**第七話 麗華の仮面**
夕暮れの事務所に、再び高城麗華が訪れた。
白いブラウスに淡いベージュのスカート、控えめなネックレス。
前回より少しやつれた印象だが、それが逆に彼女の色気を増していた。
「水野探偵……何か進展はありましたか?」
麗華は椅子に腰掛け、膝を揃えて俺を見つめる。
その瞳は不安げだが、どこか計算されているようにも感じられた。
俺は煙草をくわえ、火をつけながら慎重に口を開いた。
「高城さん、率直に聞きます。
夫婦仲が冷めていたと言っていましたが……どれくらい冷めていたんです?」
麗華は一瞬視線を落とし、長い睫毛が震えた。
「……結婚して八年になります。
最初は普通の夫婦でした。でも、主人が中国方面の仕事で忙しくなってから、ほとんど会話がなくなりました。
帰宅しても寝室が別、食事も別。
まるで同じ家に住む他人……いえ、他人以下だったかもしれません」
「それで、離婚を考えたことは?」
「ええ、何度か。
でも、主人は『今が大事な時期だ』と言って、聞く耳を持たなかったんです」
そこへ、タイミング悪く峰岸美咲が事務所に入ってきた。
麗華と美咲が一瞬、視線を交差させる。空気がピリッと張った。
「峰岸警部補……ですか?」
「ええ。高城さんの旦那さんの件で、水野と情報を共有しています」
麗華は小さく微笑んだが、その笑みは少し硬かった。
俺は二人の間に割って入り、質問を続けた。
「高城さん、佐藤という男を知っていますか?
左利きの佐藤……港の裏で顔の利く男です」
麗華の指が、ほんの一瞬だけスカートの裾を強く握った。
「……名前だけは聞いたことがあります。
主人が時々、仕事の相手として口にしていたような……」
「二週間前に、山下公園でその佐藤と会っていませんでしたか?」
麗華の表情が一瞬凍りついた。
しかしすぐに、寂しげな笑顔を取り戻す。
「探偵さん……私を疑っているんですね。
ええ、会いました。夫のことで相談したんです。
『夫が危ない橋を渡っているようだ』って……
でも、まさか夫を消してほしいだなんて、思ってもいません」
美咲が冷ややかに言った。
「相談って、どんな内容だったんですか?」
麗華は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「実は……主人は私に内緒で大金を使い込んでいたんです。
会社の金も含めて。
もしバレれば、ただでは済まない。
だから『何とかしてほしい』と、港の裏事情に詳しい人に話を聞きに行っただけです」
事務所に重い沈黙が落ちた。
俺は麗華の目を見つめたまま言った。
「高城さん。俺は女好きだけど、馬鹿じゃない。
あなたが何か隠しているのはわかります。
全部話してくれませんか?」
麗華は唇を軽く噛み、目を伏せた。
声が少し掠れる。
「……主人は、私の過去も知っていました。
私が結婚前に、別の男と深い関係にあったこと……
その男が、今も港の裏で生きていることも。
夫はそれを利用して、私を縛りつけていたんです。
『離婚するなら全部ばらす』って」
彼女の目尻に、うっすらと涙が浮かんだ。
「だから……正直に言うと、夫がいなくなって、ほっとした部分もあります。
でも、死んでほしいだなんて思っていません。本当です」
美咲が俺を横目で見た。
その目は「信じるな」と言っていた。
麗華はハンカチで目元を拭き、立ち上がった。
「探偵さん……どうか、夫の行方を突き止めてください。
生きているなら、せめて顔を見て話がしたいんです」
彼女が去った後、事務所に重い空気が残った。
美咲がぼそっと言った。
「上手い女ね……涙まで計算してる気がする」
「ああ。でも、全部が嘘ってわけでもなさそうだ」
俺は窓の外の港を見つめた。
高城麗華——
美しく、哀しく、危険な女。
彼女の仮面の下に、何が隠されているのか。
事件は、ますます泥沼へと沈んでいった。




