ただ生まれ変わっただけだなんて、そんなことなかった
その男爵令嬢の名は、アリステリア・クローケン。
先ほども説明したように、彼女は貴族ではなく、商人の娘だった。
とはいえ、商人というものは侮れない。
家によっては、そこらの男爵家や子爵家など足元にも及ばないほどの財を築いていることも珍しくない。
もちろん、アリステリアもその類の人間だった。
貴族ではない。
けれど、生まれながらにして裕福な家庭で育った娘なのである。
そして何より、彼女は非常にしたたかな娘だった。
だからこそ、婚約者と比べられることに劣等感を抱いている王子に目をつけた。
自分よりも優れた婚約者に引け目を感じている王子なら少し近づけば簡単に心を掴める。
そう考えたアリステリアは、王子へと積極的にすり寄り、やがて婚約者であるレジーナとの婚約を破棄させようと動き始める。
――まあ、よくある話だ。
アリステリアは王子に、レジーナにいじめられていると訴える。
けれど、相手が悪かった。
レジーナは、そんなくだらない嘘に騙されるほど愚かな令嬢ではなかった。
むしろ、アリステリアの言葉をことごとく論破し、最終的には王子の浮気だけでなく、学園での数々の失態までもが国王の耳に入ることとなった。
その結果――王子は、王位継承権を剥奪される。
そしてその後、第二王子であるユリウス王子がレジーナに以前から好意を寄せていたこともあり、二人は結ばれる。
めでたし、めでたし。
――それが、私が知っている物語の結末だった。
……そこで、ひとつ疑問がある。
ヴィンセント王子が、我が家に来た。
ということは。
私とアレクも、少なからず物語のどこかに登場していたのではないだろうか。
けれど――。
「……思い出せない」
まったく思い出せない。
私が読んだ物語の中に、我が家が出てきた記憶なんて一切ない。
ということは。
「……モブ、なのかな」
そう結論づけるしかない。
私はアレクを連れて、その場から逃げるようにしてお茶会を離れた。
そして少し離れた場所にある木陰までやってくると、ようやく足を止める。
「姉さま、大丈夫?」
アレクが心配そうな顔で私を見上げた。
そして、小さな手で私の顔をパタパタと仰いでくれている。
「……」
私はというと、ぐったりとした顔で木陰に座り込み、先ほどからずっとあの物語について考えていた。
けれど、いくら考えても何も思い出せない。
やっぱり私たちは、物語にほとんど関わりのないモブなのだろうか。
……いや。
そもそも、そんなことを考えている場合ではない。
少しずつ冷静さを取り戻してきたところで、ふと別のことが気になった。
「……王子、大丈夫かな」
思わず、ぽつりと呟く。
あんな状態の王子を置いてきてしまった。
さすがに、ちょっと心配になってきた。
すると、アレクが私の顔を覗き込む。
「姉さまが大丈夫そうなら、ぼくは王子のところに戻りたい」
「……アレク」
心配そうな目。
けれど、その言葉には王子を気遣う気持ちがはっきりと込められている。
さすが私の弟。
なんて優しい子に育ってくれたのだろう。
姉として、嬉しい限りである。
「……ふふ」
私は思わず笑って、アレクの頭を撫でた。
「えへへ……」
アレクシスは嬉しそうに目を細めながら、大人しく私に撫でられている。
……かわいい、本当にかわいい。
もう一度撫でよう。
いや、あと三回くらい撫でよう。
「よし」
私は名残惜しさを振り切るように立ち上がった。
「王子の様子を見に行こう」
さっきまでは、あまりにも突然のことに気が動転していた。
けれど、今はもう大丈夫。
ヴィンセント王子だって、私にとってはもう一人の弟のようなものだ。
今のところ、引きこもりの陰キャっぽいところはあるけれど。
少なくとも、我儘でお馬鹿な王子ではない。
――ならば。
そんな王子が、どうして物語の中ではあんなことになってしまったのか。
その未来を食い止めるためにも。
私は、王子のところへ戻らなければならない。
「アレク、行くよ」
「うん!」
私はアレクの手を取った。
そして、先ほど王子を置いてきた場所へと向かって歩き出す。
このときの私は、まだ知らなかった。
ヴィンセント王子のもとへ戻ったその瞬間から。
私たち姉弟が、決して『モブ』では済まされないところまで、物語の中心へと引きずり込まれていくことを。




