25
大きな扉を開くと、消毒液の匂いがツンと鼻を突く。
室内には、天蓋付きのベッドが複数並んでいた。
その一つに、彼女がぐったりと横になっている。
すぐ隣には、心配そうに寄り添うベリルの姿が見えた。
「ヒマリの容態はどうだ?」
「ダルカン!?良かった…。無事に戻って来れたんだな」
ベリルは慌てて立ち上がると、怪我がないか隅々まで鎧を確認した。随分と心配をかけてしまったらしい。
「勝手な行動をしてすまない」
「いや、無事に戻って来れたのならそれで良い。ヒマリは、少し気分が悪くなったみたいなんだ」
「あの惨状は予想してなかったもんね…」
「ああ…」
「フェルジスとナルクは?姿が見えないけど」
「二人は宿屋を探しに行った。しばらくは帰って来ないだろう。ヤイラ、ひまりの様子を見ていてくれるか?俺は手がかりを探しに行ってくる」
「分かった」
「ダルカンは俺について来てくれ。高い所にある本は頼んだぞ」
「承知した」
・・・
四階に辿り着くと、手分けして本を探す。
『異界学概論 』『宇宙異界論』『召喚術理論』『世界の狭間』『世界間干渉理論』『異世界渡航術』………。
さすが世界一の魔法帝国だ。
異世界に関する文献も多く取り揃えている。
その中に一つ気になるタイトルがあった。
『異世界渡航術』
この本であれば、異世界に帰る手掛かりが書かれてあるのではないだろうか。
最上段に置かれた本へと手を伸ばす。
指が背表紙に届く前に、本がひとりでプカプカと浮いた。
「取りたかったのはこの本?」
集中していたせいだろうか。
後ろに立つ気配に全く気付かなかった。
慌てて振り返ると、そこには金髪赤眼の男が立っている。
男は恐ろしいほどに顔が整っていた。
肌は陶磁器のように美しく、血のように赤い瞳は黄金色の睫毛に彩られている。柔和な笑顔を浮かべるその姿は、まるで物語に出てくる王子様のようだ。
ドクドクと心臓が強く脈打ち、浅い息が漏れる。
本能的な勘が危険警報を鳴らした。
「もしかして、違ったかな?」
「………いや、この本だ。協力感謝する。それでは失礼」
トンと足が触れ合う。
出ようとした方向に、彼の足が伸ばされていた。
そのまま一歩距離を詰められる。
左は壁、右は足、後ろには書架、目の前には男の身体……。
完全に退路を塞がれている。
「どういたしまして。異世界に関する本を探しているの?」
「そうだ。すまない、今は急いでるんだ。通してもらってもいいか」
「う〜ん、どうしようか。君が名前を教えてくれたら通してあげる」
「何故、名前を?」
彼は長い睫毛を伏せ、思案するように首を傾げる。
やがて答えに辿り着いたのか、花弁が開くように瞼が持ち上がった。
「君のことが気になったからだよ」
「………。知らない人に名前を教えるなと言わている」
「僕はラグネス。これで知らない人じゃないよね」
その赤い瞳に見つめられると、捕食者を前にした獲物のような気分に陥った。
名前を言うまで解放する気がないらしい。
彼はただでさえ近い距離を、また一歩詰めてきた。
「……ダルカンだ」
「それが君の名前?」
「ああ」
「それ、本当の名前じゃないでしょう。僕が聞きたいのは、"君自身"の名前だよ」
彼の口ぶりは、それが偽名だと確信しているようだった。
思わずゾクリと背筋が凍る。
ずっと感じている違和感に輪郭がついていく。
目の前の男は、ーーーー恐らく魔人だ。
それも、悪魔や吸血鬼のような強大な力を持つ魔人。
不用意に真名を明かせば、命を握られかねない。
だからといって、上辺だけの言葉で彼が納得するとも思えなかった。
「…………ラグネス。貴方は人ではないだろう。すまないが、名前を伝えるには躊躇してしまう」
クスクスと鈴を転がしたような笑い声が聞こえる。
至近距離で合った瞳は楽しげにこちらを見ていた。
「君だって魔人でしょ?」
「……何故俺に構うんだ。残念ながら俺に出来ることはない。放っておいてくれると助かるんだが」
「僕はただ、お話しがしたいだけだよ。久しぶりなんだ。まだ生きている魔人と出会えるのは」
「………」
「もうここは見て回った?酷い有り様だっただろう。魔人として捕まったら最後、死体のように生きるか、本当の屍になるかだ」
「…………」
「ねぇ、君は人間の仲間と来ているんだよね。彼等は君の正体を知っているの?」
「何故そんなことを聞く」
「人間はときに残酷でしょう。自分と大切な人を守るためなら、どんな犠牲も問わない。……もし君の正体を知ったらどんな反応をするのかな?」
「……それは脅しか」
彼は人々を魅了するような蠱惑的な笑みを浮かべた。




