第十三幕 糸口
現実と夢。紡は今いる世界である齟齬を見つけ、現実ではないと確信する。
一方現実では手に入れた糸口により事件解決に向けて動きが……
ーー歴史の表舞台から一族の名を消すのはさほど難しいことではなかった。人間の記憶というのは曖昧なものだから。
だが、その対象を人ならざるものにまで拡げるならば決して容易なことではない。その上に私の一族はアルカナの資格者だった。
先祖たちはアルカナシステムを作り出した【童話の魔女】やトリチェッロの実質的な影の支配者である【水鏡の魔女】、強大で無慈悲な力を求める者の目から隠れるためにアルカナを騙る術を織り上げた。
「先祖たちは今の私を見たらたいそう怒るに違いない」
賑やかなトリチェッロ区の南に常に霧に覆われた小島がある。トリチェッロ区の住民は口を揃える。
「あそこは死者の島だ」と。
「死者の島。間違ってはいない。この島にやってくるのは「死んだ」者だけだ」
鎮魂の鐘が鳴る。そろそろ診療所に戻らなければならない。
数百年の間魔術によって消えない炎を灯す蝋燭に照らされたカタコンベを後にする。
外に出ると曇天が迎えてくれた。風は嵐の予感をはらみ、生温く。
「嵐になるな。もっともこの嵐を起こしたのは私自身だが」
ペストマスクに隠されて表情は見えない。
「だが悪習は断ち切られるべきだ。その過程で代償を払うとしても、私は.....」
静かに落ちた雨粒が嘴に触れる。
「あの子を救いたいのだよ」
**
「紡くんの様子は?」
「問題ないです。呼吸は正常。ただ眠っているのと何も変わらない。キラリティさんの見立てでも同じでした」
「そっか。勇陽くん、せめて温かいスープだけでも飲んで。俺の勘だと、彼を連れ戻せるのは君しかいない」
勇陽は小さくお礼を言うとスープに口を運ぶ。トマトと野菜がふんだんに使われたミネストローネ。おそらく作ったのはパフェだろう。
「おいしい。でも、なんでオレなんですか?彼はオレのことを覚えていないし、オレはあんな言葉をぶつけてしまったのに」
「君は紡くんの過去を知っているし、強い言葉は相手に関わらず印象に残る。それに君が彼との間に築いた友情もどこか深いところで糸のようにずっと繋がっていると思うよ。君のアルカナは「太陽」。闇を祓い誰かを照らし見守る者。今度は君が彼の【導きの星】になりなさい」
**
「また、あの夢だ」
満月の夜。【鏡像】に襲われる夢。
夢だとわかっていても、心臓のあたりに冷たい刃の感覚が残っているような気がする。
「おはよう、紡」
「莱人さん、おはようございます」
答えてから莱人の顔色があまり良くないことに気づく。
「朝ごはんを食べたら緊急会議をしないといけない」
「何かあったんですか?」
「....【鏡像】事件の被害者が出たんだ。それもこのホテルの敷地内で」
「えっ」
思わず手に持ったカップを落としそうになって溢れた紅茶が手にかかった。
「すぐ冷やさないと」
慌てて冷蔵庫の氷を取り出そうとする莱人に僕は、
「大丈夫だよ。全然熱くないし....アイスティーだったんだと思う」
「そうか....でも気をつけて。食べ終わったら隣の部屋に来てくれ」
「わかりました」
莱人はほっとした様子で部屋を出た。
「....あれ?」
ティーポットにお湯を足そうと蓋を開けて奇妙なことに気づく。
「.....湯気が出てる」
ならば、ポットの中のお湯は熱いはずだ。
「......」
お湯を適当な皿に注いで指先で触れてみる。
本来なら火傷をするはずの温度なのに。
「....やっぱり、熱くない」
一瞬、景色にノイズが走る。
「....」
次に冷蔵庫の氷を素手で掴んでみる。
「冷たくない」
とりあえず確かなことは、今の自分には感覚がないということだけだ。そして一瞬走ったノイズ。
現実世界で世界にノイズが走ることはない。映像ならまだしも....
「まだ、証拠が足りない。それに奇妙だと感じているとどこかにいる黒幕に悟られるのはきっと得策じゃない」
出来るのは現実との齟齬の証拠を集めて、この奇妙な空間から脱出することだ。
ーーきっとこの世界は、「現実」ではないから。
**
「【鏡像】事件の被害者は誰なんすか?」
眠い目を擦りながら集まった宵霧を加え緊急会議が始まった。
「ああ。とりあえず【黒髪】の少年だそうだ」
「黒髪の少年だけっすか?名前とかは」
宵霧の問いに、
「トリチェッロ区に来た観光客らしい。今ほかの区にも連絡して身元調査してるけど全然情報がないらしい」
「情報がない?」
(つまり、僕がこの世界に来る前に会ったことがない人物。当然莱人も宵霧も会っていない少年...少年?)
鈍く頭が痛む。
(ううん。黒髪の少年になら会ったはずだ。【僕】だけは....)
ーーお前なんて、大嫌いだ!
強い言葉だったからこそこうして覚えていられるのは不幸なのか幸いなのか。
「情報がないっておかしくないですか?トリチェッロ区は入区審査をするはずだし、ホテルのチェックイン時に名前は確認するはず」
「確かにそうっすね。偽名にしろ身分確認なしに高級ホテルに泊まれるはずないっす。紡、フロントに行くっす。莱人さんも」
その後、名簿を見せてもらったけれど、彼が泊まっている部屋の名簿には読めない文字が綴られていた。
(....読めない。字が汚いとかじゃなくて、元の世界とこの世界では言語が違うんだ。あとで元の世界の文字を書いてどう変換されるか調べてみよう。でもまずは)
「僕は一応、彼が泊まってた部屋に行ってみます。宵霧、ついてきて」
宵霧とともに彼の部屋に向かい、調べる。手荷物はリュックサックが一個だけ。中身は服と財布と手帳。
「ん?」
手帳の隙間から一枚のメモがひらり、と足元に落ちる。
太陽が沈む
夜は明ける
名前
「.....」
誰にも言わずにそのメモを拾い上げ、大事にしまう。
(被害者の残したメモ。....多分僕宛に)
この世界にはおそらく味方はいない。莱人や宵霧が敵にならない保証はない。
(世界に怪しまれないように動いて、矛盾を見つけないと。そしてこの世界を壊すんだ)
**
「……干渉第一回は上手くいったみたいねえ?」
空気が張り詰めた部屋の中に、のんびりとした声が響く。
金色の髪をお団子にし、東華区風の衣服を身につけた女性は鏡から飛び出してきたカエルキョンシーをそっと撫でた。このカエルキョンシーは彼女の使い魔である。
「協力ありがとうございます、師匠。でも、パフェさんが師匠と知り合いだったとは……」
「【童話】は出来てから実はそこまで経ってないんだけど、現代シルクス中を回っているから色々あるんだ。定期的に【区核石】の様子を見に行く必要があるのもあるけど……ユエさん、急なお願いだったのにありがとうございます」
ユエは首を横に振る。
「困ったときはお互い様よ。むしろパフェさんの案件については何も進展がなくて申し訳ないわぁ。お姉さん、人助けや頼られるのは好きだからどんどん頼りにしてほしいの。こう見えても腕には自信があるのよぉ?」
くるり、と振り返ったユエは莱人をじっと見つめる。
「莱人も、もう少しお姉さんのこと、頼ってねぇ?」
「……頼るのあんまり得意じゃないんで。だけど、本当に必要になったら必ず師匠の助けを借りるって約束しますよ」
「……素直じゃないんだからぁ……でも、うん、まあいいか。約束、守ってね」
「はい、ドルチェと今入れたアイスティーです。飲み終わったらユエさんと頭がスッキリした勇陽くんに情報共有してもらうよ」
「んー……」
むくりと起き上がった勇陽は、まだ少し眠そうにしていた。
パフェはいつものようにお茶会を開き、その場にいた全員の顔合わせが済んだあたりで皿とカップは空になったのだった。
**
「結論から言います。オレは鏡の世界ーー紡の見ている夢に干渉したんですが、メモを残すのがやっとでした。【鏡像】にやられて、夢から追い出されたんです。もうひとつ重要なことがわかったんですが、鏡の世界の文字はこの世界のものと違う。ええと……」
勇陽の書いた文字を見て、
「あ、これって鏡文字っすね……?」
宵霧は腑に落ちた様子で卓上用ミラーで文字を映す。
鏡の中には「あかつきゆうひ」の文字が見えた。
「えっ、これ【鏡像文字】だけど……鏡文字……?水鏡の魔女の家系で絶対覚えなきゃいけない鏡の世界の共通語、【鏡像文字】って解読できるものだったの?」
キラリティは驚いたように鏡の中を見つめる。
「そうっす。トリチェッロ区の有名な芸術家が残した文字で、暗号、みたいに使われることが多いらしいんすけど。基本は既存の現代シルクス文字を上下は変えず、左右だけを反転させて書いてるって言われてて、ある日たまたま寝落ちした研究者が身だしなみのために持ってきた卓上鏡に暗号が写って、解読できたことから【鏡文字】って呼ばれてます」
キラリティは何かを思いついたように、
「じゃあ、みんな【水鏡の館】を拠点にしようよ。うちには部屋はたくさんあるし何より【鏡像文字】で書かれたわけわかんない本がたくさんあるんだけど、解読できるなら紡を救う方法や、【鏡像】事件の原因についてもわかるかもしれない。ボクの一族、基本的に日記とかも全部【鏡像文字】だから。じゃ、先に戻ってるね!」
「確かにホテルより色々効率が良さそうねぇ。あ、でも区独自の方言もあるからトリチェッロ区の辞書を買ってから向かおうかしらぁ。みんなは?」
「すぐに向かいます。あ、でもその前にドルチェ買っていきます。勇陽と莱人を荷物持ちで借りますね」
「じゃあ、俺は師匠についていく。現地でな!」
**
「さて、勇陽くんと宵霧くんを荷物持ちに誘ったのは少し理由があってね」
ドルチェショップに向かいながらパフェは話を切り出した。
「俺の勘だけど、紡くんはもう、自分が【鏡の世界】にいることには気づいていると思う。ただ、大っぴらに動くのは難しい。勇陽くんが【鏡像】に襲われたというのは【鏡像】が彼を異物と認識したということ。ただ、そのことで【鏡の世界】で被害者になった勇陽くんがもう一度現れることがあれば決定的な齟齬になる。月さんの見立てではトリチェッロ区の【鏡像】事件は、確かに【鏡像】こそ鏡の世界から現れているけど、【鏡像】の襲撃後に被害者と【鏡像】を入れ替えているのは人間じゃないか、ってことだった。その場合、どこかで被害者はまとめて眠っている可能性が高い」
「じゃあとりあえず紡はどっかで眠ってて、勇陽が干渉した先は紡の夢、ってことっすか?」
パフェは頷く。
「うん。とはいえ【鏡像】が本当に現れている以上、トリチェッロ区には【鏡の世界】という異層が存在するのも事実。そっちへの対処は番人であるキラリティにしかできないだろうね」
「……提案なんですけど、先にトリチェッロ区の古書店に行ってみませんか?あの人が言ってたんですけど、「神話や民話、伝説には必ずひとかけらの真実が混ざっているものだよ」ーーもし、そうだとするなら、トリチェッロ区の民話や伝説を知ることが手掛かりになるかもしれません」
宵霧も勇陽の意見に頷いた。
「同意見っす。ゲームにだいたい元ネタがあるように、物語にはその元になったものがある。僕たちはトリチェッロ区に来たばかりで、その辺はまだ知らないことだらけ。鏡文字の件だってたまたまやってるゲームに出てきたから知ってただけっすよ」
「確かにそうだね。じゃあドルチェは俺に任せて、ふたりはトリチェッロ区の歴史と民話と、伝説、あと鏡に関する本を探して。水鏡の館で落ち合おう」
「はい」「了解っす」
ふたりの姿が雑踏に消えるのを見た後で、パフェは足を止めて振り返る。
「……全部聞いてたよね、シトラス」
「ああ。ある意味では余計面倒なことになったな……」
「体は大丈夫?ほら、ダイアモンドの力で例外的にこの区に来てもらったから」
シトラスは歩きながらパフェと会話を続ける。
「荷物持ちとして水鏡の館にドルチェを運ぶぐらいなら。というか無茶するなら今だろ。お前が頑張ってるんだから。で、俺を呼んだってことはパフェはこう考えてるんだな?ーー【鏡像】事件にはアクト・フィグメントが関わってる」
パフェは小さく頷いて、一言だけ付け加えた。
「もしくは強力なアルカナ保持者が関わってるんじゃないか、ってね」
「賛成だし、パフェの勘はよく当たるけど。トリチェッロ区の強力なアルカナ保持者で【鏡像】が関わるのはキラリティ・スペッキオーー【水鏡の魔女】スペッキオ一族しか出てこないのも事実なんだよな」
ため息をつくシトラスに、
「けど、それがかえって怪しいんだよね。もちろん俺たち【童話】が全ての資格者を把握できてないのもあるけど……そもそも【童話の魔女】には行方不明者がいる。もしかしてって……思うんだ」
「パフェ……」
「全く関係ないかもしれないけど、どのみちこの【鏡像】事件の黒幕は放っておけないよ。ごめん、まだしばらくかかりそうだから、あの竜の子のことは面倒見てあげて」
「……わかった。無理するなよ。情報が入ったらすぐに知らせる。ペルラたちにも色々、改めて聞いてみる。一番自由に動けるアルビオン区で待機しておくから、何かあったら絶対に呼べよ」
「ありがとう」
シトラスは水鏡の館にドルチェを運び終わってから雑踏に紛れてアルビオン区へ発った。
「……君たちはどこにいるの…?」
パフェは西に傾く陽でグラデーションを描く空にひとりごちて、水鏡の館へと足を踏み入れた。




