**第十話 真面目な男の裏側**
午後、峰岸美咲が事務所に資料の束を抱えて現れた。
「高城健一の本当の顔を、少しずつ掴んできたわ。
会社の上司と、同僚二人に当たってみた」
俺は足を机に投げ出し、煙草をくわえたまま身を起こした。
「ほう、どんな男だった?」
美咲は資料を広げながら、淡々と話し始めた。
「表向きは『真面目で几帳面、残業も厭わないエリート商社マン』。
入社十五年、課長代理まで昇進。
中国語が堪能で、アジア方面の取引では成績を上げていたらしい」
「でも?」
「でも……ここ二年ほどで様子が変わった。
急に派手な服を着るようになり、接待の頻度が増えた。
同僚の一人はこう言ってたわ。
『高城さん、最近目がギラギラしてて怖かった』って」
俺は煙草の灰を落とした。
「欲が出始めたってことか」
「ええ。しかも、もっと興味深い話が出てきた」
美咲は一枚のメモを俺に差し出した。
「高城健一は、結婚する前の麗華の元恋人を知っていたらしい。
その男は港の裏社会で今も生きてる元商社マン……つまり、左利きの佐藤の昔の知り合いだ」
「マジかよ……」
「さらに、高城は会社の金を少しずつ流用していた形跡がある。
ただし、それは自分のために使ったんじゃない。
ある『投資』に回していたらしい」
「投資?」
「美術品よ。
佐藤の欧州ルートで扱ってる印象派の絵画に、自分も少し手を出していた可能性が高い。
欲をかいたのは、ただの密輸仲介料じゃなくて……自分も一枚、食おうとしたからだ」
俺は窓の外の港を見つめた。
「つまり、ただの欲張りじゃなかったってことか。
真面目ぶって生きてきた男が、四十手前で『一発逆転』を狙った……」
美咲は頷いた。
「しかも、麗華との夫婦関係について、同僚の奥さんが興味深いことを言ってた。
『高城さん、妻の過去をネタに縛りつけていたみたい』って。
麗華が昔、別の男と関係があったのを、結婚前に知ってて、それを利用して離婚を阻止してたらしい」
「最低な男だな……」
「でもね、水野。
高城の机から出てきた手帳に、こんなメモが残ってたの」
美咲はコピーしたページを見せた。
『麗華を自由にしてやりたい。でも、佐藤のルートから抜けられない。
この取引が終わったら、全部清算する。遥という娘のことも、気にかかる……』
俺は手帳のメモをじっと見つめた。
「遥……? 佐藤の娘の名前を知ってたのか」
「どうやら、佐藤と高城は思ったより深く繋がっていたみたい。
高城は佐藤の『娘の治療費』を間接的に援助していた可能性もある。
全部が打算じゃなかった……のかもしれない」
事務所に沈黙が落ちた。
美咲が小さく息を吐いた。
「真面目で小心者で、欲に負けて、でもどこかで贖罪を考えていた男……
それが高城健一の正体みたいね」
俺は立ち上がり、煙草を灰皿に押しつけた。
「生きてる可能性はまだあるな。
佐藤に消されたんじゃなく、自分で姿を隠したか……
それとも、麗華と二人で何かを企てていたか」
美咲が俺を見た。
「次はどうするの?」
「麗華をもう一度締め上げる。
今度は夫の本当の姿を知った上でな」
夕陽が山下埠頭を赤く染めていた。
真面目な商社マンが堕ちた先に、何があったのか。
事件は、ただの密輸事件ではなく、
人間の欲望と後悔が渦巻く、泥沼の様相を呈し始めていた。




