**第三話 港の鼠と二枚舌**
夜の山下埠頭は、ネオンもまばらで湿った空気が重かった。
峰岸美咲と別れた後、俺は一人で倉庫の裏手にある小さな飲み屋「波止場ねずみ」へ足を運んでいた。
「また来やがったのか、水野の色ボケ」
カウンターの奥から出てきたのは、禿げ上がった頭に派手なアロハシャツを着た小柄な男——情報屋の「鼠の辰」。
元港湾労働者で、今は港の裏と表の情報を売りさばく、信用度50%の男だ。
「辰さん、相変わらず気持ち悪い恰好してるね。ビールくれ」
「奢れよ。で、今日は何だ? また女の尻でも追ってるのか?」
俺は高城健一の写真と、左利きの佐藤の似顔絵をカウンターに置いた。
「この二人を知らないか? 特に佐藤と高城の接点」
辰は写真を一瞥すると、わざとらしく目を細めた。
「ほう……随分と危ねえ橋を渡り始めたな。
高城ってのは、表向きは真面目な商社マンだが、最近中国ルートの荷物に手ぇ出してたらしいぜ」
「荷物って?」
辰は声を落とし、周囲を気にする素振りを見せた。
「高級腕時計の偽物と……少しヤバい白い粉だ。
横浜港の特定コンテナを使って、佐藤が仲介してたって話だ。
ただし、高城は中間に入りすぎて欲をかいたみたいでな……」
俺は煙草をくわえ、火をつけた。
「欲をかいた?」
「一回で儲けすぎようとしたんだろ。
三日前、佐藤と会った後、高城は『これで全部終わる』みたいなこと言ってたらしい。
それが本当なら……今頃、港の底を泳いでるんじゃねえか?」
そこへ、店の入り口の戸がガラリと開いた。
「水野誠。こんなとこで何やってんのよ」
峰岸美咲だった。腕を組んで仁王立ちしている。
「げっ、美咲……どうしてここが」
「あなたが動き出すとだいたいここに来るって、とうの昔に把握済み。
辰さん、また適当なこと吹き込んでんじゃないわよ」
辰は両手を挙げて笑った。
「ひでえな警部補。俺はただの善良な情報提供者だぜ?」
俺は二人の間に割って入った。
「まあまあ。辰さん、もう一つ聞きたい。
高城麗華……依頼人の女について、何か知ってるか?」
辰の目が一瞬、細くなった。
「……あの女か。美人だろ?
ただし、夫の高城が失踪する二週間前、妙な男と山下公園で会ってたって目撃情報がある。
その男が誰かは……俺もまだ掴めてねえ」
峰岸が俺の脇腹を肘で突いた。
「ほら、また女に目がくらんでる」
「くらんでねえよ! ……少しだけくらんだだけだ」
辰はビールを飲み干し、最後にぼそっと言った。
「水野、気をつけろよ。
この事件、表と裏が綺麗に分かれてねえ。
特にあの麗華さん……笑顔の裏に何があるか、よく見極めろ」
店を出た後、夜の埠頭を歩きながら峰岸が言った。
「辰の話、どこまで信用する?」
「半分……いや、六割くらいか。
でも、麗華さんが何か隠してるのは確かそうだな」
遠くで貨物船の汽笛が低く鳴いた。
港の闇は、ますます深くなっていく。
俺は煙草を海に捨て、小さく息を吐いた。
「美咲、明日も一緒に動くか?」
「……仕方ないわね。あなた一人じゃすぐ女に引っかかるから」
「それ、褒めてる?」
「馬鹿」
軽口を叩き合いながらも、俺たちの足取りは自然と重くなっていた。




