ep.56 平成元年恋物語
こんばんは、お立ち寄りいただきありがとうございます。自力で書いてるやつです。
AIにはまだまだ負けますが、これも小説の筋トレのつもりで頑張っております。
小渕官房長官がちらっと額縁を見てひっくり返し、
「新しい元号は『平成』であります」と言う
と一斉にフラッシュが焚かれ、テレビの映像はその『平成』という額縁をアップで映した。と同時に、およそ日本の全人口一億人余りが、この初めて目にする『平成』という言葉を初めて口にしたことだろう。
この物語はその平成元年当時の、とある中学校の男子生徒と女子生徒との淡い恋物語である。
僕以外誰もいない放課後の教室の窓からは西日が差し、明日の日直の当番の名前以外何も書かれていない黒板を眩く照らしていた。黒板の下のレールに置いてある長細い黒板消しは端っこだけチョークの粉が残っていた。いつからか、僕はクラブの始まるまでの間、放課後の教室で居眠りをするのが日課となっていた。ぽかぽか陽気の中、机にひれ伏し、左腕を「く」の字に曲げ枕にして顔を窓の方に向けて寝る。暖かい日差しが左の頬を温めてくれる、そんな放課後の教室が僕の居場所だった。
九月の終わり、いつものように教室で居眠りをしているとクラスメイトの女子の高田彩子が慌てふためいた様子で入ってきた。
「なあ、水島、ここにあった補助カバン知らん?」
高田が珍しく焦っているので、こちらも重要なものだろうと思い、
「後ろの棚は?」と高田とは逆に冷静に答えると、
「ああ、あった。あれ? うち、確か机のフックにかけてあったと思ってんけどなあ。でもありがとう、助かった」
笑いながら、安心したように僕の隣の席に座ってきた。
「なんか大事なもんでも入ってたん?」
僕が聞くと、高田は背筋を伸ばして、
「うん。ラブレター。水島に渡そうと思って」
「えっ?」
僕は思わず高田から目を逸らせた。
「うそうそ。クラブのメンバーの連絡簿。これなかったら練習試合の予定とか伝えられんから」
照れた分の僕の思いを返してくれよ、と思いながら、内心安心したような複雑な気持ちで、
「そうなんや」と一言しか返すことができなかった。
「で、どうなん? 水島、好きなコとかおらんの?」
ズケズケと聞くのはこの時期は女子の方が積極的なのかもしれない。僕は首を縦に振った。
担任から預かっている教室の南京錠の鍵をかけて、高田と僕は教室を後にした。そのまま二人で職員室へ鍵を戻しに行く。職員室を出ると、高田と僕は一緒に中央階段を降りて、高田は所属する女子バレーボール部のある体育館へ、僕は自分の所属するサッカー部の部室に向かった。
「高田先輩!」
後ろから、一学年下の高田の後輩の女子が高田の練習用ユニホームの背番号を見て声をかけてきた。
「梅宮さん、今日の練習メニュー、昨日と一緒やから、一年のみんなに伝えて先に練習始めといて。後から行くから」
ちょっとは先輩らしいところがあるな、という見直した目で僕は高田の横顔をちらと見た。
「じゃあ」
手を振る高田よりも、高田の後輩の梅宮の方を僕は見ていたような気がした。
「なあ、水島、今日の裏メニューのパン、美味かったなあ」
同じサッカー部のサイドバックの坂下が声をかけてきた。
「いや、俺、食べてないからわからんわ。裏メニューなんかあるん?」
僕は素直な疑問を投げかけた。
「何言うてるねん。一年半も中学生活過ごして、この中学のパン屋の裏メニューも知らんのか? 銀チョコって言うねん。銀色のフィルムで包装されてるチョコレートのパン。パン屋の申込書の空欄あるやろ? あそこに『銀チョコ』って書くねん。そしたらそれが裏メニューで手に入るねん。そんなん、常識やで」
常識と言われても、そんなことは誰からも聞いたことがなかった。
レガースをセットして、右のスパイクの紐を結んでいると、ウイングの今江がやってきた。
「なあ、今江、パン屋の裏メニューの銀チョコって知ってるやんなあ?」
坂下が今江に聞く。
「おう、知ってるけど、なんでそんな当たり前のこと今更聞くん?」
「え? だって、水島が知らんって言うから」
二人の間では銀チョコは常識なようだ。
「一年、二年集合」
キャプテンの肥田が集合の号令をかけると、グラウンドに散らばっていた部員が一斉に集まった。
「一年、ドリブル。二年、フォーメーション」
三年生が引退して新キャプテンに選ばれた肥田もキャプテンが板についてきた。
僕は一年生教育係という役職を与えられていたから、一年生と一緒に練習をする。僕はボールを一球ドリブルをしながら、一年生の練習場であるグラウンドの東側に向かった。
ゴールネットは中学ができてから替わってないので、白いゴールポストはところどころ錆びて茶けている。ゴールネットはボロボロで、結んでも結んでも解けてくる。公立の中学校なので頻繁にサッカーゴールを買う費用もない。ゴールに向かって赤いコーンをいくつか立て、その間をドリブルして最後はシュートを打つ、というのが一年生の今日の、というかいつもの練習だ。
「水島先輩、見本見せてくださいよ」
一学年下の後輩、石本が僕を囃し立てるようにからかってくる。これはもう見本を見せろ、というのではなく、からかって言ってきているのだ。
僕はボールの入ったカゴから一球ボールを取り、足元にそっと置いて、コーンの間をドリブルしながら、ゴール目掛けてシュートを打った。つもりだったが、途中で何度かコーンにぶつかってシュートまで外す。案の定、後輩たちが、
「水島先輩、しっかりしてくださいよ」と笑う。
「お前らなー」
僕も半分笑みを浮かべ、後輩たちに向かってそう言葉を飛ばしながら、ボールが隣の女子バレーボール部の一年生の練習するコートに飛んでいったので、拾いに行く。
「どうぞ」
女子バレーボール部の一年生が僕にボールを手渡してきた。聞き覚えのある声。一瞬だけあの時見えた横顔。梅宮だった。
「あ、ありがとう」
どうしたんやろ? なんか、手が、手が震えてる。耳元がソワソワってする。一瞬、ボールを受け取った瞬間だけ、スローモーションになったような気がする。いや、気がするだけじゃなくて実際に梅宮の手から僕の手にボールが渡るまで二分ぐらいあったように思う。でも、物理の法則上、たった一メートルの距離をボールが二分もかけて飛ぶはずがない。頭ではわかっている。でも、実際には二分ぐらい、時間が止まっているぐらいにゆっくりボールが飛んできた。
「梅宮さん……」
僕は心の中で三回、梅宮の名前をつぶやいた。
邪な気持ちが沸いてきた。ゴールを外せば、またボールを取りに行ける。でも、僕がゴールを決められるのは一年生に見本を見せるあの一回だけ。あとは一年生の教育係だから一年生の練習風景を見守ることしかできない。
「はい、服部、ドリブルやって」
一年生の中でも小学校からクラブチームでやっていた服部が僕よりも上手にドリブルをしてシュートを決める。ゴールまでは固唾を飲んで見守るが、シュートを打つと安心して見ていられる。必ずゴールを決めるからだ。ゴールを決めると言ってもまだキーパーが決まっていないから、誰もいないゴールにボールを入れるので大概のメンバーはゴールを決めることができる。
「よし、川島、続いて」
小太りであだ名が「小結」と呼ばれている川島。冗談で、あだ名は「小結」、四股名は「かわし丸」と揶揄られている。川島は普段は鈍臭いが、サッカーに関してはキビキビとしていてとても小太りのやる足捌きには見えない。川島も見事誰もいないゴールにシュートを決めて見せた。
「オールファイト!」
サッカー部の向こうのサブグラウンドの女子バレーボール部のコートから甲高い声が聞こえてくる。僕の耳は完全に梅宮の周波数を捉えていた。僕には絶対音感はないけれど、多分、アルトリコーダーで言うところの高いレの音のように聞こえた。
「オールファイト!」
くるくると狭いコート内をランニングしている女子バレーボール部の一年生の動きが気になる。一年生というより梅宮の動きが気になる。普段、サッカー部と女子バレーボール部は交流がないから、部員のメンバーの名前は知らない。もしかすると、小鳥が最初に動いたものを親鳥と思う刷り込みのような現象が起きていて、僕が最初に聞いた声が、横顔が梅宮だから、それで梅宮に興味があるのか、とも思った。それで名前を知っている梅宮が気になるのか、と。でも、それを否定するのに時間は掛からなかった。(了)
最後までお読みいただきありがとうございました。またよろしければお立ち寄りください。




