ただ生まれ変わっただけだなんて、そんなことなかった
ただ。ひとつだけ、ずっと気になっていたことがあった。
ヴィンセント王子のことだ。
突然、何の説明もなく我が家へやってきた王子。
さすがに気になった私は、ある日、お父様に抗議した。
「お父様。どうして王子が我が家にいらっしゃることを、私たちに何も教えてくださらなかったのですか?」
「……すまない」
お父様は苦笑しながら、ようやく王子について話してくれた。
ヴィンセント王子は、現国王陛下の第一子。つまり、正真正銘の第一王子だ。
けれどその母親である前王妃様は、王子を産んですぐ。自分の役目は終えたので、探さないでほしいと、
そう書き置きを残して、姿を消してしまったらしい。
前王妃様が突然失踪してしまったことで、裏切られたと感じた国王は、
ヴィンセント王子に素直に愛情を注ぐことができなくなってしまったという。
ほどなくして新しい王妃を迎え、その王妃との間に子供も生まれた。
第一皇女と、第二王子。
現在の王宮では、現王妃様の子供である二人の姿を見かけることは多い。
けれど第一王子であるヴィンセントの姿を、王宮で見ることはほとんどない。
「王子は……?」
「離宮で暮らしている」
お父様の声が、少しだけ低くなった。
待遇そのものは、第一王子として用意されている。
教育も受けられる、生活に困ることもない。
けれど・・
「……事実上、王宮から存在を消されているようなものだ」
「…………」
私は、何も言えなかった。
まだ四歳の私には、どう反応すればいいのか分からない。
ただ、毎日のように我が家へ来て、アレクと楽しそうに遊んで、
私に抱きついてきて、花冠を頭に乗せられて、嬉しそうに笑っているあの子がそんな境遇にいるなんて。
お父様は、静かに続けた。
「だから・・ヴィンセント王子は、もう二歳になるというのに、まだほとんど言葉を話さない」
「……」
ヴィンセント王子が言葉を話すのを、私は聞いたことがない。
あー、うーで意思を伝えようとしている。
私は、それをただ「まだ小さいから」だと思っていた。
でも、もしかすると・・
「王子は……寂しいの?」気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
お父様は少し驚いた顔をしたあと、「……そうかもしれないな」と答えた。
そんなヴィンセント王子を、唯一気にかけている人物がいる。
それが、王弟殿下だった。
国王陛下の弟である王弟殿下は、甥であるヴィンセント王子のことをずっと気にかけていた。
だからこそ。自分の側近であるお父様に、同じ年頃の友達を作ってやって欲しいと頼みをした。それが、アレクだった。
「……そういうことだったの」
私は、庭のほうを見る。そこには今日も。
「うー!」「へへへ!」
二人の笑い声が響いている。
ヴィンセントは、アレクや私と遊んでいるときだけは、本当に楽しそうに笑う。
その笑顔を見ると、胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。
私は、王子の頭をそっと撫でる。
「……じゃあ、いっぱい遊びましょうね」
「……?」
ヴィンセントが、きょとんと私を見上げる。
「アレクと、姉さまと。いっぱい」
「……」
意味なんて、きっとまだ分からない、それでも。
ヴィンセントは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……うー」
「ふふ」私は笑った。
この子が笑ってくれるなら、それでいい。
私はまだ、このとき何も知らなかった。
ヴィンセント王子が、この先どんな人生を歩むことになるのかも。
アレクが、いつかこの王子のすぐそばに立つことになるのかも。
そして私自身が、やがてこの三人の幼い日々を思い出すことになるのかも。
何も知らないまま。
ただ、三人で過ごす毎日が楽しくて。
この時間が、ずっと続けばいいと思っていた。
王子の境遇を聞いた、その日のことだった。
私は、お父様とお母様の前で大号泣した。
「うぇぇぇぇん……!」
自分でも驚くほど泣いた、もう涙が止まらない。
鼻もずるずるする。
四歳児の姿をしているとはいえ、中身には前世の記憶がある私が、ここまで泣くとは思わなかった。
けれど、あの小さな王子が。
まだ二歳なのに、母親に置いていかれて、父親からも十分な愛情をもらえず、
離宮で、ずっと一人で過ごしていた。
そう思ったら、どうしても悲しかった。
お母様が、私の頭を優しく撫でてくれる。
「ライザも、まだまだ子供なのね」
「……うぅ……」
「自分以外の人のことを思って、悲しくなれるのは良い子の証拠だな」
お父様もそう言って、私の背中をぽんぽんと撫でてくれた。
普段、私はあまり両親に甘えることはない。
前世の記憶があるせいか、同年代の子供より少し大人びている自覚もある。
だからこそ、久しぶりに感じる両親の温もりが、妙に心地よかった。
「……お父さまぁ……」「はいはい」
「……お母さまぁ……」「ふふ。今日はいっぱい甘えていいのよ」
そのまま私は、二人に挟まれるようにして。
安心しきったまま、眠りについてしまった。
眠りにつく直前、私は心の中でひとつ決めた。
もう弟だけじゃない。ヴィンセント王子のことも、私が守ってあげよう。
今まで寂しい思いをした分、今まで足りなかった分。
私とアレクで、たくさん愛情を注いであげよう。
いっぱい笑わせて、いっぱい遊んで「自分は愛されている」と思えるくらい。
たくさんたくさん愛してあげよう。
――その日から。
ヴィンセント王子も、私の弟になった。
それから、二年が経った。
ヴィンセント王子とアレクは四歳。そして私は、もうすぐ六歳になる。
二年前に「あー」「うー」としか言えなかったヴィンセントは、今ではすっかりおしゃべりになった。
「ライザ姉さま!」
「なんですか?」「今日は庭で遊ぼう!」
「お勉強が終わってからですね」
「えー!」
こんなやり取りも、すっかり日常になった。
これも、アレクと私が毎日話しかけ続けたおかげだろうか。
それとも、単純に成長しただけなのか。
どちらにせよ、今では元気いっぱいに話してくれる。
ただ時々、四歳児とは思えないほど、寂しそうな顔をすることがあった。
笑っている途中で、ふっと表情が消える。
窓の外を眺めながら、ぼんやりしていることもある。
王宮にいるときは、今も離宮で暮らしているらしい。
だから私は、そういう顔を見るたびに
「ヴィンセント王子」 「・・?」
「今日もいっぱい遊びましょうね」そう言って、笑顔で手を握る。
するとヴィンセントは、少し驚いたような顔をして、それから、いつもの笑顔に戻る。「うん!」
私の弟は、笑っているほうが可愛い。
一方アレクはというと、赤ちゃんの頃から変わらず、ベビーフェイス。
いつもにこにこだ。ただし・・
「アレク! また逃げたでしょう!」
「にげてないよ!」
「逃げてるでしょうが!」
「これは……おさんぽ!」
「マナーの授業から逃げる散歩がどこにあるの!」
ちょっぴり、やんちゃに育っていた。
そして困ったことに。
ヴィンセントまで、アレクにつられるようになった。
「ヴィンセント王子まで!」
「私は悪くないよ!」
「王子も逃げようとしてたでしょう!」
「・・・」
「ほら、二人とも戻る!」
「「はーい・・・」」
二人はこの頃から、貴族として必要なマナーや剣術などを習い始めていた。
けれど、どうにも二人ともお勉強が好きではないらしい。
授業が始まると、隙を見て逃げようとする。
そのたびに私が捕まえて、無理やり授業へ連れ戻す。
メイドやお母様からは、よくこんなことを言われていた。
「お二人とも、ライザお嬢様の言うことはよく聞きますね」
「ライザが言うと、ちゃんと戻ってくるのよね」
「・・・」
そんなに私が怖いのだろうか。
私は、優しい姉のつもりなのだけれど。
まあ言うことを聞いてくれるなら、それでいい。
授業の合間には、相変わらず三人で外へ出ていた。
庭で遊んだり、花を摘んだり、木陰で本を読んだり。
天気のいい日には、お昼ご飯を庭で食べることもある。
この日も、いつものように庭へ出ていると。
「今日はお二人がお好きなホットサンドを用意しましたよ」
メイドがバスケットを持ってきてくれた。
中を覗くとチーズがとろりと溶けた、ハム入りのホットサンド。
二人の大好物だ。週に一度は出てくるので、もはや定番メニューである。
「わぁ~!」
「ホットサンド!」
二人は目を輝かせると、さっそく口いっぱいに頬張った。
「ちょっと、二人とも!」
私は慌てて声をかける。
「ゆっくり食べないと、喉につまりますからね。気をつけてください」
「「はーい!」」
元気よく返事をする二人。ほんとに可愛い。
二人とも、ホットサンドを頬張っている姿が小動物みたいだ。
私はしばらく、幸せそうに食べる二人を眺めていた。
やがて食事が終わると。
「ねえさま」
「ん?」
アレクが、私の服の裾をちょいちょいと引っ張った。
「ねえさま、ねえさま」
「どうしたの?」
「けっこんって、なに?」
「・・・結婚?」
突然の質問だった。
おそらく授業で聞いたのだろう。
「結婚はね、好きな人同士がずっと一緒にいるってことよ」
我ながら、四歳児に説明するには分かりやすい説明だと思う。
・・・まあ、正確ではないけれど。
そう伝えるとアレクの目が、ぱっと輝いた。
「じゃあ、ぼくはねえさまと、おうじとけっこんする!」
ん?
「私と?」
「うん!」アレクは満面の笑みで頷く。
そして、なぜかヴィンセントまで目を輝かせていた。
「じゃあ、わたしも!」
「え?」
「わたしも、ねえさまとアレクとけっこんする!」
これは完全に私の説明が失敗した。
そもそも「好きな人同士がずっと一緒にいる」なんて説明をしたら、そりゃそうなる。四歳児だもの。
結婚という制度について、まだ何も知らない。
「ねえさま!」
「ん?」
「ずっといっしょ!」
「私も!」
二人が私に抱きついてくる。
「・・・ふふ」
可愛い。もう、何でもいい。
私は二人をぎゅっと抱きしめた。
「もちろん」
二人の頭を撫でる。
「三人で結婚しましょうね」
「「うん!」」
二人は嬉しそうに笑った。
・・・まあ。
実際には、三人で結婚なんてできないのだけれど。
そんなことは、まだ教えなくてもいいだろう。
今はただ。
この二人が、こうして笑っていてくれれば。
それで十分だった。




