまま走って行ってしまった。
「試験前日だったとは知らなかったが、悪いことしたか?でもあいつの実力ならどう考えても通るだろ」
ゾンズは受け取ったチケットの枚数を確かめ、紡たちを樹上旅館へ案内した。
「この樹が皆様の客室となります。頑丈な作りになっておりますので安心してくつろいでください。ベッドは各部屋ふたつずつになります」
樹上旅館は、客一組ごとに一本の樹を割り当てるシステムで、樹の上にある部屋は自由に選べるらしい。勇陽と宵霧は一番高い部屋、紡とリュシンは一番低い部屋、シレーナは中間の部屋で、後ほど試験を終えた林香が合流する予定だ。
部屋の割り当ても終え、ゾンズが旅館を出るとデバイスが鳴った。
「ゾンズさん、林香です。先程師匠から聞いてかわりに連絡しました。海風さんが失踪したらしいです」
「何だって?いつもの食材探しじゃねえのか?」
「みんなそう思ったんですけど、師匠の知り合いの占いが得意な天文道士が占ったところ、【龍】に関係あるとでたそうなんです。海風さんの家系のことはゾンズさんはよくご存知ですよね?あ、もう次の講義が!すみません切ります!」
慌てた声がして、デバイスはそれきり沈黙した。
「……まさか、【辰砂龍】の【瞳】を海に沈めたのは……ならば海風はここに来るはずだ。きっとあいつの血は知っている。もうひとつの【瞳】の場所を」
**
「ここが、扶桑か」
その頃海風は扶桑の地を踏んでいた。
「……全く、ご先祖様とはいえ急に行動起こすのはやめてくださいよ、海龍様」
〈すまない。友に関することだったのでつい。それに、【瞳】を今暗躍している【黒蛇】に掠め取られるわけにもいかぬ。あいつの術は龍には効かない。だからこうしてお前の心を守っているのだ〉
「辰砂龍のことせっかくなんで教えてください。もっとも、東華区の民の辰砂龍への想いは複雑です。けど、友人だった海龍様なら、歴史にも残らないようなこと色々知ってるんじゃないのか?」
海風は慣れた様子で頭の中で海龍と会話する。
〈うむ。しかしどうせなら新たな龍の子にも聞かせようではないか。ほれ、そこに迎えがおる〉
海風が向かう先にゾンズが立っていた。
「久しいな、青龍の神子」
「海風をまた乗っ取ってんのかお前は。全く海龍様には手出しできねえがあんまりいい気分じゃねえぞ」
ゾンズのため息など意にも介さず海龍は海風の姿で告げる。
「当代の龍の子のところへ案内しろ。何、友の昔話をするだけだ。その後、扶桑に隠したもうひとつの【瞳】を探しにいく。良いな」
「……仰せのままに」
ゾンズは対照的に上機嫌な海龍を連れて、紡たちのいる樹上旅館を目指す。
その様子を、【黒蛇】が見ていた。
「ふむ。【瞳】の存在は流石に知りませんでしたが。辰砂龍を蘇らせるパーツは多い方が良い。揃ったのちに奪い取るとしましょう」




