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ep.46 猫背の茂

今回は短めの原稿用紙七枚ほどです。

『後輩は猫背である』    水 少納言


 後輩は猫背である。名前は茂。

 彼が初めて覚えた文字はなんでも、ひらがなの「ひ」だという。大抵の親は「あ」もしくは「い」などから教えるだろう。「あひる」の「あ」。「いろは」の「い」など。「ひ」は、彼の名前の「しげる」にも名字の「かみじょう」のどちらにも入ってないのである。とんと不思議でしょうがない。百歩譲って、簡単な「し」などを、よく子供部屋の部屋に貼ってあるひらがなポスターの一覧から見つけて覚えたのならまだしも、「ひ」というのは後半の方だし、最初に覚える文字としても不思議で仕方がない。

 彼がどれだけ猫背かというと、横から見ると「り」→こんな感じだ。背中が丸まっていて、ひどい猫背なのである。

 彼は僕のサッカー部の後輩で、サッカーはドリブルに関しては群を抜いてうまいのだが、ことヘディングとなると、高身長の彼でさえ、猫背であるために、低身長の新入生に負けてしまう。一度、猫背を直せ、とみんなで指摘したことがある。それでも彼は猫背を直そうとしないのだ。

 ある日の朝礼のこと、僕も背の高い方なので、彼の学年の方をちらと見ると、彼はやはり猫のように背中を丸めて終始、下を向いているのだ。横から見てもやはり「り」にしか見えない。

 学年の合唱コンクールがあった。各学年一同が講堂に集められて、それぞれ合唱を疲労するのだった。彼らの学年は『上を向いて歩こう』だった。その曲名通り、他のクラスメイトたちが元気に上を向いて高らかに合唱するのに対して、彼はずっと俯き加減に視線を前方に落とし、首ごと下に向けていたのだ。

 彼と僕は同じ町内会で、ちょうど地区の清掃大会というものがあった。秋口のことであった。中学校の横の公園の落ち葉をみんなで箒とちりとりを持ってかき集めるのだが、その時も彼は猫背で。ただ、便利なのは、こと落ち葉を集めることに関しては、彼の猫背が役に立ったのである。

「茂の猫背もこういう時に役に立つなあ」

 僕が冗談に微笑みかけると、彼は照れ臭そうに頭を掻きながら、同時に箒で落ち葉を集めるのだった。

 町内会長が集めた落ち葉で焼き芋を焼いてくれた。焼き上がるまでの間、男子のトークで盛り上がった。最初に、二組の横川が、

「なあ、テニス部の女子なら誰が好き?」と口を開いた。テニス部といえば代々各学年でもかわい子ちゃんが集まるというので有名な美少女集団だ。

「俺はモモちゃんかな。なんか、ちょっとアイドルみたいなところが」

 横川が真っ先にそう答えると、うんうんと何人かが頷いた。

「モモちゃんもいいけど、サキちゃんが俺はいいと思うな」

 僕がそう口を挟むと、また何人かがうんうんと頷いて、その場は馬鹿な中学生の男子らしい話題で盛り上がった。

 唯一その場で口を開かなかったのが、茂だった。茂はやはり猫背のまま丸まった背中で地面にくっつきそうなぐらいの格好だった。「ところで、茂は誰が可愛いと思うんだよ」

 先輩風を吹かせながら、横川が囃し立てた。

「それは……」

「いるのか?」

 横川が興味津々に、茂の顔を猫背を覗くように上目遣いに見上げる。

「えっと……」

 茂が勿体ぶってなかなか言わない。

「早く言えよ」

 横川が痺れを切らせて急き立てる。

「三組のユカちゃん」

 茂の唇がそう動いた瞬間、みんな不思議そうな顔をして、

「え? あの?」

 と首をひねった。

「うん。あの……」

 茂は照れ臭そうに背筋を伸ばした。

「あ、猫背の茂が真っ直ぐになった」

 横川がすかさずそう叫んだが、僕にはそんなことはどうでもよかった。それよりも、どうしてユカのことが好きなのか、それが気になった。

「なあ、なんでユカのことが好きなんだよ」

 茂は、

「その、その……」

 と、天を見上げながら、口籠ってなかなか理由を言おうとしない。

「言えよ!」

 横川があまりの茂の煮え切らない態度に苛立ちを見せた。

「かかと」

 茂が恥ずかしそうにそう打ち明けた。

「かかと、って?」

 みんなが不思議そうに、茂の方に一点集中、視線を向けた。

「かかとが綺麗だから」

 みんなは声を揃えて、

「え? もしかして、足フェチ?」

 と目を丸くした。

「いや。足というよりかかとが好きなんだ。昔から女の人のかかとが綺麗だなと思って、下ばっかり見てたから猫背になったんだ」

 茂は頭を掻きむしりながら、ボソッとつぶやいた。

 なるほど、猫背なのはそういう理由だったのか。合点。納得がいった。

「それで、初めて覚えた文字がひらがなの『ひ』なんだ」

 そう付け加えた。

 みんな目が点になって、

「それで、って意味がわからないよ。なんで初めて覚えた文字がひらがなの『ひ』なんだよ」

 突っ込む先輩連中に、茂は意を決したように、

「かかとを後ろから見ると、ひらがなの『ひ』のように見えて。それで、壁に貼ってあったポスターに似たような形があって、それでひらがなの『ひ』を最初に覚えたんだよ」

 横川が、

「じゃあ、もしかして、最初に覚えたアルファベットは……」

 茂に促すと、

「そんなの覚えてないよ。自然といつの間にか覚えていたよ」

 茂は少し怒ったように、答えた。

 僕はてっきり「U」と答えるのかと密かに思っていた。(了)

最後までお読みいただきありがとうございました。

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