第二幕 夢みる流星
ーーこの世界に、シルクスに【神】はいない。
遺されたのは世界のどこかで聳え立ち世界を支えているとされるいわゆる【世界樹】の伝説のみ。
だが、私は会ったのだ。出会ってしまったのだ。
本来なら出会うはずのない別の世界の神にーー
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【界渡り】という能力を持つ者がこの世界には存在する。
それは本来なら【花宿鳥】という精霊のみが持っていた力だった。
だが、この精霊は人を愛し、その加護の力がこの世界に存在する【因子】と結びついた結果、私はその能力を偶然にも得たのだった。
もっとも、その力が発揮できるのは眠っている時だけ。
私は【夢】のかたちで世界を渡るのだ。
その日の私は何故か少年の姿で、見慣れない店の前に立っていた。
かたわらには私が生まれた時からずっとともにいる【花宿鳥】。
躊躇いながらもここがどこなのか聞こうとして、呼び鈴を鳴らした。
「いらっしゃいませ。あら、迷子かしら?」
「は、はい……」
一言で言えば、春の陽だまりのような女性だった。ふわふわの髪に、シフォンのスカート。パステルピンクは彼女にとてもよく似合っていた。
「とりあえず、中へどうぞ」
「お邪魔します」
女性に手を引かれながら店内を抜ける。きらきらと輝く鉱物が所狭しと置いてあることで、私はここが鉱物の店であることを知った。
「はい、とりあえずこれでも飲んで落ち着いて。甘いチョコレートは好きかしら。ちょうど知り合いの人が贈ってくれたものがあって」
勧められるままにティーカップに注がれた紅茶を飲み、鉱物を模したチョコレートを食べた。彼女曰く私が選んだ鉱物はサファイアだったらしい。青くきらきらしたチョコレートの味は夢なのにはっきりと覚えている。おそらく、あのチョコレートにはミントが入っていた。表面のきらきらは粉砂糖だ。甘く、でも爽やかな味に魅せられて、それからチョコミントが好物になってしまったのはまあ、仕方がないだろう。
「さて、異世界の迷子さん。ここのお店には選ばれた人しか来れないの。わたしの役目はその人に相応しい鉱物を渡すこと。さあ、この箱を開いて」
店主に言われるままに、少し震える指で箱を開く。
「ひとつはサファイアだけど……もうひとつは……あら……珍しい」
ほんの少し青みがかった白い石に黒く葉のような模様が見える。手に取るとひんやりしているはずの石なのに、湧き上がる力を感じた。
「デンドリックオパール。そういえば、あなたの世界では世界を支える樹があるのよね。結晶樹。まあ、もうあの樹への道が開かれることはないでしょうけど」
「……確かに私の世界にはそういう言い伝えがありますが、何故それを?」
聞いた瞬間、鳥肌がたった。この女性はただものではない。人間ではーー
「ふふ。わたしは少しあなたの世界と縁があるのよ。もう遠い昔のことだけど。安心して?わたしはもうかつてのあなたの世界をどうこうするつもりはないわ。わたしを傷つけたものたちに対する復讐はこの世界を生み出した時にもう終わっているの」
「生み出した……?世界を?」
ーーそんなことができる存在は、私の世界には存在しないとされているものの、その存在を密かに信じられているーー
「そうね。あなたにわかりやすく言えば、【神さま】なの、わたし。厳密に言うならばもう少し複雑なんだけどね。そろそろ夢も終わるわ。あるべき世界へお帰りなさい」
景色がゆらめく。
夢の最後に見たのは、物語でよく見る姿。
ーー【竜】の影だった。
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「……目が覚めたら枕元にデンドリックオパールのピアスとサファイアの指輪があったなんて誰も信じてくれなさそうですし、あの場所では取り上げられたかも知れないので隠しておきました」
今、組織の長に登り詰めた青年の耳にはピアスが光り、指に嵌めたサファイアの指輪は抜けなくなった。
「この世界には神はいないとされてはいますが……」
青年は思う。
確かに世界樹は、彼女の言葉を信じるのなら【結晶樹】は世界の楔ではあるのだろう。だが、結晶樹が楔である時点で、その楔が繋ぎ止める世界を作った存在が別にいるはずなのだ。
「私は神を顕現させて、問いたい」
何故、このような歪んだ世界を作ったのか。
そして答えによってはーー
「私は神を殺す。そして世界の理を書き換えて、その歪みを正しましょう」
**
【白紙域】のひとつ。地下の奥深く。
通称【卵】と呼ばれている培養槽の中、誰かが小さく声を上げた。
チューブ塗れの体は動かせず、液の中では喉も動かず、それどころか瞳も開いてはいない。
(たすけて)
それでも声なき声は、身体に埋め込まれた虹色の欠片によって、届くはずのない場所へ届く。世界を超え、時さえも超えて。
(大丈夫だよ)
(その石の石言葉は【希望】だから。いずれきみはきみの【希望】に出会う。どうか、その手を離さないで。運命の導くままに)
【卵】の中で誰かはただ眠っている。
孵るその日を今はただ静かに待ちながら。
【白紙域】の漆黒の空を、静かにひとつ、星が駆けた。
**
「【白紙域】で流れ星⁉︎」
いつものように【栞】で情報収集をしていた萊人は嘘だろ、というように声を上げた。
「それって何かすごいことなんですか?」
紡はよくわからないと言った様子で読んでいた電子教本にブックマークをつけた。
「すごいっていうかありえないんすよ」
「あ、宵霧」
「こんばんは。夜になったんですることもないし遊びにきたっす。紡はまだ【白紙域】のこと詳しくない?」
「あー。まあ【白紙域】に出動命令が出ることはほとんどないし、シルクスから出るってこともほぼないから後回しにしてたけどいい機会だから説明しとくかね」
萊人はそういうと部屋のプロジェクターに自らの【栞】を接続した。
「実際の写真がこちら」
「……真っ白……と真っ黒……」
プロジェクターに映し出されるのは廃墟と真っ白な地面と、真っ黒な空。
「こんな感じで、【白紙域】には生命体はいない。紙魚種や文字喰いはうろついてるけど、ある程度の周期で自然消滅するとか。建物も本来なら存在できないんだが、なんか知らないけどそこそこ原型留めた廃墟というか古代遺跡?が基本的に残ってるんだよねえ。で、重要なのが、【白紙域】っていうのは文字通り【世界の空白地帯】。つまり時間の概念もあそこないんだよ。ずっと止まってる。はじまりも終わりもない。だから、そんなとこを普通に流れ星が流れていくのっておかしすぎるわけだ」
「なるほど……」
「まあ、おかしすぎるとは言いつつ過去に事例がないかといえばあるっすね。ただ……機密扱い?らしくて内容は読めないけど」
「は?流れ星流れましたーってだけで機密?きな臭いなあ。アクセス不可でも発行元だけはわかんない?」
「んー発行元は高天区っぽいですけど……」
「よし、じゃあ行こう高天区」
萊人はそう言うと【栞】の接続をプロジェクターから解除してどこかに連絡を取る。数分待つと返信が返ってきた。
萊人はんへ
歓迎します。明日の夜、高天区の神社でお会いしましょう。
**
「ふふ」
高天区で最も高い、桜の名所で知られる名峰の八号目付近。
シルクスで最も高いその場所で、白い狐の女はそっと目を細めた。
「月が綺麗やなあ。な、あんたもそう思うやろ?」
「ええ。しかし、あまりにも連絡が急ではありませんか?はっ、もしや不届者?」
思わず身を固くする猫耳の少年の頭を、白く細い指がそっと撫でる。
「ほんまお仕事熱心やね。でも安心してええよ?萊人は昔馴染みやさかい」
「客人は萊人様というのですね」
「うん。かなりのイケメンなんよ。訳ありやけど。そういや、昨日【白紙域】を流れ星が流れたそうやねえ。彗星や流星は凶兆ともされるけど、今の時代では人々が願いを託すものでもある。さて、果たしてどっちなんかねえ」
女は話しながら少年の頭を撫で続けていたが、気配に気づいてぱっと手を離した。
「調査が終わりました。【白紙域】の流れ星は、ここ高天区に堕ちています。周辺に被害などはないですが、落下地点にはこちらが落ちていたので回収を」
「ご苦労様。……これは……種?卵?とりあえず預かって土に埋めて水をやっておきます。邪気は感じられない。むしろ、これは……陽の気です。ただし、陽の気は隠の者を引き寄せます……」
女は素早く背後に炎を纏った符を放つ。
短い断末魔とともに紙魚種の虫型が燃え上がり、インクのような染みになった。
「長、お手を煩わせてしまい申し訳ありません」
「気にしないで。この種?卵?が傷つかないように慎重に動いてくれたのでしょう?この子が無事である以上任務は成功です。戻って休みなさい」
「御意」
再び静かになった境内の一画を白い女は猫の少年が持ってきてくれたスコップで掘ると、丁寧に種のような卵のような何かを埋め、水をやった。
「さあて、何が孵るんやろ?」
「可愛い子がいいです。いや、その、虫とかはなんか嫌なので」
「せやなあ。そういえば。うちの陰陽師一族では流れ星は【界渡り】するって言われとるんよ。だからこの子も、別の世界から来たんかもしれんね」
ふたつの【卵】は夢をみる。
孵る時を静かに待ちながら。




