新興派
――貴族の連中には気をつけろ。
突然の物騒な話題転換に私は言葉を失い、神父様は表情を消した。
不快な沈黙が執務室に満ちる。
最初に言葉を発したのは領主様だった。
「アリスには馴染みがないし、ピンと来ないかもしれない。だが魔法学校の学生は大半が貴族だ。だから知識として持っていて欲しい」
「確かに。敵を知らないままだと初動が遅れますからね」
……敵? 今、敵っつったかこの聖職者。
「貴族社会の中で、ここ数年急速に勢力を広げている派閥がある。新興派と呼ばれる連中だ。……『領地なし』って言えば分かるか?」
「元平民、もしくは騎士階級だった人たちですよね? ……あのいけ好かない」
「そうだ。そのいけ好かない連中の集まりが新興派だ」
『領地なし』とは、成り上がりを侮蔑するための下品な言葉だ。
元々は由緒正しい貴族が新参貴族に対する皮肉として使っていたらしいのだが、今では私たち平民が侮蔑の意味を込めて使用する場合が多い。
――アンタ様は大層ご立派な態度をお取りになるが、さぞかし広大な領地を治めてらっしゃるんでしょうな。おや、『領地なし』でしたか。これは失礼。
こんな感じだ。
……信じられないだろうが、このセリフはあのうだつの上がらない町長さんが言ったセリフだ。
ある猛吹雪の夜に旅行中の貴族が街へ避難してきたことがあるのだが、翌朝そいつは事もあろうに町長さんの愛娘を手土産に寄越せと言ってきたのだ。
――たかが平民の娘が貴族の愛妾となれるのだから栄誉なことだろう。何が不満だ。と。
こういう理不尽をさも当然のように押し付けてくるのが『領地なし』だ。とても正気の沙汰とは思えない。
逆に、行商のお兄ちゃんの雇い主さん、もとい雇い主様は最近貴族に叙された土地を持たない貴族だが、『領地なし』と言われることはない。
天災のような難癖を付けてくることはないし、手を出せる領分が広がったとかで取り扱う商品が増えた。行商に来る頻度も上がった。
そちらに利が増えたのだからその分こちらにも何か寄越せ、とは言ってこない。むしろ他に入用のものがあれば都度教えて欲しいと頭を下げたくらいだ。
「貴族に叙される功績を上げたのに領地を与えられないのはおかしい。これが新興派の言い分だ。まぁ分からんでもない。分からんでもないがな……」
「土地は無限にあるわけじゃないですし、貴族になれただけ儲けもんとか、もっと頑張ろうとは思わないんですかね」
「思いもしないのが新興派と呼ばれる連中ですよ。貴族の特権には必ず相応の義務が課せられます。特権の上澄みだけを見て妬み強請り、あまつさえ民を守るために貸し与えられた特権で民を傷つける始末。度し難い愚か者の集まりです」
神父様、痛烈にバカ者呼ばわりしましたね。私もしたけど。
「しかし、いくら数だけは多いとはいえ、あの連中に勢力と呼べるほどの力があるとは思えないのですが」
確かに。町長さんをブチ切れさせた『領地なし』も、結局は乱痴気騒ぎを起こして牢屋に入れられた。
その一報がもたらされた夜は街のみんなで『祝・平民逆戻り』祭りをしたからよく覚えている。所詮『領地なし』なんぞこの程度よって。
「そこですよ、父上。奴らは所詮下位貴族の集まりです。議席数もさほど多くはない。商売の規模もたかが知れています。ところが最近、『婚姻』によってあちこちの古参貴族と縁続きになっているのです」
「婚姻? それはまた随分と古典的な……」
「これが笑っていられる類のものではないのです。……マクスウェル伯爵を覚えてらっしゃいますか?」
「もちろんですとも。実直な好青年でしたからね。奥方を失った時の悲しみようは忘れられません」
マクスウェル伯爵は私も知ってる。シスターが『尊敬しています』と目を輝かせた傑物だ。伯爵を受け継ぐ前は領都の騎士団で切り込み隊長をしてたらしい。
ここが国だった頃から代々北側の統治を委託されてるって聞いた。
「昨年、後妻を迎えました。後妻の実家は王都のセントベルグ子爵家です。……ええ、新興派の中核とも言える『領地なし』ですよ」
――新興派の中核。それを聞いた神父様は目を見開いた。
「……あなたはそれを許したのですか⁉」
珍しく神父様が声を荒げる。
領主様は目を伏せ、ソファの背に深く身体を沈めた。
「もちろん許したくなんてありませんでしたよ。領内の新興派を抑えるのでも妻と二人で手一杯なのが正直なところですし。ですが子爵令嬢が『コブ付きの出戻り』とはいえ、伯爵がその貞操を奪ったとあれば……その代償に婚姻を認めざるを得ないでしょう……」
「貞操を奪った⁉ 彼に限ってそんなことは――」
「あったんですよ。私はもちろん、祖父上にも調査をお願いしました。彼をよく知るウォーディントン公爵も、陛下までもが独自で調査をしたそうです。ですが結果は皆同じでした。『夜会で出会った二人は一夜を共にして親密になった』という結果がね。……物証もありました」
ウォーディントン公爵とはエリオット領の北隣、ウォーディントン領を治める領主様のことだ。
しかし想像したくないが……物証ってつまり……うわぁぁぁぁぁ。
同じものを想像したのか、神父様の表情がゆがむ。
「ですから今の新興派の連中は油断なりません。我々の力に代わる『何か』を持っているとしか思えない。現に奴らが婚姻までこぎ着けた件を調べると大半がソレでした。マクスウェル伯爵のように、何故と言わざるを得ない人物までもが醜聞によって婚姻を結ばされています。婚約者と良好な関係にあった年若い子息や令嬢とて例外ではありませんでした。……しかしその『何か』が分からない。だから油断ならないのです」
領主様はそこで一度目をつぶると、大きくため息をついた。
「アリスは平民です。新興派の目的が領地の獲得にあるならば直接狙われることはないでしょう。ですが、その能力を道具として利用しようと目論む輩が出ないとは限りません。父上の『王国の盾』たる教育に耐えられた稀有な人材です。まして入学前にあの魔力量。同学年の中でも特に抜きん出た存在となるでしょう。となれば警戒するのは新興派だけに限らなくなる。この子の安全を思うのなら、いっそ入学を許可しなければいい。しかしそれはこの地を預かる領主として許せない。才能の片鱗を徒花として田舎で腐らせるなど『盾』たる私が許さない。……父上もそう思ったからこそ、この子の進学を後押ししたのでしょう?」
「ええ、そうです。この子を孤児のままにしておくなどエリオットの未来にとって多大な損失となります。志半ばで亡くなったご両親にも顔向けができない。かといって、辺境伯家として保護すれば新興派にその地位を狙われる。堂々巡りですね……」
……私は両親の顔を知らない。
知っているのは、神父様と両親は友人で死の間際に産まれたばかりの私を神父様へ預けたということだけ。
顔を知らないくらいだから思い出と呼べるものなんて何もないけど。でも。不意打ちで出てくると、ちょっとつらいな。
神父様もため息をつき、領主様も「そうです」と力なく呟いた。
だが、私に向き直った領主様の目には静かだけど力強い光が宿っていた。
「……だからなアリス。さっき俺がくどいくらい特待生になれって言ったのは、アリス自身を守るためでもある。お前はバカじゃないからバカを演じるのは難しい。しかも相手は貴族の連中だ。新興派なんてエセ貴族だけじゃない。本物の貴族もいる。俺が言うのもなんだが、腹芸奸計なら向こうのが達者だ。なんせ生まれた時から親兄弟相手に化かし合いをしてる連中だからな。バカ正直に同じ戦場に立つ必要はない。お前がすべきは能力を才能に開花させて誇示することだ。うるさい奴らは実績でぶん殴れ。利用されないくらいに突出しろ。厄介ごとに巻き込まれた時は『上』が手を貸す逸材になれ。お前は身分こそ平民だがエリオットの人間だ。エリオットの人間なら実力で勝て。我々に『負け』は許されない」
――我々に『負け』は許されない。
領地なしになくて、領主様たちにあるもの。
あのいけ好かない連中にないのは土地じゃなくて矜持なのかもしれない。
私たちに頭を下げた雇い主様の姿がふっと脳裏によぎった。
「分かりました。……いえ、正直言うと貴族とか派閥とかはよく分かりません。でも、学校って基本的に身分差は考慮外なんですよね?」
ありとあらゆる権力が影響しないということは、身分差という壁がほとんど機能しないと考えてもいいだろう。
なら、私にだって勝算はある。
私は領主様の目を見てほほ笑んだ。
「だったら私は負けません。武術はシスターに教わりました。魔術は神父様に教わりました。知識はグレイスばーさんに教わりました。屁理屈は自警団のおっちゃん達に教わりました。本音と建前の使い分けはおばちゃん達に教わりました。世渡りは町長さんに教わりました。金勘定は行商のお兄ちゃんに教わりました。喧嘩の仕方はクソガキ共に教わりました。仲直りの方法は孤児院のみんなに教わりました。『盾』が『盾』たる矜持は今、領主様に教わりました。……だから絶対負けません」
ロクでもないものも、ロクでもあったものも全部街の人たちが教えてくれた。
神父様は私が腐るのを未来の損失だと言った。
なら、私は先生たちを守る『盾』のひとつになってやる。なんせ防御魔術は私の十八番だからね!
「『盾』が『盾』たる矜持か。いい例えだな。なるほど父上が手ずから仕込むわけだ。……なら俺もアリスに負けないよう精一杯支援しなきゃならんな。我がエリオット風に言えば『援護は任せろ』ってやつだ。思う存分暴れてこい。面倒臭いことを言って来る貴族がいたら俺や父上にチクれ。責任をもって黙らせてやる」
領主様はニッカリ笑ってアルフレッドさんに声を掛けた。
アルフレッドさんは紙ではなく羊皮紙の書類を二枚取り出すと、それを神父様に手渡す。書類を見た神父様はニッコリと笑みを深めた。
……私知ってる。この顔は悪いこと企んでる顔だ。
「父上が戻るまでアリスは城で預かります。よろしいですね?」
「ふふふ、愚息も少しは成長しているようですね。私を使うようになりましたか。……アリスのことは任せました。馬を一頭借りますよ」
「ええ、準備は出来ています」
「えっちょっ、当事者置いてけぼりは良くないと思います! 神父様、どこか出かけるんですか?」
悪いこと企んでる神父様は書類を見せてくれた。
……なになに、領の通行許可証と…………。
「王城への登城許可証⁉」
王城へ入ってもいいですよーってあれだ。これがないと部外者は出入りが出来ない。当然、ホイホイ発行されるようなものじゃない。
しかもこれ陛下との謁見の予定も入ってるんですけど……何しに行くのよ神父様……。
「先んじて少々『黙らせて』来ます。引退し市井に下った身とはいえ、年寄り連中には私の方が顔が効きますのでね」
こうして私の城預かりが決まった。
ニッカリ笑った領主様によって城の騎士団で揉まれることも決まった。
アルフレッドさんが再び「ね、似た者親子でしょう」と耳打ちしてきたので「まったくです」と同意しておいた。
アリス「『領地なし』に元々良い感情はなかったんですけど、学校へ行ってからますます嫌いになりましたよ」
神父様「一般常識が世間と乖離し過ぎて会話にならなかったでしょう」
アリス「物理的に黙らせられなかった分、王子よりも厄介でした」
神父様「…………普通逆では?」




