第三十一幕 扶桑食遊記(後編)
港町水藍の朝は早い。
まだ夜も明けないうちに無数の船が漁へと向かう。
「ここの朝は早いんすねえ」
宵霧はふわあとあくびをしてデバイスの電源を落とす。忘れられていそうだが彼は基本はあくまで夜の住人である。紡と契約したことと蒼月薔薇のサプリメントにより最近は昼間でも動けるようにはなったが、決して昼が得意になったわけではない。
「とはいえもう昔ほど夜に特化した月の子どももいないでしょうけど。シュヴァルツナハト区だって人間と共存してるし血はだいぶもう混ざってますからね」
遠い昔の月の子どもは日光が苦手で、触れた薔薇は枯れ朽ちたとも言うが、精霊戦争時代のリヒトやフィンスにすらそのような記録はない。
「僕や姉さんが特別だったんすかねえ....特に姉さんは本当に夜しか動けない体質だったはずだし......」
「宵霧」
紡が目を覚まして布団から起きてくる。
「紡。起こしたっすか?」
「ううん。僕は元々あんまり寝なくてもいいみたいで。ずっと培養槽の中で寝てたのもあるみたい」
「ゾンズさんは朝に強いみたいっすからね……今日も朝早そうだし、紡、ちょっと血をもらっといてもいいっすか?」
紡は腕を宵霧へと差し出す。牙が白い肌に刺さり、溢れ出した赤い蜜を宵霧は美味しそうに飲み始めた。牙を抜くと同時に傷は塞がり始め、紡の腕には傷跡すら残らない。
「ごちそうさま。動けるとはいえ、あんまり日光は浴びたくないんすよねえ。とはいえ任務もあるし、莱人さん探すためだし休んでるわけにもいかないか」
続けて宵霧は蒼月薔薇のサプリメントをぬるま湯で流し込み、口に付いた血をティッシュで拭った。
「そうだけど、宵霧、無理はしないで。僕の血でよかったらいくらでもあげるからしんどかったら言って」
真っ直ぐに見つめてくる紡に思わず宵霧は表情を崩す。
「わかってるっすよ。紡の前でぶっ倒れたりはしない。けど、その言葉そのまま返すよ。トリチェッロ区で鏡像に紡が襲われて、ずっと目が覚めなかった時……怖かったんすよね……契約してるからその契約が切れない限り、相手が生きてるのはわかるけど……それでも」
宵霧の手はかすかに震えている。
「……もう、喪うのは嫌なんだ。いつか、同じ時間を歩めなくなる時が来ても……それでも紡が、仲間が生きていてくれれば……それだけでいいんすよ……」
東の空が赤みを帯びて、部屋の窓から差し込んだ朝日が紡を照らす。
「……宵霧。僕は、仲間のためなら傷つくことは怖くない。そもそも培養槽の中で眠っていた時点で普通の人間じゃないのは明らかだし、なんらかの使命があって、僕にしか出来ない何かを果たせるなら別に消えてもいいんじゃないかって今までずっと心のどこかで思ってたけど……最近は少し違う気もしてるかな」
紡は静かに呟いて窓の向こうの空を見つめる。一羽の鳥がどこからともなく現れて去っていった。
「……昔の紡はそうだったかもしれないけど、今はもう違うんすよ。紡にそばにいて欲しい僕やシレーナ、勇陽より紡自身が一番わかってると思うけど」
「うん。それでも多分、必要なら躊躇いなく僕はその道を選ぶけど……今の僕は少しでも長くこの世界を見ていたい。生きていたいって、思ってるんだ」
**
「朝か……」
その頃、桜蘭のホテルの一室で宝 莱人は悪夢から覚めた。
「……はあ。いよいよ研究所跡のひとつに乗り込もうってのに情けない……俺は仲間の中じゃ間違いなく一番弱いな……」
組織に【失敗作】と呼ばれ続けていた紡は、カタリベとなり仲間と出会い、リーダーの役目を果たしながら任務をこなしている。
重い過去を抱えて力を恐れていた宵霧は紡と出会い、その恐れを断ち切った。
真実と向き合い受け入れて前に進んだ紫穂。
自らの運命を変えようと足掻き続ける緋弦。
諦めずに星を探し続け、見つけた星を守り抜く覚悟を持つ勇陽。
宿命を超えて未来を掴み取った少女シレーナ。
「……みんな強いよ。過去ではなく未来を見て進むことを決めたんだからな……」
ベッドサイドにある小型冷蔵庫から水を取り出して一口飲む。
「……強い酒でも飲めたら、悪夢なんか見ずに眠れるんだろうか」
実は、莱人は酒が飲めない。幸い今まで飲酒を求められる機会はなかったが、味というよりアルコールの香りが駄目なのだった。
「どうしても思い出す。人体実験の後の消毒液の匂い。今でも体に残ってる傷跡は脱出時の火傷ぐらいのものだけど……」
幸か不幸か、莱人の痛覚は人よりだいぶ鈍かったため感じる痛みは他の被験体よりはずっと少なかっただろう。痛みで泣いた記憶も特にない。
「……姉さん」
それよりも莱人は傷だらけの姉を見る方が辛かった。
最後の記憶ですら姉は莱人を庇って傷だらけでーー
「……支度するか。考えても仕方がない。やっと手がかりを掴んだんだ……姉さんを取り戻す……大事な、双子の片割れを」
**
「おはよう!というわけで、朝は消化に良い白粥だ!」
朝早くゾンズは旅館にやってきて手続きを済ませ、紡たちを再び海風の店へ連れていった。
店に着くとすぐに海風が人数分の粥を運んできてくれた。東華区では朝に白粥を食べるのが一般的らしい。トッピングには野菜の漬物や東華ダックの卵、揚げワンタン、高天区から輸入した梅干し、卵などを各自が自由に選べるようになっている。
気に入ったトッピングを乗せて粥を食べ終えた後、ゾンズの手配した漁船で紡たちは海に出た。
「今日で水藍は出発だからな。最後に海釣りでもどうかと思ってな」
「気持ちはありがたいんですけど、僕は釣りなんてしたことが」
ゾンズは全員にメタリックな釣竿の前に座るよう促す。
「そうだろうと思ってな。仕掛けとかは全部設定済みだ。やることは釣竿にアタリが来たら電動でリールを巻き上げるだけだ」
ご存じの通り、釣りの世界にはビギナーズラックという言葉がある。紡たちはその幸運を盛大に発揮した。
船の生簀は数時間で高級魚で溢れかえることになる。水藍烏賊、水藍水蛸、水藍マグロ、深海に棲む高級食材フカヒレの材料になる東華淵鮫までも。この食材を持ち込まれる海風は嬉しい悲鳴を上げるに違いない。
そして、そろそろ港へ帰ろうかという時、紡とリュシンの竿にアタリが来た。電動リールで引き上げてみると、奇妙なものがかかっている。
「……なんすかこれ」
「箱かしら?でも、宝箱や小物入れって感じじゃないよ?」
首を傾げる紡たちにゾンズが答えを告げる。
「玉手箱じゃねえか?しかも古い東華文字でなんか書かれてるが……読めんな。開けてみるか!」
「お、おい。なんか微妙に封印の札みたいに見えるものが貼ってないか?」
勇陽が止める前にゾンズは蓋を開けた。
「……なんだこれ。赤い宝石か?」
「……感じる。今はわかる」
リュシンは宝石のようなものを見つめて静かに告げた。
「これは、辰砂龍の【瞳】」
その言葉にゾンズは表情を変えた。
「辰砂龍の【瞳】?なんだってそんなもんが海底にあるんだ?いや、そもそもそんなもんが残ってるなんて聞いたことがなかったが」
「……見るってことは同時に相手に見られているってことっす。東華区は辰砂龍の復活を恐れて力の残ってるかけらを地区を跨いでばらばらに封印している。箱の中に【瞳】を入れて海底に沈めたのは見られないようにってことかも」
宵霧の言葉に、
「トリチェッロ区にも見た者を石に変える魔物の伝説とかはあったよ。区が違っても似たような考えってあるものなのね」
シレーナが頷く。
「でも、【瞳】ってことはもうひとつあるのかな?辰砂龍が単眼でない限りは」
紡の問いに、
「単眼って言い伝えはないからあるなら扶桑だろう。ちょうどいい、扶桑の薬師たちにも聞いてみるか」
ゾンズはデバイスを起動してどこかに連絡を入れ、返事を待たずに船は舳先を港に向けて走り出す。
リュシンは潮風を感じながら辰砂龍の瞳が入った箱を鞄に大事にしまった。
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「辰砂龍の【瞳】?そんなものがあるなんて薬師協会では聞いたことないけど……うう、図書館にいってみるか……それよりも歓迎の準備とか宿の準備とかしなきゃいけないよ……ゾンズさん人使い荒いもんなあ……」
その頃扶桑でゾンズからの連絡を受けた薬師の少女は溜息をついた。幸い、水藍から扶桑までは陸路しかなく丸一日は余裕がある。
「とはいえ命の恩人だもんなあ。わたしは知識と符呪には自信があるけど武器の扱いはさっぱり……護身用式神、森茸真君に頼りっぱなしだし」
〈気にすることはない。適材適所というものがあるからな〉
「きのくん!!ああ、イケボにしておいてよかった……心が癒されるよーー!」
薬師の少女は護身用式神を従え、颯爽と薬師協会の書庫へと向かった。
書庫は地下にあり、埃っぽい。貴重な書物が多い割には利用者が少なく、特に司書などもいない。
「きのくん、お願い」
少女の指示を受け式神は手早く必要な本を運んでくる。なお、この茸型式神は必要ない限り胞子を出したりはしない。
机に置いた本を高速で少女は読み終わると、書き残したメモを見てため息をついた。
「ダメだ。薬師協会の書庫には記述のある本はないね。ゾンズさんには退魔道士協会への連絡を提案しておこう。次は、宿の予約の確認とかに行かないと」
足早に協会を出た少女は大きく伸びをして森の空気を吸い込み、樹上にある宿屋を目指した。
**
「ゾンズさんからメッセージだ」
「んー、この杏仁豆腐美味しい!おかわり!」
一方その頃、モネと照眞はゾンズからの連絡を昼食の最中に受け取った。
「辰砂龍の【瞳】について?これはちょっと一回本拠地に戻った方がいいな……」
真剣な照眞と対照的にモネは三皿めの杏仁豆腐を口に運んでいる。杏仁豆腐は東華区では一般的なデザートで、甘く味付けした豆腐に漢方薬の一種である杏仁が加えられたものだ。さらに店によって色々なアレンジがあるが、この店の杏仁豆腐はフルーツ入りのものが数種類あった。
モネはマンゴー杏仁豆腐、パイン杏仁豆腐に続き、苺杏仁豆腐をそろそろ平らげようとしている。白く滑らかな甘さ控えめ豆腐と甘酸っぱいフルーツの相性は最高だ。
四種類目を頼もうとしたモネを照眞が止めた。
「モネ、今から本拠地に戻ることになったけど一緒にくるかい?セロ区で夕飯をご馳走するよ」
モネは笑顔で、「わーい!やったあ!」と答え、照眞たちは会計を済ませて水藍を発った。




