**第八話 佐藤のもう一つの闇**
翌朝、事務所の空気は重かった。
高城麗華の涙と告白の余韻が残る中、峰岸美咲が早朝からやってきた。
「水野、麗華の話は一旦置いておくわ。
佐藤俊明……あいつの『もう一つの顔』を洗い出さないと、核心に近づけない」
俺は煙草をくわえながら頷いた。
「同意見だ。左利きの佐藤は、時計と白い粉だけじゃ食えねえ男だ。
辰さんに連絡入れてみたが、『今日は直接会え』だってよ」
午前十時過ぎ、俺と美咲は再び「波止場ねずみ」へ足を運んだ。
鼠の辰はいつものアロハシャツ姿で、カウンターの奥から顔を上げた。
「よう、色ボケ探偵と鬼刑事の御来店か。
佐藤の別の取引を探ってるんだろ?」
「さすが早いな。で、何か摑めたか?」
辰は周囲を気にしながら声を落とした。
「佐藤は表の密輸ルートを二つ持ってる。
一つは知ってる中国ルートの偽物時計と麻薬。
もう一つは……最近、急に活発になってる『欧州ルート』だ」
美咲が身を乗り出した。
「欧州ルート?」
「本物の高級ブランド品の抜け荷と、
もっとヤバいのは『美術品と骨董品』の密輸だ。
特に、戦後ヨーロッパから流出した絵画や陶器を、
日本の金持ちや裏のコレクターに流してるらしい。
一回のコンテナで数千万から億単位の金が動く」
俺は目を細めた。
「佐藤がそんな大物取引に?」
「元商社マンだからな。
ルートと人脈は本物だ。
しかも、税関の人間に何人か食い込ませてるって話もある。
高城健一は時計・麻薬ルートを任されてたが、
佐藤は最近、欧州ルートの『調整役』を探してたらしい。
高城が欲をかいたせいで、両方のルートにヒビが入った……ってのが、裏社会の噂だぜ」
美咲がメモを走らせながら聞いた。
「その欧州ルートの荷が、最近横浜港に入ってるの?」
「三日後に大型コンテナ船『マルセイユ・スター』が入港予定だ。
表向きはフランス製ワインと機械部品。
本当は……ルノワールや印象派の絵画が何点か紛れ込んでるって話だ。
佐藤はそれを日本側でさばく大口の買い手と、すでに接触済みらしい」
辰は最後に、声をさらに低くした。
「ただし、水野。
佐藤はこの欧州ルートを『自分の最後の大仕事』と位置づけてるらしい。
成功すれば、港から足を洗って海外に逃げるつもりだとか。
だから……高城の件で邪魔が入るのを、極端に嫌がってる」
店を出た後、俺と美咲は倉庫街を歩きながら話した。
「佐藤が海外逃亡を考えてるなら、
高城健一を消したのも、その準備の一環かもしれないわね」
「ああ。麗華が佐藤に相談したのも、夫が両方のルートを危うくしてるから、
佐藤に『始末してほしい』と匂わせた可能性もある」
美咲が俺の顔をじっと見た。
「どうするの? 三日後のコンテナ船を狙う?」
俺はニヤリと笑った。
「もちろん狙うさ。
でも、その前に麗華をもう一度締め上げる。
彼女がどこまで佐藤と繋がってるか……本当のところを知りたい」
遠くの埠頭で、汽笛が低く鳴いた。
佐藤のもう一つの裏取引——
それは事件を一気に大きくする、巨大な闇の予感がした。




