第十六幕 かつて君に、星を見た
――キミという【星】を守りたい。汚れた手でもできることがあるなら、絶対にこの手を離さない。
重い秘密を抱えた金山緋弦と同じく秘密を抱えた、彼女がかつて出会った青年フィオレ。
幼く、だが誠実な想いで交わされた約束は彼らをどこへ導くのか。
トリチェッロ区、中央地区を舞台に緋弦編、開幕。
ーー運命に囚われるのは嫌だ。
ーー母親と同じ道を辿るのは嫌だ。
たとえ全てを壊しても、それでも私は「生」を望む。
「着いたー」
「ふむ、ベッドもふかふかだな」
トリチェッロ区の中央地区。大学が立ち並ぶ昔ながらの街並みを見下ろす部屋に、金山緋弦と香宮津紫穂はこれから調査のために宿泊する。
トリチェッロ区で頻発する【鏡像】事件。中央地区での発生件数自体はそう多くはないが、起こっていないわけではない。ふたりはこれからカフェで情報提供者の女性と会うことになっていた。
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カフェにつくとほんわかした雰囲気の女性が待っていた。
着ている服には東華区風の模様が入っていて、肩にカエルが乗っている。
「初めまして。私は月。ユエお姉さんって呼んでねえ。緋弦ちゃんに紫穂ちゃん、これからよろしくねえ。そうだ、この子たちを連れて行って」
ユエはそういうとふたりにイヤリングを差し出した。
「紫穂ちゃんにはお魚さん、緋弦ちゃんにはうさぎ。そうねえ、式神、みたいなものかしら。カエルはどうかなって思ったんだけどある人に止められたの」
「そういえば。ユエさんは誰からの紹介なんですか?私たちの名前を知っているってことは」
「あらあら。言っていなかったわね。莱人くんとお姉さんは古い知り合いなの」
「そうなんですか?」
「東雲さんとも知り合いだから安心してね?そもそも【魔女】が基本的にこの世界の住民を傷つけることはないのだけど」
緋弦は少し考え込む。
「あの、【魔女】ってそもそもどういう存在なんですか?御伽話の中の存在だと思ってたから....」
「そうねえ。この世界の理は【魔女】と【竜】。そして【世界樹】と言われているけれど、【月読みの魔女】であるお姉さんですら、【竜】も【世界樹】も見たことはないわねえ」
ユエはのんびりとした様子で語る。
「ああ、でも。【アルカナシステム】を生み出したのはとてもつよい【魔女】と【竜】、そして【世界】のアルカナを持つ者だ、って伝説は各種【魔女】の家系に伝わってるわねえ。【魔女】はね、基本的には【区核石】の観測者みたいな感じかしら。担当区域の【区核石】に異変が起こった時に、上に知らせるとともに、応急処置をする感じ」
「ユエさんの担当って東華区ですか?その、東華区の言葉で月のことをユエって言うって」
「そうよお。緋弦ちゃんは物知りなのね」
「でも、なぜトリチェッロ区に?東華区ならセロ区の方が近かったと思うんですが」
「んー.....月の導きかしら。平たく言うとね、お姉さんはここに来ないとダメだったのよお」
緋弦は首を傾げる。
「来ないとダメだった?」
「そう。【鏡像】事件はね、思ったより大変なことみたいなのよお。【魔女】も【童話】のみなさんも基本的にはこの世界には干渉しないんだけど、【アルカナシステム】と【区核石】、【この世界と理】の維持に関わることだけは例外で。少し前、【アルビオン区】は【童話】が動くほどの事態が起きた後だからトリチェッロ区ではそんな大事にはならないと思ってたんだけどねえ」
「あの事件は大変だったな。私は別行動が多かったが、【童話】の長や【神話】と関わった。そして【バロックパール探偵事務所】の妖精たちとも。結果、これらの勢力は同盟関係を結んだんだったな」
ユエは頷く。
「ええ。お姉さんも上からこれらの勢力から協力要請が出たら従えって通達を受け取ったわ。そして、お菓子と共に数日前に通達が来たの。まあ、【魔女】たちにとって【童話の魔女】からの協力要請は、古き盟約に基づいた絶対的なものなのだけどねえ」
「【童話の魔女】?【童話】とは違うんですか?」
ユエは少し考えて、
「同じとも言えるし違うともいえるわねえ。とりあえず忘れないで欲しいのが、【童話】と今の【神話】、そして【魔女】たちは【アルカナシステム】を壊すことはしないってこと。【アルカナシステム】は【アルカナ保持者】がひとりでも欠けると成立しない。だから【正義】の紫穂ちゃん、【星】の緋弦ちゃんにちょっかいかけてくることは絶対にないわあ」
「アルカナ保持者……欠けたら成り立たない……」
緋弦はそう呟いて表情を曇らせた。
「……そう。成り立たないの。緋弦ちゃん。あなたの事情をお姉さんは知ってる」
ユエは真っ直ぐに緋弦の瞳を見て、ふわりと抱きしめる。
「……だから、ここに来たの。あなたの宿命を断ち切るために」
「どうやって……どうやって私を助けるんですか?次の誕生日に、わたしは……」
ユエは静かに告げる。
「遠い昔。一度だけ巡り合った人、あなたに星を見た、男の子を探しなさい」
**
ーー今のあたしにはこれぐらいしかできない。
遠い記憶、雨のトリチェッロ区。路地裏。
傷口に染み込む雨。優しく伸ばされた手。
ーー世界の大企業の社長令嬢が、聞いて呆れるけれどね……
彼女は高そうなハンカチを迷いなく取り出して俺の傷口を縛ってくれた。
ーーあ、ありがとう。でも、ハンカチのお金……
ーーそんなものどうだっていいよ。あくまで応急処置だからあとでちゃんと手当はしてね。
ーーでも、じいちゃんがこの世は【等価交換】だって言ってたんだ。一方的にもらうのは、心苦しいよ。
ーーそもそも大事なものを落としたあたしのせいだもの。そうね、でもどうしてもっていうなら……いつか、いつかあたしが自分ひとりじゃどうしようもできず【運命】に飲み込まれそうになった時……助けて欲しいの。
彼女の声は凛として、だけど最後の方は震えていて。
だから、幼い俺は約束をした。
ーー約束する。その時が来たら、俺を。フィオレを呼んで。
ーーありがとう、フィオレ。わたしはヒヅル。ヒヅルっていうのーー
「……ヒヅル……」
幼い頃の夢を見た。
それ以来、彼女に会うことはなかったし、お偉いさんが集まるパーティ会場でもその名前を聞くことさえなかったのに。
依頼人から渡された任務の詳細が書かれたファイルには、かつて会った少女の名前が記されていた。
「……今の俺はもう……キミに会う資格も……助けて支える資格もない……それなのに……」
嬉しいと思ってしまう。住む世界が違う、決して手の届かない【星】。
「……約束は、約束だ。どれだけ時が流れても、俺が俺として交わした大切な唯一の約束を果たすべきだな。星に手を伸ばして、焼け落ちるとしても、この出会いが最後になるとしても構わないや」
任務の詳細はただ一文だけ。
ーー金山緋弦を、あなたの【星】を守り抜きなさい。
**
「ふう」
「少し、休憩しましょうかあ」
緋弦たち三人はトリチェッロ区の中央地区を一通り見て回った後でカフェに入った。
夏の日差しで火照った体にはジェラートがありがたい。
「美味しーい!本場のティラミスジェラート最高!」
「これであと見てないのは美術大学ぐらいか。緋弦曰く、学生は情報を持っていると聞くが……」
「確かに大学の構内に入るのは難しいけど……」
ジェラートを食べ終えた緋弦は広場に絵を広げている人物の元へ進む。
トリチェッロ区の中央地区では絵を売っている学生が多い。学費の足しや、将来のパトロンに出会うことを夢見て。実際、トリチェッロ美術大学在学中にスカウトされてデビューし、一躍有名になったアーティストもいる。
「あ、この絵好きかも」
緋弦はそう言って一枚の絵を手に取る。描かれているのは美しい夕暮れと、明るく輝く星だ。
「いい絵でしょう?俺もお気に入りなんです……」
絵を売っていた学生は、緋弦を見ると一瞬驚いたように固まり、軽く咳払いをした。
「どうしたの?私の顔に何かついてる?ま、まさかさっき食べたジェラート?」
「いえいえ。ちょっと、知り合いと似ていただけで。これも何かの縁です。割引しますよ」
「ありがとう。でも割引はしなくていいよ。この値段でお願い。でも、もしあなたが大丈夫ならちょっとだけ聞きたいことがあるの」
緋弦は手早く支払いを済ませ、額装された絵を受け取る。
「いいですよ。答えられることならなんでも」
「あなた、トリチェッロ美術大学の学生さんだよね。今、トリチェッロ区で【鏡像】事件が頻発してるのって知ってる?」
青年は頷く。
「もちろんです。クラスメイトにも被害者がいます。ここだけの話、すぐにあいつは戻ってきたんですけど、ちょっと前と雰囲気変わった感じはしますね……あいつっぽくないっていうか。とはいえ事件前後で性格が変わることはあるでしょうから俺の勝手な推測ですが」
「その人の名前教えてもらうとか、連絡取ってもらったりはできる?」
「……そうですね、いいですよ。俺が同行すれば向こうも安心でしょう。明日の同じ時刻にまたここにきてください。【鏡像】事件、俺も調べておきます。学生は情報が早いですからね。それでは良い一日を」
「ありがとう」
その後、ホテルに戻った緋弦は、小さな絵を部屋に飾った。
「うん、とってもあたたかい絵」
続いて同封されていた名刺を手に取る。
「フィオレ……?」
**
忘れない。
忘れたことはない。
慣れない異国。迷子になって大事なものを落としてしまった。
雨の中、見ず知らずの子どもに手を差し伸べてくれた子ども。
その後町の不良に奪われて、大事なものを取り返すために傷を負った子ども。
その子の名前が、フィオレだったこと。
「……うーん。でも名前だけじゃ同じ名前の人なんてたくさんいそう……眼の色と髪の色は記憶と一緒だけど……あの子と同じかはわかんない……聞いてみようかな。明日……本人だったら約束のこと覚えてるよね?」
**
「……任務完了」
薄暗い闇の中、男は仮面を外した。
倉庫の中に積み上げられているのは大量の絵画。
「……さて」
男は薄暗い闇の中、中庭に掘った穴の中に絵画を投げ込んだ。
そしてためらいなく火をつける。燃え上がった絵画からは黒いモヤのようなものが現れる。
【還れ】
男はそれに向けて浄化の炎の球を放つ。モヤは清められて消滅した。
「ホント厄介なものを残してくれたよ。じいちゃん。まあ、今更この責務を投げ出すことはしない。そもそもじいちゃんだってこんな使われ方望んでなかったし、利用された絵にだって罪はない」
男は火が消えたのを見計らって廃洋館を後にした。
**
「こんにちは。時間より少し早いし、キミひとりかい?」
翌日、緋弦は少し早くフィオレの露店に来ていた。
「大丈夫、みんなすぐ来るよ。私はちょっと、どうしてもあなたに聞きたいことがあったの」
「聞きたいこと?」
緋弦はじっとフィオレの瞳を見て尋ねた。
「あなたと私、子供の頃に会ったことあるよね?」
「……はい」
フィオレは素直に頷く。
「……あの時は本当にありがとう。あ、大丈夫。今のこととかは聞かない。私もフィオレも、多分言いたくないことや秘密が増えてると思うから……だけど、それだけは、確かめたくて」
「そうですね。確かに言えないことは多くなりました。必要があればうそもつきます。だけど、あの日にした約束に関することだけは、絶対に嘘は言わないと約束します。そうだ」
フィオレは緋弦におもちゃの指輪を差し出す。
「あなたには価値がない安物の指輪ですが、いつかもう一度会えたら渡そうと買ったものです。この指輪を約束の証に」
緋弦は受け取った指輪をはめて、笑う。
「この指輪だいぶブカブカだね。首から下げたほうが良さそう。確かに指輪はおもちゃかもしれないけど、私はフィオレの気持ちが嬉しい。大事にするね」
「ありがとうございます」
その後月と紫穂と合流して【鏡像】事件の被害者と会ったが、特に収穫のないまま解散となった。
その夜、緋弦たちは夜中に騒音で目覚めることになる。
ーートリチェッロ区の私設美術館のひとつに、【怪盗】ヴェネレが予告状を出したからだった。




