最凶の布陣
吐き気をもよおす激マズ薬を飲み続けて三日目。の朝。
日課の雄叫びを上げたところで神父様が帰ってきた。
「……聞いた通り。いやそれ以上の雄叫びですね」
神父様はニコニコと部屋へと入ってくる。
食事を運んできてくれるシスターはもはや無表情。
二日目の朝までは扉の向こうで『大丈夫かー⁉』『アリスお姉ちゃん死なないで!』と声をかけてきてくれた皆もいない。
つまり平常運転。すっかりいつも通りな日常というわけだ。
みんな順応能力が高くてなによりです。
……なんて神父様みたいなこと言うと思ったら大間違いだ! ちくしょう人でなし! お前ら後で覚えておけよ!
口の中の苦みというかえぐみというか。
不快以外の何物でもない後味を打ち消すために、少し濃いめに味付けされたスープを涙と一緒にかきこむ。
余談ではあるが、『犯人はシスターなのか?』『シスターなら声を上げる前に始末してる!』と野次馬した奴らは、物凄い速さで飛び出したシスターにブン殴られている。
いや、殴られた現場を直接見たわけではないんだけど。
ゴッゴッという鈍い音がこちらまで響いてきたので間違いなく処されたのだと思う。生き急ぎやがって。
「そこは悲鳴とやんわりぼかしてくださいっ!」
分かってる。あれは悲鳴じゃない。雄叫びだ。しかも野太いやつ。
けど美少女が雄叫びなんて上げるわけがないじゃないか。
自分が意味の分からないことを言ってるのも自覚してる。理解してる。
ただね。私だって年ごろの女の子だ。羞恥心ってやつだ。年長者ならば察して欲しいものである。いや察して然るべきである。
「ふっ……くくっ……悲鳴。そうですね、悲鳴です。とっとても……可愛らしい……悲鳴、です」
何が神父様のツボに入ったのか。
さっぱり全くこれっぽっちも分かりたくないが、肩を震わせて耐えている。
何をって、笑いをだ!
シスターに至っては無表情のまま身体が小刻みに震えている。……こいつも笑ってやがる!
私は二人を視界に入れないよう顔を背け、スープに添えられているパンをちぎらず直接かぶりつく。というか、食いちぎる。
朝食を食べ終わる頃には二人の振動は嘘のように治まっていた。
「さて、魔法学校の件ですが。……すみません。そんなに睨まないでください」
二人の振動は治まろうとも、私の怒りは治まらない。鎮まらない。
まだ幼いとはいえ、立派な女性だ。その自尊心を傷つけるなど言語道断。聖職者、いや一人の男性として許されていいはずがない。
シスター? あの人は男だとか女だとかの前に、言動の主に動が大人としてどうかと思うところが存分にあるので論外だ。いっそ人外枠でいい。
食後のお茶を淹れてくれた神父様は苦笑すると、唯一の贅沢、ヘソクリとも言えるハチミツを私の分だけたっぷりと注ぐ。
――甘味は人の心を穏やかに、そして豊かにする。神父様の口癖だ。
神父様が手ずから淹れてくれたお茶はとても甘かった。
「ゆるします」
決してチョロイと言うなかれ。喧嘩で大切なのは引き時だ。矛の収め方を間違えないのが円滑な人間関係に必要なのだ。
『ごめんね』やそれに相当する物が差し出されたら快く受け入れる、許容の心。
その人の器の大きさを証明する大切なものだ。私も大事にしたいと常々思い、そして実践している。
私はチョロイのではない。器が大きい人間なのである。断言する。
甘味によって私の機嫌が穏やかになったことを察した神父様は話を続けた。
「改めて。魔法学校の件ですが、結論から言いましょう。……領主様の許可が下りました。試験、入学及び通学に必要な物、金銭全て。全面的に支援してくださるそうです」
「全面的にって。魔法学校に関わる全部、ですか?」
随分と……というかあまりにも好条件過ぎやしないだろうか。
これは夢だろうか。
死因は凶刃だろうか。光の渦だろうか。それとも魔力回復薬という味覚破壊兵器だろうか。
「ええ。全部です。ですからアリスは一切の憂いなく、とにかく勉強をすること。それがこれからのあなたの『仕事』になります」
頬に走った痛みでこれが夢ではないと確信する。頬を抓っている指を外した。無意識の所業だった。
――勉強が仕事か。いいご身分だわ。
なんて一瞬でも思った自分は甘かった。ハチミツたっぷりのお茶なんて比じゃない甘さだった。
「薬屋のグレイス女史もあなたの『仕事』に協力してくださるそうです」
神父様の一言でさぁっと全身の血の気が引いた。
薬屋のグレイスとは、あの偏屈ばーさんのことだ。
自警団のおっちゃん達も町長さんもおば……おねぇさまがたも。誰ひとりとして頭が上がらない。むしろ積極的に下げる方向で相対する魔王。いや魔女だ。
私のような小娘なぞ『うっせーババア』なんて心の中で呟いただけで匙が飛んでくる。おっかない魔女だ。
思わぬ大物の登場に言葉を失う。
「グレイス女史が座学、私とシスターが実技を担当します。絶対に入学できますよ。ええ、私たちの名にかけて入学させますとも」
私は瞬きすら忘れて神父様の顔を凝視してしまう。
なぜだろう。神父様の笑顔の後ろに恐ろしい悪魔のような何かが見える。
そして脳裏に『最凶の布陣』という、えらく物騒な単語が浮かんだ。
最強でも最恐でもない。最凶だ。
これ以上なく不吉、という意味だ。
「勉学に重要なのは予習と復習。そして実践です」
――さぁ、明日から忙しくなりますよ。
神父様の妙にウキウキとした様子を眺めながら私は昼と夜の激マズ薬を飲み込んだ。
もう雄叫びは上げなかった。
否。上げるだけの精神的余裕なんてなかった。
夕食後、『退院』を告げられた私は大部屋のベッドで寝た。隣の子が『……大丈夫?』と声をかけてくれたが、なんと返答したか記憶にない。
アリス、七歳。入学試験は九歳。そして入学は十歳。
人生最初の地獄の日々が幕を開けようとしている。
アリス「神父様の『甘味は人の心を穏やかに、そして豊かにする』って言葉。実は私の心に響く名言のひとつなんですよ」
神父様「おや、光栄ですね」
アリス「どんなに勉強が辛く荒んでも、鬼教師にイビられても、甘いものを食べたらそれだけで幸せになるんです」
神父様「ほう……。実はその言葉には続きがあるんですよ」
神父様「『しかし懐を寂しくさせる』です」
アリス「……思い出を汚さないでください」




