第十一幕 第3部ステラ・マリス 一話 【鏡像】事件
第3部ステラ・マリス開幕。
紡たちは【鏡像】事件の調査のためにトリチェッロ区を訪れる。
逃げるようにホテルの中庭の噴水を目指した。
何故だが急に星が見たくなったんだ。
「.....」
昼間に出会った少年は僕のことをハクと呼んだ。
知らないはずの名前なのに、見たこともない顔なのに。
感情が掻き乱される。胸がざわつく。頭が痛い。
「きみは......誰なの?」
黒髪に赤い瞳。どうして少し懐かしい感じがしたんだろう。
「ねえ」
背後から声がした。こんな時間に中庭に人が?
「じゃあ、きみは、だれなの?」
「え」
言葉は声にならなかった。
言葉を口にする前に、冷たい感覚が心臓を穿ったから。
朧げな意識の中で思う。
ああ、これはきっと僕の【鏡像】だと。
気を失った彼を同じ顔の少年が見下ろしている。
噴水に映る月の色は不気味な緋色に染まっていた。
**
「....不吉な夢を見たなあ」
トリチェッロ区一番街。ふわふわのベッドの中で紡は目を覚ました。
今回rOMaNに与えられた任務はトリチェッロ区で頻発する【鏡像】事件の調査。
それだけなら特に高級ホテルを選ぶ必要はないはずだが、東雲から、「いわゆる社員旅行というものだ。大きな事件が続いたから羽を伸ばせ。ホテルはアーサーがアルビオン区でのお礼も兼ねて最高級ホテルを手配してくれたからな!」と説明があった。
「福利厚生はちゃんとしとかないとダメだからね。じゃないと組織ってすぐ炎上するからさ」
莱人の言葉を聞いてそういうものなのかと紡は納得する。福利厚生というものは正直よくわからないけれど。
「それよりトリチェッロ区に行くならそれなりの装いが必要かなあ。観光地だし、流石にこのパーカー姿で行くのも....紡も今は寝てるけど宵霧もよそ行きの服って持ってないでしょ?」
「持ってないし正直服ってよくわからなくて。緋弦や紫穂はたまに流行のファッションで盛り上がってて、紡や宵霧はこういう服似合いそう!みたいなことは何度か言ってたけど、ファッションの用語?が全くわからなくて......」
紡の言葉に、
「まあそうなるよね。世界や戦闘についての知識は講義の基礎カリキュラムにあるけど、日常生活を楽しむ方法は習わないもんなあ」
莱人は少し考えて、
「よし。明日の夕方、宵霧も連れて服を買いに行こう。ついでにセロ区の食べ物以外のお店も教えないと。宵霧も紡もその辺あんまり詳しくないだろうから。服というかファッションは任務にも重要なんだ。目立ちたくない場合は特にその区にあったファッションを心がける必要がある。だから自分に似合う服を知るのは結構大事なんだよ」
**
翌日の夕方。
「服にはほぼ興味ないんすけど確かに地区にあった服ってのは大事っすね」
「そうなんだ」
莱人、紡、宵霧の3人はセロ区のショッピングモールに来ていた。まずは服選びの前に腹ごしらえだ。
「そうっすよ。火属性ボスに挑む時は火耐性装備をつけるでしょ?そんな感じっす」
「つまり合う服だと戦闘力があがる、みたいなことかな?」
「まあそこまで間違ってはないからその認識でいいよ」
宵霧はpenバーガーの新作のダブルサマーバーガーを食べながら頷く。
「けど、そもそもトリチェッロ区ってアルビオン区とイス区に挟まれた高級リゾートとかある運河で有名な観光地っすよね。社員旅行にしてはグレード高すぎません?【鏡像】事件の調査が目的だとしてもイス区から公共交通機関もありだと思ったんすけど……なーんかキナ臭いというか」
「まあ裏があるってのは間違いないと思う。実は今回の依頼は、依頼人が不明なんだよね」
カフェラテを飲み干して、莱人が呟く。
「依頼人が不明?でも任務自体は東雲さんからの要請だったよね?」
ペペロンバーガーを食べ終えた紡が首を傾げる。
「そう。任務は全て東雲さんが確認と検討を行なって割り振っている。だからタダ働きになることはないけど、正直個人的には今回の任務はよくわからない。
依頼人が不明なのに東雲さんが任務として受領したこと。任務内容が調査なのに極秘任務扱いなこと。極秘任務扱いなのに精鋭部隊じゃなくてこの部隊に割り振られたこと。紡、宵霧。この任務にはおそらく裏がある。だからこそ、rOMaN だとバレないことを最優先にして欲しい」
真剣な莱人にふたりとも頷く。
「でも、そのためにはどうすれば?」
「……簡単だよ。観光客を演じるのさ。だから設定を決めようーー」
**
「着いたねー憧れのトリチェッロ区!」
「莱人兄さん、ずっと来たいって話してたもんね」
「うう、疲れたっす……兄さん、早くホテルでチェックインして休みたいっす……」
1週間後、莱人、紡、宵霧の三人は観光客モードでトリチェッロ区の地を踏んだ。
緋弦とも話し合った結果、紫穂は金山財閥の秘書としてトリチェッロ区に入ることになり、ホテルも調査地域も分かれることになった。
さらに前日、【童話】の長であるパフェからも連絡があり、【七罪の呪い】を持つゲーマー男ふたりが昨日トリチェッロ区のホテルにチェックインしたことと、【鏡像】調査への情報提供協力を約束する、と教えてくれた。
トリチェッロ区は大きく3つの地域に分かれている。
1番北に位置する運河が張り巡らされた北地区。高級ホテルやショッピングモール、博物館を持つ落ち着いた雰囲気の地区だ。
中央に位置するのは大学やトリチェッロ区本来の街並みを残す中央地区。オフィスやカフェ、美術館もあり、学生が多い。
最後に1番南に位置する湾岸地区。美しいビーチは特に夏は観光客で賑わう。トリチェッロ区の中では物価が安いが治安はあまり良くないと言われている。
紡たちは北地区を、緋鶴たちは中央地区を、【童話】のふたりは湾岸地区を担当することになった。
雰囲気に圧倒されながら、紡、莱人、宵霧の3人は高級ホテルにチェックインを終えた。
「さて、トリチェッロ区でも服を少し買っておこう。少しでも現地に馴染むためにね」
「兄さん、必要経費で落ちるからって余計なものを買ったらダメだよ」
「とりあえず僕はサングラスが欲しいっす、兄さん」
「……兄さん呼び、悪くないなあ」
高級ホテルから石畳を少し歩くと船着場がある。運河に囲まれたトリチェッロ区では、他の区と違いゴンドラでの移動が主流。運賃を払ってゴンドラに乗り、水上に浮かぶ北地区最大の商業施設に向かった。運河の幅はそれ舗広くないので移動時間はほぼかからない。
フロアガイドとにらめっこしながら服を買い足し、最後にトリチェッロ区の観光ガイドを買って商業施設を後にする。
途中、広場でジェラートを買って休憩していると学生らしきグループの話し声が聞こえてきた。
「だから、出たんだって」
「また【鏡像】の話かよ?都市伝説だろ?まあ確かにトリチェッロ日報には注意喚起が出てたけど、被害者にも特にいつもと変わりはないんだろう?」
「そうだけど、僕は確かにあの夜ーー」
「うぜえ。いい加減おんなじ事ばっか言ってうざいんだよおまえ。それとも今のお前は【鏡像】の方なのか?」
「え?」
少年が思わず足を止める。
「そうだよな?おんなじ事しか言わねえ。【鏡像】【鏡像】。聞き飽きたよ」
もうひとりの少年は乱暴に彼を突き飛ばし、ゴンドラに飛び乗って去っていった。
「……大丈夫かい?」
とっさに莱人が少年を受け止めたので彼には怪我はない。
「は、はい……」
「……君さえ良ければ、君が会ったという【鏡像】について話を聞かせてもらえないかな?」
「え、信じて……くれるんですか?」
「もちろん。君は嘘をつくようなタイプには見えなかったからね」
莱人は少年を安心させるように微笑んで頷いた。
「……ここは人が多いですから場所を変えましょう。そこのカフェは個室があったはず。ボクはリティと言います。今から1時間後にカフェ・アクアに来てください。詳しくはそこで」
「ああ」
リティはぺこりと頭を下げるとそのまま去っていった。
「【鏡像】を知っている人がいるなんてラッキーっすね?」
「そうだね。闇雲に探すよりはずっといい」
「……ああ」
ほっとした様子でジェラートを再び食べている紡と宵霧とは対照的に莱人の表情は晴れないままだった。
「【鏡像】の被害者には目立った外傷もなく、後遺症もない。もしもそれが……」
ーー【鏡像】の方だとしたら?
**
「時間通りですね。初めまして。rOMaN のみなさん。ボクはリティと言います」
カフェの一室でリティははっきりと紡たちに告げた。
「……え?ええ?」
戸惑う紡たちにリティは続ける。
「心配しなくてもあなた達の敵にはなりません。ボクは【魔女】の一族であるスペッキオ家の当主で【水鏡の魔女】の末裔なんです。だから、水鏡に映る未来を視ることがある。その結果、あなたたちに一度会っておく必要があったので会いにきたんです」
「じゃあ、【鏡像】に会ったってのは、嘘なんすか?」
宵霧の問いにリティは首を横に振る。
「いえ、それは本当ですよ」
「そして、【鏡像】はトリチェッロ区の区主や一般人が考えるより相当ヤバいものなんですよ。まあ、普通の人間には気づけないでしょうけど」
「……これはあくまで仮説だけど。もしかして【鏡像】に襲われた後に戻ってきたのは……本人じゃないってことか?」
リティはすっと目を細めて莱人を見る。
「ふうん。キミは物事を見る目がありそうだ」
「……ということは少なくともそうだと、君は思ってるんだね、リティ」
「待って。リティが【鏡像】と会ったなら、このリティが【鏡像】っていう可能性もあるんじゃ……」
紡の言葉に、
「そうだね。何せボクたちは初対面だ。そこに意識がちゃんといくのは冷静な証拠。実際、トリチェッロ区では【仮面】を被っているものが多い。鏡には真実なんて映らない。鏡に映るのは偽りだけだよ。ボクの持つ特別な【水鏡】を除いてね」
「……リティはシルクスで有名なあのRPGソシャゲはやってるっすか?もしやってたらここでフレンドになっといてもらいたい。今のあんたが【鏡像】か本物かどうかはわからないけど、少なくともログイン時間とプレイスキルや癖の把握はできるから」
「いいよ。ボクも必要以上に疑われるのは心外だ」
リティはすぐに宵霧の要求を飲んだ。
「助かるっす。あとで簡単なマルチ一回付き合ってください」
「上級素材のキャリーお願い。じゃなくて。【鏡像】の話をしておこう」
リティは自らが【鏡像】と会った日のことを語りはじめた。
**
その日は満月だった。
仕事を終えて玄関の戸締りをして、ふと夕食を買っていないことに気づいた。
トリチェッロ区の北地区の店は閉まるのが早いが、観光客向けのショッピングモールはまだ開いている時間だ。
運河を渡る船に乗ってショッピングモールに向かい、買い出しを終えて家に帰る途中だった。いつものように満月が運河に映っている。
「え?」
だが、この日は奇妙なことが起こった。
水に映る満月の色が、急に緋色に変わったのだ。そして、辺りから音が消え、気配を感じて振り向くと、
「……」
後ろに自分と全く同じ姿をした影がたたずんでいた。
「【鏡像?】」
【鏡像】は、何も言わずにどこからか現れた鎌を掲げる。
その鎌の一閃をリティは必死で飛びのいて避ける。
「このっ!喰らえ!」
水弾を相手に向けて放つ初級呪文アクアバレットで応戦。
「……」
水弾が【鏡像】を撃ち抜くと同時に【鏡像】は水になって消え、世界が揺らいだ。
「……やったか」
改めて空を見る。
月は変わらず白く輝き、水面に映る月も同じ色をしていた。
**
「これがボクの遭遇した【鏡像】だ。そしてこの話で分かったと思うけどボクは本物だよ。ただ、【鏡像】に関しては満月の夜に出現しやすいぐらいしか情報がない。ボクの場合のように攻撃してくるのかもはっきりしない。なにせ、ボクの魔力感知によれば、被害者は全員【鏡像】と入れ替わっているからね。まあ、言ったところで信じられないだろうし、そもそも【鏡の世界】への道はそう簡単に開けるものじゃないから、現状そのままにして秘密裏に調査だけしているんだよ」
莱人は少し考えて、
「今の話を【童話】に共有してもいいかい?」
この言葉にリティは目を丸くした。
「えっ、君たち【童話】と知り合いなの???」
「そうだけど。どうかした?」
「……ど、どうかしたって……あ、あの方たちは【魔女】にとってはものすごい存在なんだよ?」
リティの体は小刻みに震えている。
「お、落ち着くっす」
「確かにものすごく強い人たちではあるけど……」
実際に【童話】のパフェやソルベ、シトラスと会った時のことを思い出してみると、非常に強力な能力者であることはわかる。わかるのだが。
「ソルベさんはペンギン大好きだったし、シトラスさんはなんとうか苦労人感があったし、パフェさんはお菓子のイメージが強かったからなあ……」
「会話を!?しかも実際に会った??」
リティは明らかに羨望と嫉妬の混じった瞳で莱人たちを見つめている。
「いいなあ……じゃなくて」
リティはこほん、と咳ばらいをしてアイスカフェラテをもう一杯飲み干した。
「もちろん共有してください。それで【童話】の役に立つのなら。【童話】も【鏡像】を追っているなら、【鏡の世界】への道を開く方法にたどり着けるかも」
「【鏡の世界】って何なの?」
リティは少し考えた後、
「どういえばいいのか。この世界には基本的に表と裏が存在している。表が今ボクたちがいる世界だとすれば、裏の世界は別の層――精霊や妖精などが住んでいると言われる領域だ。異世界みたいなものと考えてほしい。そして、【鏡の世界】というのはトリチェッロ区に存在すると言われている異層。昔、鏡の中に迷い込んで戻ってきた人間がいたことで明らかになった。ボクは今回の【鏡像】事件はこの異層との均衡が崩れたことが原因だと思っている。そして、本物の被害者はおそらく全員鏡の世界に囚われている」
「なるほどな。だが、リティが【水鏡の魔女】なら君はおそらく【番人」なんだろう?君の他に【鏡の世界】への道を開ける人間はいるのか?」
リティはもっともだ、と言った後で、
「それはボクにもわからない。この世界には人ならざるものや他の【魔女】もたくさんいる。【鏡像】事件を意図的に引き起こしたのか、それとも均衡を崩したことで【鏡像】事件になったのか……それすらもわからないけど、均衡を崩すなら【番人】として動かないといけない。もし、君たちが本当に協力してくれるなら明日の夜に、北地区の【水鏡の館】に来てほしい。観光ガイドブックにも載っている洋館だ。その際には【童話】からの返事もよろしく頼むよ」
紡たちはリティと別れてホテルへ戻った。
**
「うーん……」
その頃、メッセージを受け取った【童話】の長、パフェは頭を抱えていた。
「【鏡像】事件、思ってたよりだいぶまずそうだね。でも、【七罪の呪い】に鏡に関係するものはないんだよなあ。白雪姫とかいればよかったんだけど……とりあえず俺がリティに会いに行くから、シトラスは一応このことをアルビオンの【バロックパール探偵事務所】に報告しておいてもらえる?」
「ああ。【七罪の呪い】を受けた全員は……まだ見つかっていないからな」
シトラスは頷いた後で長いまつ毛を伏せた。
「大丈夫。いつかまた会えるよ。今は【鏡の世界】に干渉できそうな人を見つけないと……」
パフェが立ち上がるときに、テーブルに軽くぶつかり本がばさっと落ちる。
彼は本を片づけるために拾い上げ、開いたページを見て「これだ!」と叫んだ。
「ねえ、シトラス、ここの記述を見て」
「ああ、なるほどな」
シトラスは頷いてどこかへ送るメッセージを書き始める。
「俺は予定通り明日リティに会ってくる。こっちの件は任せた」
「安心しろ。……カフェに入り浸るなよ」
「……努力します」
その様子を横目に見ながら、パフェは自室に戻り旅支度を始めた。




