第二十九幕 次なる地へ
「くー!この一杯がたまんねえな!」
男は樹の上に座って空を見上げる。星も街も綺麗に見えるこの場所は、彼にとってのお気に入りのひとつだった。下に目線を移すと橙色の灯りに包まれた扶桑の街が見える。穏やかな表情を浮かべたまま、彼は空になった盃に酒を注ぎ足し、一口呑む。
目線を遠くに移すと港町水藍と海に浮かぶ漁火が見える。少なくとも、男が護るべき扶桑の民はいつもと変わらぬ暮らしを送っているようだ。
「しかし、アレはどうすっかな」
軽い口調に似合わない真剣な瞳で男は森の奥の結界に目を向ける。黒い瘴気が渦巻き、結界の中の全体像は見えない。ただ記憶が確かならあの場所には辰砂龍にまつわる物が祀られていたはずだ。
「はあ。桜蘭の次はこの扶桑ってわけか。一応綺璃嬢ちゃんに報告しときますかね。――扶桑に四凶、窮奇現るって」
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「桜蘭での件、見事であった。休んでくれと言いたいところだが、東の扶桑にいる青龍の神子ゾンズから四凶の窮奇が現れたと連絡があった。急いで桃花城へ戻り、補給と情報を得て扶桑へ向かって欲しい」
「わかりました。すぐに出発します」
桜蘭の事件が解決し、街が平和を取り戻してから三日。しばらく黄龍やフェオンと共に街の復興を手伝っていたがそれもひと段落したところだった。
「黄龍さん、フェオン。僕たちは扶桑に行くからここでお別れです。桜蘭では本当にお世話になりました」
「次の四凶が出たのか。行ってこいよ、ここはもう大丈夫だから。黄龍様、貴方も桜蘭を発つなら紡たちを桃花城まで送っていってくださいませんか。早いほうがいいでしょう?」
「そうだね〜」と黄龍は快諾し、フェオンと別れた紡たちは桜蘭の地下へ案内された。
「君たちは世界の傷――キカートリスのことを知っているかい?」
紡たちは首を横に振る。
「キカートリスというのは世界に開いた次元の穴のこと。多くは別の世界に繋がっているけれど、初代の【童話の魔女】や歴代の魔女たちはその穴を利用して空間を繋ぐ扉を作り出した。簡単にいうならワープゲートでいいのかな」
黄龍が導いた先には龍の装飾が施された鏡がひとつ置いてあった。
「この鏡がそのワープゲートってことっすか」
「東華区は広いからね〜緊急時に数日移動にかかっては助けられるものも助けられなくなるだろう?ほら、入って入って」
黄龍がなんらかの呪文を唱えると鏡の表面に白い光の渦が現れた。紡はそっと手を伸ばすが、その瞬間体が鏡に吸い込まれた。
「紡!」
宵霧と勇陽、シレーナがすぐに後を追う。最後に黄龍が転移したあと、鏡の表面は何事もなかったかのように洞窟の壁を映し出していた。
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転移は一瞬だった。
次の瞬間紡たちは桃花城の地下書庫にいた。キョンシーの司書は動じた様子もなく、ぺこりと一礼する。
「お帰りなさいませ、紡様。そして黄龍様」
「真面目にお仕事ご苦労様。さて、綺璃のとこに行くか」
どこからか現れた秋ひよこがぴょこんと勇陽の頭に乗る。どうやら綺璃のところへ案内してくれるようだ。秋ひよこがぴよぴよ鳴く方へ歩いて行くと無事に綺璃のいる部屋へ着いた。
「綺璃様、ただいま戻りました」
「紡!桜蘭でのことはフェオンから聞いておる。ご苦労じゃったな。扶桑へ向かうまでの短い間だが茶と点心を用意してあるからくつろいでくれ。ゾンズはまだ着いておらぬようじゃ」
綺璃に勧められるまま紡たちは茶と点心を口にする。黄龍曰く扶桑は特に東華料理が有名で美味しいのだという。
「扶桑は森に護られた街扶桑と港町水藍に大きく分かれる。海の幸も山の幸も美味しいし〜何より崑崙の雪解け水から作られる扶桑命酒がすっごく美味しいんだよねえ〜甘酒もあるよ。扶桑で一番美味しいのは実は大衆食堂なんだ。早くて安くてとっても美味しいよ〜」
黄龍は扶桑の観光ガイドを紡に手渡す。
「いやでも四凶が現れたんだろ?そんなにのんびり観光してる暇は」
勇陽は困惑する。
「予想通りなら四凶の窮奇は森の奥の辰砂龍の遺跡から動かないと思うよ〜。強力な結界もあるから。それにゾンズならまず君たちを連れて食い倒れツアーをやると思うし」
「く、食い倒れツアー?」
シレーナは明らかに困惑した表情を浮かべる。緊急時にまず食い倒れツアーをやるゾンズとは一体。
「ゾンズは扶桑地区を愛しているんだよ。だから戦いの前に美味しいものをたくさん食べて気合い入れるんだって。まあお腹空いてたらパワー出ないから正しいよねえ。あと扶桑地区は桜蘭と違って入り組んだ路地や下町が多い。そういう地形を知っておいて欲しいのもあるのかな〜」
「確かにそういう地形で戦ったことはないっすね。セロ区は裏路地とかでもそこそこ広いし街灯とかも多くて暗くはないんすよ」
「街中で戦うことにならないといいけど.....ほら、このガイドブックによると水藍は歴史地区に選定されてるみたい。窮奇自体は動かない気がするから大丈夫そうな気もするけどね」
リュシンが点心を食べ終わり、ごちそうさまと言った後でくい、と紡の服の袖を引っ張る。
「街中で、戦うの良くないの?」
紡は小さく頷く。
「莱人が言ってたんだ。なるべく街中では戦うなって。一般の戦えない人たちが巻き込まれたりするけど何よりも、思い出の詰まった場所が壊れてしまうからって」
「思い出?」
リュシンはまだよくわからないといった様子で首を傾げた。
「なんて言えばいいのかな。僕もそこまでたくさん思い出を持ってるわけじゃないから上手く言えないんだけど……その場所に行くと心が動くような場所かな」
「心が、うごく。あったかい感じ、とか?」
紡はリュシンに頷く。
「そうだね。壊れた建物は直せるかもしれないけど、やっぱり完全に同じにはならないから」
紡自身の記憶は一度、喪われている。ヒバナの助けで少しだけ思い出したもののその記憶が全てではなく、欠け落ちて戻らないものもあることを今の紡はよく知っていた。勇陽と会った頃の自分と今の自分は完全に同じではないし、もしかしたら大きく違うのかもしれない。
「……」
リュシンはそれから何かを考え込んで黙ってしまった。
「そういえば莱人には会えたのか?」
「いいえ。東華区は広いから、案外どこかですれ違ってたりするのかもしれないけど」
綺璃は紡の肩をぽん、と叩く。
「時がくれば簡単に会えるものじゃ。今はまだ会うべきではないだけで。とはいえ変装している可能性も考えるべきか。ユエに写真を見せてもらったがあの触覚のような赤い髪は目立つじゃろうからな」
「しょっ……」
勇陽は噴き出しかけた茶を飲み込み、気管に入ったようでむせる。
「毎日見てたので慣れてたっすけど、確かにあの独特な髪は目立つから別の色に染めてそうっすよね」
「そうだね。紫穂に借りた推理小説とかだと逃亡に変装は基本だったなあ」
「紡は推理小説も読むのね?実はアルビオン区に推し作家がいて……妖精や鉱物と絡めていてトリックもだけどその辺りの知識も得られて面白いのよ」
「そもそも東華区風の服は目立つ……いやでも東華区では逆に自然なのか?と考えられるのは色とか変える感じか」
その頃、桜蘭の宿の一室で宝 莱人が盛大にくしゃみをしたのは言うまでもない。
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「悪いな、少し飛空挺が遅れた」
「ゾンズ。いつものことだが酒臭いな」
綺璃は部屋に入ってきた男を見るなり言い放つ。
「出会って早々そりゃないぜ。別にいいだろ?オレは酒で他人に迷惑かけることはないし、むしろ呑むほど強くなるからな!」
「つの?」
リュシンはとことことゾンズに近づいていってじっと頭上に生えた角を見つめる。
「おう。オレは青龍の神子だからな。お前とお揃いだ」
「おそろい」
ゾンズは骨ばった大きな手で優しくリュシンの頭を撫でる。
「ゾンズは酒豪だが実力は確かじゃ。それに人柄も良い。酒豪で酒臭いが」
「悪かったよ綺璃嬢ちゃん。いい香りのする香水でも探しとくか。で、そこにいるのが紡たちか。挨拶が遅れたがオレは青龍の神子ゾンズだ。東華区の東の端にある扶桑地区を担当している。向こうに着いたら美味いものをご馳走してやるよ」
「ゾンズさん、よろしくお願いします」
「おう」
ゾンズは長身で筋肉質。声が大きくよく笑う。リュシンが懐いたことからも綺璃の言う通り人柄は良いのだろう。
「経つ前に報告だ。扶桑の四凶は窮奇で間違いない。だが、桜蘭の渾沌と同じく本物の四凶ほどの圧は感じないし、森の奥の辰砂龍の遺跡を守ってるみたいに奴は微動だにしない。元々遺跡は先代の青龍の神子の結界に守られてるが、中は瘴気に覆われちまって様子はまったくわからん。どういう感じに変質してるのかもな。街に直接被害が無さそうなのはいいが、扶桑界樹が心配だ。瘴気があんまり酷いと侵食されかねん」
「扶桑界樹か……確か扶桑地区にも桜蘭の砂漠薔薇と同じように結界石があったな。区核石ほどの力はないが人々と土地を守る石じゃったか」
綺璃にゾンズは頷く。
「ああ。扶桑界樹は一部が琥珀化しているらしい。琥珀から成ったとの言い伝えもあるがな。オレも魔除けとして琥珀を耳につけてる。扶桑の住民は大抵魔除けも兼ねて琥珀を持ってるよ。着いたら人数分贈るから耳につけとけ。扶桑地区は余所者にも寛容だが、琥珀をつけてると仲間意識が働くらしくてな。窮奇と戦うためにも役立つだろう。さ、そろそろ出るぞ」
「え、あの窮奇と戦う作戦とかは」
扶桑の文化は知れたが、肝心の窮奇に対する作戦は何も考えていない。それでいいのかと紡は困惑するが、
「まあまずは食事と観光だ。敵が動かない限りは無理に動くこともない。それに現場を見るのも大事だ。理詰めだけじゃ上手くいかんこともあるからな!」
ゾンズに押し切られる形で紡たちは桃花城を出て、飛空挺で扶桑地区へと発った。




