ep.40 初めての食堂
こんばんは。今日も一作。これも過去作より。
薬指の日焼けの跡でなんとなく気づいた別れの予感。ハンカチに包んだ指輪を差し出し「別れて欲しい」と動いた唇。
「嫌いなわけじゃない」
なんて一番ずるいよ。
宮下光一と若田恵が出会ったのは高校の入学式当日のことだった。
教室の一番後ろ、二列目に光一と三列目に恵。二人は机を並べて座った。光一の新品のブレザーの袖口が鼻水を拭いたせいでテカテカに光っていた。それを見た恵はスヌーピーのハンカチを差し出し、
「これ、使っていいで」
と微笑んだ。
「ありがとう」
ぶっきらぼうに一言だけ返すと、袖口についた鼻水を拭い取った。
「洗濯して返すわ」
光一が綺麗に四つ折りにして恵にハンカチを見せると、
「別にええよ、そのままで」
そういう恵に甘えて光一はそのままハンカチを恵に返した。
光一が窓外に見える景色に目をやると、金剛山と生駒山が見えた。無論、どれが金剛山でどれが生駒山かわからないが、校歌の歌詞に出てくるので、おそらくはその二つだろうと思った。
入学式早々、恵の周りにはすでにたくさんの友達の輪が広がっていた。それに比べ、人見知りの激しい光一は輪に入っていけず、数週間は弁当も一人で食べていた。
そんな光一に声をかけてくれたのもまた恵だった。
「宮下くんも一緒にうちらと食堂で食べる?」
「ああ、ごめん。おかんの作った弁当があるから行かれんわ。でも水曜日やったら行けるわ」
「わかった。じゃあ、水曜日に食堂に行こう。約束やで」
小刻みにステップを踏んで恵が光一に小指を差し出してきた。
「指切り」
恵の方がいつも積極的だった。光一は言われるがまま、指切りをした。女のコの手に触れるのは初めてだった。
きっと出会ってしまったという方が正解かもしれない。運命? もしも運命があるとするならば、光一と恵は出会う運命にあったのか。仮に世界に何十億人の人がいて、その中でたった二人が出会う確率って幾つなんだろう。おそらく光一も恵も教科書に載ることはないだろうけど、教科書で言ったら同じページ、もしくは同じ行かもしれない。それぐらい歴史上で見ても運命的なことなのだろう。
言えない。光一の中には微かに恵への恋心が芽生えていた。もしかするとそれは恋とは呼べないものかもしれないし、それを超えたものかもしれない。いずれにせよ、光一の高校生活の始まりは恵から始まったと言っても過言ではない。
四月の春麗らかな水曜日の昼休み。恵は光一のもとに駆け寄って、
「ねえ、宮下くん。約束の水曜日」
そう言って小指を折ってみせた。光一は照れくさそうに俯きながら、
「お、おう」
と答えるのが精一杯だった。
教室棟の四階から一階へ降りて、体育館へつながる渡り廊下を通り抜けると食堂がある。ほとんど会話はないまま食堂へと着いた。
「宮下くん、食堂初めて?」
ようやく恵の口が開いた。
「うん」
「じゃあ、ルール説明からな。まず、名札を空いてる席に置く。これでこの席は取ってます、っていう合図やから」
光一は自分の名札を外して席に置いた。
「なんかおすすめとかある?」
光一も食堂初心者として食堂の先輩である恵に聞き返した。
「そうやなあ、鶏からマヨ丼か、オムカレーかな」
恵は光一にわかりやすいように、人気メニューの中から二つをチョイスしておすすめを提示した。
「どっちも美味しそうやなあ。若田さんはどっちがおすすめ?」
「うち? うちは先週、鶏からマヨ丼にしたから、今日はオムカレーかな」
膝頭を掻きながら恵は光一に自分が食べたいメニューを言った。
「じゃあ、僕もそれにするわ」
「じゃあ、決まりね。食券やから五百円入れて、二十円お釣りな」
恵は先に五百円を券売機に入れて「オムカレー」と書かれた食券を取った。続いて光一は細かいのがなかったので千円を入れて食券を買った。
「おそろやな」
恵が一言呟いた。なんだろうな、光一にとってはその「おそろ」という言葉にときめいた。
昼休みに一斉に生徒が食堂に駆け込んでくるので、競争が激しい。恵は慣れた手つきで食券を食堂のおばさんに見せて、それを見て光一も食券を渡した。
「いつもこんな感じで混んでるん?」
あまりの忙しなさに光一は常連の恵に問いかけた。
「うん。でも今日は水曜日やからマシな方。金曜日は混んでるわ」
「そうなんや、これで空いてる方なんや」
少しずつ二人の会話がスムースになってきた。光一は嬉しかった。それが恵が好きとかそういう感情ではなく、中学時代まで軽いいじめを受けていた光一にとっては心地よい会話のできる友人の一人として。
「宮下くん、なんか、宮下くんって苗字で呼ぶとなんか距離感じるわ。今度からお互い下の名前で呼び捨てでいい?」
ハッ。光一は一瞬頭がパニックになった。今までそんなに女子と仲良くしたことがなかったし、ましてや下の名前で呼び合うなんて予想もしてなかったから。
「光一、決まりな。うちは恵で」
「め、め、恵」
「噛んでるしぃ」
このぶっきらぼうなところがより一層光一の心を燻った。
「オムカレーの人、二人」
呼ばれた。恵が光一に先に取り、というふうにジェスチャーで促すと、光一はトレーにスプーンを乗せて、前もってとってあった席に着いた。
「ここのオムカレー、めっちゃ美味しいねんなー。お母さんに言うて作ってもらおうかな。まあ、オムカレーって言っても、オムライスにカレーがのってるだけやねんけどな」
うち、とかあんまり最近の大阪のコが言わないような言葉遣いとか、そういうところが少しお気に入りだった。
「おいしい!」
思わずメガネをつまんで、口に出てしまう光一だった。
「やろ?」
恵のドヤ顔が眩しかった。
向かい合わせの席で、食べる時に恵の顔が真正面に見えるから光一はそれだけで照れ臭かった。風はそよぎ、食堂の窓外に見える緑の木々が美しかった。それ以上に恵の右目の下の涙ぼくろが光一には眩く感じた。
「ここ、付いてるで」
徐にそういうと恵は光一の左の口元に付いたご飯粒をとって、食べた。
光一の背中に電光石火に何か稲妻が走ったような衝撃を受けた。そんなことは母親にだってされたことはなかった。
女のコの方が積極的って言うけれど。それはあくまでアニメや向こうの世界の話であって、現実にはそんなことはないと思っていた。
同い年だけど、まるでお姉ちゃんができたみたいだった。確かに、恵は姉御肌みたいな面はある。この気持ちを光一はどう判断したらいいのだろう。
最後までお読みいただきありがとうございました。




