第24話 揺れる恋心と助言の騎士
「ミリウスと一緒のはずだったのに……」
延々と馬車に揺られること数時間。
小休憩のため停車した湖畔で、シルヴィアは馬の鬣を撫でながら呟いた。
「来客ばかりは仕方がないですよ。それでも翌日には急いで向かうと言ってくださったじゃありませんか。大丈夫、帰りはきっと一緒に帰れますよ」
意気消沈したシルヴィアを宥めるのは、護衛の騎士クリフだ。
ミリウスと共に行くはずだった旅行は、シルヴィアと侍女のベラ、そして騎士クリフを始めとする近衛騎士隊との旅行になっていた。
「せっかくミリウスと一日一緒にいられると思ったのに……」
「それは殿下に直接言って差し上げてください。そうすりゃ、それはもう喜んでくれるはずですよ」
クリフは呑気そうにそう言うが、そう素直に言えたらどんなにいいか。
「だってそれじゃミリウスが気を遣うじゃない……」
シルヴィアは撫でていた馬の鬣を柔く握り締めた。
シルヴィアが王宮に来てからというもの、ミリウスは夕食後には必ずシルヴィアの部屋に来てくれた。
それは彼が日中仕事の間、一人で過ごすことも多い自分を気遣って、そうしてくれているのだろうことは気づいていた。
ミリウスは自分と違って、彼でなければならない仕事が多い。だからこそ、そんなミリウスの時間をこれ以上自分が占有するのは、望んではいけないような気がしていた。
(結婚したら前みたいにずっと一緒にいられるのかと思ってたけど……案外それも難しいのかもね)
昔は、教室で振り返ればいつもそこに彼はいた。
眩しそうにこちらを見つめて、その綺麗な瞳に自分も元気をもらって。あの頃は恋愛関係ではなかったけど、毎日がとても充実していて楽しかった。
(でもそれは、あの頃が特別だっただけで……本来はきっとこちらが普通なのよね)
一国にとって大切な人を、自分だけが独り占めできるわけではない。
そこは、わきまえておかなければならないところだ。
……シルヴィアは、ぐっと鬣を握り締めた。
「……。俺には、殿下は皇女殿下に会いたくて仕方がなくて、あなたのもとに通っているように見えますけどね」
「?」
「あなたは知らないでしょうが、夜、あなたの部屋を訪れる前の、殿下の表情をご存じですか?」
「私の、部屋に来る前のミリウス……?」
「ええ、あなたの部屋の前に立つ殿下です」
それは決して自分の知り得ない、護衛の騎士クリフしか知らない姿だった。
「夕食後も残る庶務を急いで片付けて、小走りであなたの部屋の前まで来て。なのにそれをあなたに悟られないように呼吸を落ち着けて、ほつれた髪も整えて。それを護衛に見られていたと気づいて瞠目し――慌てて咳払いするような。……ま、有り体に言えば、『惚れた女を前に純粋な少年の心に戻る』初々しい殿下の姿ですよ」
「…………」
「あ、これは殿下には内緒ですよ。きっと男の尊厳に関わる内容なので」
初めて聞かされる恋人の姿に、両の頬がカァッと熱くなる。
「そんな……ミリウスはいつだって余裕で……」
「そう見せたいんでしょう。殿下も男ですから」
「…………」
頬に昇る熱に、どうすればいいのかわからない。
そんなシルヴィアに、追い打ちをかけるようにクリフは言った。
「殿下は……あなたが来てから変わりました。いや、あなたが生きているとわかってから――変わった」
「…………」
「それまでは、どうしてそこまで生き急ぐのかと思うほど、身を削り、心身を麻痺させて、わざと進んで寿命を縮めているのかと思うほど政務に没頭していた」
それは、部下の目から見ても心配になるほど――。危うい、鬼気迫るものがあったとクリフは言った。
「まるでそうして仕事に打ち込むことでしか逃れられない現実があるような――、見たくない現実から目を背けるためにそうしていたような――……。いま思えば、そういうことだったんだと理解できます」
見たくない現実――――。
それは言葉にせずとも、じっとこちらを見つめるクリフの視線で理解できる。
それは、自分が彼の元から去り、生死不明だったという期間のことだ。
「あの頃の殿下も、それはそれで。冷徹で、判断に迷いがなくて。理想の主君ではあったんですよ。真っ直ぐに前だけで見て突き進む――力強い後ろ姿」
でも、とクリフは両目を眇める。
「でもその姿は――――いつしか俺たちには。どこか危うく、痛々しく映るようになっていた――……」
それは、燃え尽きる火が最後にひときわ強く輝くように。
最期に持てる力を全身全霊注ぎ込むような、いつ倒れてもおかしくない後ろ姿。
「だから、ああ――――この人は立派だが、長くないな――と。自分を労ることが許せない、民の命を預かる仕事に手を抜けないこの人は、前に進み身を削りながら、いつかある日突然倒れるんじゃないかと、そう思っていました」
遠い日に思いを馳せるように、クリフは語る。
「でも――――、あなたが来てから変わった」
クリフの優しい眼差しが、眩しいものを見るように自分を捉える。
「あなたがレムリア帝国にいると知って、あなたを迎えに行くと宣言した日から……あの人の目に光が宿ったんです」
それまでは、暗く闇の中を彷徨うように。淡々と、粛々と日々を歩んでいた彼の目に、目映い青い炎が灯ったのだとクリフは言った。
「そしてそれまで自分のことなどすべて棚に置いて、何一つ希望らしい希望も、王族らしい勝手もしなかったあの人が、ほかの全てをなげうってでもあなたを取り戻しに行った」
その背には、もうあの危うい今にも崩れそうな死相はなかった。
「そうしてあなたに再会して、レムリア城の城門で、あなたと話している殿下を見たとき…………俺たちは、初めて知ったんです」
――あぁ、この人はこうやって笑うんだ。って。
そこで初めて、俺たちは自分の主君の笑みひとつ見たことがなかったのだと気づいたとクリフは自嘲した。
「ま、それでもユリシスなんかは、異国の女に誑かされているだけだなんだと腹に据えかねていたようですが。それでもあいつも俺も――内心感謝はしてたんですよ」
――やっとあの人が、自分の人生を生きたいと思えるようになったんだって。
そう、ニヤリと笑うその顔に、どこか兄のような大きな優しさを感じる。
「全部皇女殿下、あなたのお陰です」
「そ……そうかしら……??」
「ええ。あなたは間違いなく、殿下にとっての宝物で生きる意味だ」
突然の告白に、頬どころか耳まで茹で上がるように熱い。
「だから皇女殿下。あなたはもっと我が儘を言っていいと思いますよ。そのほうが殿下も喜ぶ」
「そう、かしら……?」
「ええ。間違いなく。だって、あなたの我が儘を叶えられる男は、この世でたった一人……殿下だけなんですからね」
「!」
一緒にいたい。傍にいたい。
ただそれを口にするだけで、ミリウスは喜んでくれるだろうか――……?
「……わかったわ。帰ったら……言ってみる」
「ええ! そのときの殿下の顔が見物ですね!」
「見世物じゃないから!!」
「ははっ」
そうして兄妹のように戯れながら、美しい湖畔での休息が終わる。
キラキラと煌めく湖面と頬を撫でる風を感じながら、
(ミリウス……やっぱりあなたとここに来たかったわ。そのほうが……きっとこの景色も、もっともっと美しく見えただろうから)
目映い景色を共有したい。
いますぐ語り合いたい。
そんなことを思いながら――――シルヴィアは再び馬車に戻る。
(帰りは……ここでミリウスと湖を見ましょう)
ささやかな願いを胸に秘める。
その願いが――――もう叶うことはないとも知らずに。




