第2章 アビの廊下で咲いた再会の笑顔
研究室を出たあと、ジンは「まずは現場を見ろ」と言って、農業区画へとジオを連れていった。
アビの農業区画は、薄い霧のような冷気に包まれていた。
人工太陽灯は弱々しく、照明の揺らぎが植物の影を細かく震わせている。
培養槽の並ぶ通路には、かすかな薬品の匂いと、
機械の低い唸りが漂っていた。
「ここが俺の職場だ。見ての通り、太陽光不足で全部がギリギリだ。」ジンは肩をすくめながら、
巨大な培養槽のひとつを叩いた。
中には、灰色がかった肉片のようなものがゆっくり脈動している。
「これが……鉄肉?」
「そう! 俺が名前つけたんだぜ。鉄みたいに硬いから鉄肉!」ジオは思わず顔をしかめた。
「ネーミングセンス悪すぎだろ。」
「うるせぇ! 他にいい名前あるなら言ってみろよ!」ジンが笑いながら言うと、培養槽の脈動が弱く揺れた。
その揺れは、まるで太陽の鼓動の弱まりを模倣しているかのようだった。
「……本当に弱ってるんだな。」ジオの言葉に、ジンは静かに頷いた。
「生活区画も寒くて、住民が疲れ切ってる。
鉄肉の生産が止まったら、食料も危ない。」
ジオは胸の奥に重いものを感じながら、農業区画を見渡した。(アビも、セレも……限界が近い)
「生活区画も見ておくべきだ。」ジンが言ったその瞬間――
廊下の向こうから、人だかりのざわめきが聞こえた。「なんだ?」研究区画の前で、数名のスタッフが誰かを囲んでいる。
その中心に――見覚えのある横顔があった。
マナだった。
そして、その隣には、小さな女の子がマナのコートの裾をぎゅっと握って立っていた。
ジオは一瞬、息を呑んだ。(……誰だ?)マナが来ているだけでも驚きなのに、見知らぬ少女まで一緒だとは思っていなかった。
マナはセレからアビに来て、所長に生活区の状況を報告しに来ていたのだろう。
肩までの髪が少し乱れ、疲れが滲む表情をしていたが――ジオと目が合った瞬間、
その表情がぱっと花が咲くように変わった。
「……ジオ?」声が震えていた。
驚きと喜びが一気に溢れたような、抑えきれない笑顔。マナは数歩、自然とジオに近づいた。
その動きは、心が先に動いたような、そんな温度を帯びていた。
「ジオ……本当に、ジオなの?」
ジオは言葉を失った。
マナの笑顔は、アビの寒さや疲労を一瞬で忘れさせるほど、あたたかかった。
そのとき、マナの隣の少女が、ジオを見上げた。
大きな瞳が揺れ、少しだけ不安そうにマナの手を握り直す。ジオは戸惑いながら、マナに視線を向けた。「……その子は?」マナは嬉しそうに頷いた。
「紹介するね。この子はジュリー。セレから一緒に来たの。」ジュリーは小さく会釈した。
その仕草があまりにも健気で、ジオの胸がきゅっと締め付けられた。その瞬間――
ジオの脳裏に、学生時代の記憶がふっと蘇った。
冬の講義室。
暖房が壊れ、吐く息が白くなるほど寒かった日。
マナが「寒いね」と笑いながら、自分の毛布を広げてくれた。
二人で肩を寄せ合い、同じ毛布にくるまりながら授業を受けたあの時間。マナの肩の温度。
毛布の中で触れた指先。
何も言えなかった自分。
その記憶が、ジュリーの小さな手と重なった。
「セレの状況を伝えに来たの。人工太陽灯が不安定で……ジュリーも寒くてよく泣くの。」
マナの声が少し弱くなる。
「ジュリーに、いつか本物の暖かい太陽と、
地球を見せたい……」その言葉は、ジオの胸に深く刺さった。ジオは静かに息を吸い、
マナとジュリーの両方を見つめた。
「……必ず、太陽を取り戻すよ。」マナは驚いたように目を見開き、そしてまた嬉しそうに笑った。
ジュリーも、少しだけ安心したようにマナの手を離した。
その笑顔は、弱まった人工太陽灯よりもずっと明るく、アビの廊下をほんの少しだけ照らした。ジオはこの瞬間、研究の目的が変わったことを自覚した。
科学のためではない。
人々の生活のため。
マナとジュリーの未来のため。そして――太陽は、きっと人の想いに応える。
ジオはそう信じ始めていた。




