表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
波止場の迷い犬  作者: 酒酔
6/15

**第六話 左利きの過去**

翌朝、事務所は珍しく静かだった。

俺は煙草をくゆらせながら、鼠の辰から入手したメモを眺めていた。


「佐藤の本名は佐藤 俊明。元は東京の大学で経済学部を出た秀才らしい。

 十年前までは大手商社にいたって話だぜ」


そこへ峰岸美咲がコーヒーを持参して現れた。


「昨夜の佐藤のことが気になって眠れなかったわ。

 ……あなた、ちゃんと寝たの?」


「寝たよ。夢の中で麗華さんとデートしてた」


「即刻忘れなさい。今日は佐藤の過去を洗うわよ。

 私の知り合いの元税関職員に当たってみる」


午前十時。俺と美咲は山下埠頭から少し離れた、旧税関近くの小さな喫茶店「港の灯」へ向かった。


店主の老人・安西は、かつて税関の調査官をしていたという。

白髪頭で眼鏡をかけ、穏やかな物腰だが、目が鋭い。


「左利きの佐藤……か。懐かしい名前だな」


安西はコーヒーをすすりながら、ゆっくりと語り始めた。


「佐藤俊明は優秀だった。商社時代は中国貿易の若手エースで、語学もでき、交渉力も抜群。

 ところが、昭和五十五年頃に突然左遷された。

 理由は……上層部との癒着疑惑と、部下の女性との不倫スキャンダルだ」


美咲が身を乗り出した。


「それで裏社会に?」


「いや、まだその頃は違う。

 商社を辞めた後、彼は自分で小さな貿易会社を立ち上げた。

 しかし、取引先の倒産で多額の借金を背負い、妻と娘とも離婚。

 その後、横浜港の闇ルートに足を踏み入れたらしい」


俺はメモを取りながら聞いた。


「左利きってあだ名の由来は?」


安西は苦笑した。


「利き手が左ってだけじゃない。

 『左の道』——つまり正道じゃない道を選んだ、って意味だそうだ。

 しかも、昔から冷静で理知的。

 一度決めたことは感情を排して実行する。

 だから怖いんだよ、あの男は。殴るより、言葉と計算で相手を沈める」


美咲が俺を横目で見た。


「水野、あなたと正反対ね」


「褒めてくれてありがとう」


安西は声を落とした。


「ただ……一つだけ、気にかかることがある。

 佐藤の娘がまだ小さい頃、重い病気を患っていたらしい。

 その治療費がきっかけで、深く裏社会にのめり込んだという話も聞いた。

 今は娘の行方もわからないそうだ」


店を出た後、俺と美咲は再び波止場を歩いた。


「佐藤も、ただの悪党じゃないってことか……」


「そうね。でも、それで人を脅したり、密輸に手を染めていい理由にはならないわ」


俺は煙草をくわえ、火をつけた。


「麗華の件で佐藤が『夫を始末してほしい』的な話を持ち出してたってのも、

 佐藤の計算かもしれないな。俺たちを牽制するための」


美咲がため息をついた。


「ますます面倒くさくなってきたわね。

 あなた、これ以上麗華さんに会うつもり?」


「会うよ。依頼人だからな」


「……本当にそれだけ?」


俺は美咲の顔を見て、ニヤリと笑った。


「心配か?」


「馬鹿。あなたがまた色気に負けて、港の底に沈むのが心配なだけよ」


そのとき、事務所の近くに戻ると、意外な人物が待っていた。


高城麗華本人だった。

白いワンピース姿で、少し不安げな表情を浮かべている。


「水野探偵……進展はありましたか?」


佐藤の過去を知った今、彼女の笑顔が少し違って見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ