212.駄々っ子彼女と闇の始まり
「えーと……さよりさん?」
「い、いいの! このまま大人しくして!」
「そう言われても……水着姿で抱きつかれると色々困る」
オムネさんを含めて、去年来た時とはまるで状況が違い過ぎるだけに、胸元に抱きついてきたさよりに強く言えないのが現状だ。
「……ていうか、不法侵入した不届き者に抱きつくとか、何でそんなことをするんだ?」
「寂しかったの……誰もいなくて不安になって、でもあなたが来てくれたから……だからなの」
「俺はてっきりさよりが泣いているかと思っただけで、会いに来たとかじゃない」
「じゃあ当たっているもん……やっぱり湊はわたしの――」
「別な意味で当たっているんですけど……どうすればいいんだよ」
浅海の言い方では完全に嵐花たちが来ている風だったのに、そんなことはなかった。
それどころか、一般客の姿も無ければ誰かが入ってくる気配も無いのは、何とも不思議な感じがする。
「み、湊ぉ……」
「う……」
この甘え声と仕草は、非常に危ないやつだ。流されるままにしてしまいたいが、それをするとバッドエンドになりそうな予感しかしない。
「い、いや、待て、落ち着け! 俺とさよりは交際関係だけど、完全じゃなくて……」
「去年はあんなにしてくれたのに?」
「あんなにはしてないぞ。そ、それに、ルール違反というか」
「栢森に言われるがままじゃなくてもいいの……湊の本当が欲しいの」
本当の気持ちは一体どこにあるのだろうか。俺の望みは彼女が欲しいことだ。
病んでいなくて、闇を感じさせなくて……それでいて美少女なこと。
さよりで一致しているのに、嵐花に言われて交際しているという枷みたいなものが、今の俺にはどうしても引っかかっていて、勢いよく踏み出せなくなっている。
「……あゆのこと、まだ忘れられないの?」
「いや、それは無い。無いけど……」
「栢森さんが気になるのね……? そうなのね?」
「……いや」
「こんなに湊を近くに感じることが出来るのに、あなたはどうして――っ!?」
「しっ!」
女子更衣室の室内で二人きりの中、抱きつかれている状況も大概だが、身動きが取れない状況のままを維持出来るはずが無いと気付いた時には遅かった。
「あ……あ、あぁ……どうしてここに……」
出入り口側を振り返れば、真っ先に見ることが出来るのは俺だったが、気配と”彼女”に気付いたのはさよりの方だった。
「え、どうした、さより……」
「……ゃ」
一瞬で青ざめたさよりの様子が尋常じゃないことに加えて、どこかで感じたことのある気配には覚えがある。
「……クスッ。湊くん、ここ、女子更衣室」
ああ、やはり……さよりは危険を呼び込むのか、それとも今回に限っては俺が呼んでしまったか。
姿を見なくても声で分かるのに、振り向けないのはどうしてなのか。
こんな公共のプールに来るような”彼女”じゃないだけに、そこにいる彼女を確かめることも出来ないでいる。
「さ、鮫浜か?」
「そうだけど、こっちを向いてくれないのかな?」
「ま、まぁな」
「”温もり”は感じることが出来た? それとも身震い?」
「ど、どっちもだな、うん……」
さよりが身震いしながら俺に引っ付いたまま動かないというのもあるが、鮫浜以外に誰かが一緒に来ているのは間違いが無いだけに、迂闊に振り向くことが出来ないでいる。
そんなことを思っていると、抱きついているさよりの背後で、私服姿の鮫浜が俺を見上げて来た。
俺とさよりよりも背の低い鮫浜の上目遣いは健在のようで、その効果は絶大過ぎた。
「さよりと付き合っている、いるんだね?」
青ざめたままのさよりの抱きつく力はさっきよりも弱まっているが、離れたくない気持ちが強いのか、鮫浜が近くにいても離れようとしない。
「――湊くん」
「ど、どうした?」
「それと、抱きついたままの池谷さより。ここで言うね?」
「あ、あゆ? え……何を――」
一般の客がまるで入って来ないのは、鮫浜が来ているからなのかと勘ぐってしまうが、それよりもこんな状況の中で、鮫浜は何を言おうとしているのか。
「私は湊くんが好き。好きだから、覚えて?」
「「――え」」




