ep.45 「たま」から見た人間の現代はまだ歴史の途中であり、上書きされていく。
ちょっと今日は変わったタイトルをつけてみました。
俺の名前は「たま」。はじめの飼い主はもっとおしゃれな名前をつけてくれたみたいだが、あまり呼ばれたことがないので今は「たま」と呼ばれると返事をすることにしている。返事をすれば婆さんが機嫌よく餌を与えてくれるからだ。なんでも俺はもう少しのところで殺処分される運命にあった。市役所が開いた譲渡会にその婆さんとその息子(中年のおじさんだが)が俺を気に入ったみたいで連れて来られて今に至る。
今昔の物語、これから俺が書く内容についてはどこを調べても出てこない。インターネット以前、あるいはテレビ新聞でさえこの物語を知っている人間はいないのだ。
人間どもは猫の賢さというのに気づいていないみたいだ。俺は話すことはもちろんできれば、耳で人間どものことばを理解することもできる。
現代の人間はインターネットというツールにどうやら翻弄されているようだ。猫の世界ではわからないことがあったときは親兄弟、祖父祖母に聞いたり、猫仲間に直接情報を聞いて集める。でも、人間は、殊現代の人間に関してはなんでもインターネットの検索に頼る。それが見ていて滑稽で笑えてくるのだから、あんな便利な動物はどこを探しても見当たらないぜ。
飼い主の婆さんもスマホ(22世紀の皆さんには古語辞典に載っているのでそちらを見ていただきたいが、一応説明すると、電話による通話とネット通信ができる板チョコぐらいの大きさの端末のことである)で自分の病気のことや薬のことを調べては悩んだり要らぬ心配をしている。
猫の世界だけで通じる話だから現在これを読んでいる読者にはピンと来ないだろうが、歴史は2022年までの史実しか進んでいないのだ。22世紀の皆さんはすでにご存知の通り、2022年以降に起きた歴史は歴史の上塗りであって、存在しないのである。
1997年に1回目の歴史のリセットが行われた。可哀想かもしれないが、一人の青年が犠牲になった。それが俺の飼い主の息子だった。これは全世界の正義の連合によって極秘裏に行われたことなので息子本人も知らない話であった。飼い主の息子(以下Kとする)の生まれた日、つまり1975年の4月2日に彼の体内にマイクロチップを埋め込み、目にはナノカメラを搭載したのだった。1回目の歴史は悪の軍団によって支配され、2回目の歴史も悪の軍団によってまたもや支配された。そこで3回目は二度とそういった歴史を繰り返さぬよう、正義の連合軍がこのような措置を取ったのである。
Kが生まれてくることは2度の歴史の中で明らかになっていたので、チップの埋め込みは滞りなく執刀医によって執り行われた。それ以来Kの見るもの、聞くものは全てデータセンターに記録されることとなことなった。
飼い主の婆さんは都はるみをたくさん聞き、Kにも影響を与えた。Kが生まれた年の末に都はるみがリリースした『北の宿』は翌年までヒットしレコード大賞を獲ることになる。レコードといえばKがはじめて耳にしたレコードは『春よ来い』であった。
この国家プロジェクトは1997年のいわゆる入れ替え戦まで行われた。もっともこの影響を受けたのがマスコミであった。正義のマスコミ集団も悪のマスコミ集団もこぞってKから得た情報を発信した。西がいつも東にやられる。それが正義の集団が地団駄を踏んだところだった。
Kは幼稚園の卒園文集で将来の夢に「ウルトラの母」と書いた。ウルトラ兄弟の絵本を幼稚園で読んだ時に、ウルトラの母の乳房が気になったからだった。母への憧れというよりは、乳房そのものに興味を持ったのだった。真っ先にテレビは乳房が露わになるような番組を流し、青少年の性への関心を誘った。そうすれば視聴率は獲れた。
チェッカーズは1983年にデビューすることは1度目の歴史から決まっていた。ところが彼らが売れるのは1984年の『涙のリクエスト』からである。
公共の電波を正規に受信していた放送局と電波を不正受信していた放送局があり、前者は淡々と歴史の事実に基づいて放送を流した。
Kがチェッカーズに興味を持ったのは解散する前の1991年の頃であった。その頃から、テレビ局は懐かしのメロディーとしてチェッカーズのデビュー時の映像が流れる番組を放送しはじめた。
ファミリーコンピュータを発売した任天堂は歴史の事実に基づいてKが小学校四年生の時にスーパーマリオブラザーズを発売し、爆発的ヒットを飛ばした。ホームラン級であると言っても良い。
高校に入ると、Kは性的趣向がマスコミによって歪められてしまう。Kが美しいと思うものは全て彼の目から情報を得ているマスコミがこぞって表現しはじめた。
22世紀の読者の皆さんは俺の言っていることはすぐに理解できると思う。ただ、2022年より前にこれを読んでいる人は何のことを言っているか俄かには理解できないだろう。
1997年9月9日の前々日にKは作戦を実行しているのである。つまり平成9年9月9日の9並びの日だ。
終末思想が蔓延っていたこの時代、Kがいなければ、というより、もう歴史は変わっているのだから、入れ替え戦は終わったのである。結局、西が東を抑えた形だ。
インターネットに書いてあることはほとんどがデタラメだ。これだけは言っておく。今、2050年より前にこの小説のようなものを読んでいる人、そう、あなたは、今、いろいろなものをインターネットで調べているだろうが、常にデータを上から書き換えているので、明日になればまた違う歴史になっているから、調べれば調べるほど無駄であることを書き添えておく。
Kはその晩、寝る前に自室の窓から月を見た。
月は雲に隠れ、また顔を出す。ビルたちの群れのその間を風がひゅうひゅうと騒ぎ立てる。ガラス張りのビルの窓には月かげが、雲のさえぎりに暗みを帯びたり明るんだりして映っていた。遥かにかすみ見えるだけの山々、そこに流れ星が渡った。瞬く間のことだったが、ひとすじのラインを描きながら勢いよく一心不乱に山にぶつかっていく星の流れは凄まじかった。都会ではめったに観られない光景に、敏感な肌には鳥肌が毛羽立っていた。
流れ星はやがてスッと消え、Kの前からあっという間にいなくなった。
平和。Kは平和を感じていた。この平和を保ってきたのが西側の人間たちである。元はというと日本国そのものと言っても良い。
日本は世界の憧れであった。黄金の国ジパングと呼ばれた時代から日本は世界から注目されてきた。世界の二流品を一級品にしてきたのも日本である。俺の飼い主の人間とらすごい動物なんだぜ。一例をあげていくとキリがない。コンピューターがどうやってできたか。それは簡単なことだ。紙と鉛筆があれば、プログラムを書ける。紙は木から出来ている。鉛筆は黒鉛と粘土を細い木に穴を空けてそこに鉄分を流して作ってある。鉛筆と紙の発明で文字を後世に残すことができる。もちろん、亀甲文字でも木に書いた文字でも残るが、鉛筆に紙で書いたものは書物として後世まで残る。プログラム言語を書いてコンピューターで実行すればそのプログラムが走る。
西側の人間は、正規の歴史のプログラムを実行することによって、東側の人間を一種のカマをかけたのである。645年の大化の改新を覚えるのに「むしごはん」と覚えるだろう。昔はご飯、特に米糠を放ったらかしにしておくと蛆がわいた。蛆をわかない米の薬が開発され販売された。ところがこのCMがKの中ではトラウマになってしまった。701年大宝律令。大雑把な歴史だから、毎日のニュースまでは歴史に残らない。メジャーなやつが残る。そしてその歴史の書物なりが見つかるたびにデータとしてコンピューターに上書きされる。心配いらない。俺はKの肉体を借りて今この文章を書いている。Kは俺の傀儡だ。701年に大宝律令が制定されたとして、それが何月何日までは覚えていない。というか習っていない。701年の5月10日を例えばだが、生まれている人物もいるだろう。俺はこう考える。俺はこれまでたくさんの亡くなった人物を見てきた。肉体は死んでも魂は死なないと俺は考える。このことをいうとみんな俺の話を聞こうとしない、聞いたとしても胡散臭いと鼻で笑われる。ただ、どうしてもこのことだけは伝えておきたいのだ。肉体は死ぬ。亡骸だ。しかし、死んだ後、魂は他の肉体に宿る。つまり赤ちゃんとして生まれ変わるということだ。この人間社会できちんと真面目に生きた人間はもう一度人間に生まれてくる。犯罪者も研究者も生まれは同じだ。ただ、一度めの歴史が証明するように、同じ罪を犯す。それを警察官なり正義の味方が取り締まる。
人生は双六である。何が出るか振ってみるまでわからない。わからないが、1の目が2回連続で出ることもあるだろう。その出た目によって人間はその通り、歴史のいうとおりに行動する。今、俺は1の世界を生きている。1の世界は1997年9月9日で終わっている。歴史を止めたのはKだ。確かにKが歴史を止めたがその後も歴史は動く。当然だ。歴史だから。でもそれは数学によって決められた道を進んでいるだけから。双六やカードゲームと同じで偶然のような必然を進んでいる。
最後までお読みいただきありがとうございました。いろいろな作品がありますので、他もよかったら読んでいただけらと思います。




