**第五話 理知的な脅威**
佐藤の声は低く、静かだった。
暴力的な響きは一切なく、むしろ落ち着いた知的な男の話し方だった。
「水野誠氏……でしたね。峰岸警部補もご一緒とは。
夜の波止場で尾行ごっことは、なかなかロマンチックじゃないですか」
左利きの佐藤は四十代半ば。
背が高く、黒のスーツを品良く着こなし、銀縁の眼鏡の奥の目は冷たく澄んでいた。
「左利き」というあだ名とは裏腹に、荒々しさは微塵も感じさせない。
俺は美咲を背にかばうように一歩前に出た。
「佐藤さん……高城健一の件で、少しお話を伺いたいんですが」
佐藤は静かに微笑んだ。まるでビジネスの商談のように。
「率直に申し上げましょう。
高城氏は我々のビジネスに少し欲張りすぎました。
中国からのコンテナ一つで十分だったものを、二つに増やそうとした。
結果として……バランスが崩れたのです」
美咲が鋭く切り込んだ。
「密輸の件、認めるの?」
「密輸という言葉は使いたくありませんね、警部補。
我々は『特別な貿易ルート』を扱っているだけです。
高城氏はそのルートの『調整役』として雇いましたが、
残念ながら彼は自分の立場を過大評価した」
佐藤はポケットから銀のケースを取り出し、細い煙草を一本抜いた。
火をつける仕草までが、どこか洗練されている。
「水野氏、あなたは高城麗華さんに依頼されたのでしょう?
彼女は……本当に夫を探していると思いますか?」
その言葉に、俺の胸がざわついた。
「どういう意味だ?」
「彼女は夫の失踪の二週間前から、私と連絡を取っていました。
夫を『始末してほしい』とまでは言いませんでしたが……
『自由になりたい』とは、はっきり言っていましたよ」
美咲が息を飲むのがわかった。
佐藤は煙を優雅に吐き出し、続けた。
「私は暴力は好みません。
港の秩序を乱すのも嫌いです。
だから提案しましょう——
この件から手を引くなら、高城氏の『行方』に関するヒントを一つあげます。
手を引かないなら……あなた方も港の『一部』になる可能性があります」
理知的で、穏やかで、しかし底知れない脅し。
それが左利きの佐藤だった。
俺はニヤリと笑って煙草に火をつけた。
「悪いが、俺は依頼人の尻を追っかけるのが仕事でね。
特に麗華さんみたいな美人だと、余計に燃えるんだよ」
佐藤は小さく笑った。
「面白い方だ。
では、覚悟を決めてください。
港は広いですが、沈む場所は意外と少ないんですよ」
佐藤が去った後、美咲が俺の腕を強く掴んだ。
「……信じられない。あの男、ただのヤクザじゃないわ。
まるでビジネスマンみたい」
「ああ。頭がいい分、厄介だな。
でも、麗華さんが夫を消したがってたって話……本当かどうかはまだわからん」
俺は夜の海を見つめた。
「美咲、明日から本気で麗華の周辺を当たる。
お前も協力してくれ」
「……仕方ないわね。
あなた一人じゃ、すぐに女の色香に負けて終わりそうだから」
俺は美咲の肩を軽く叩いた。
「心配してくれるんだな?」
「馬鹿」
潮風が強くなった。
佐藤の残した言葉が、港の闇の中でゆっくりと広がっていく。
高城麗華——
彼女は本当に被害者なのか、それともこの事件の黒幕なのか。




