第22話 おしのびデート 2
ミリウスと共に、王都におしのびデートに出かけたその日。突然の雨に降られたシルヴィアは、何故か宿の受付にいた。
「ハイ、夫婦2名1室ね。2階の通り沿いの角部屋だよ。晴れてりゃ眺めはいい部屋なんだが……ま、ゆっくりしていきな」
確かにミリウスに、
『もう少し……雨の避けられる場所で過ごさないか?』
と、提案は受けたのだけど。
(――――宿!?)
店主に説明を受けるなり、追加料金を支払い大きな手拭いを受け取ったミリウスは、スタスタと階段を上っていく。
「…………シルヴィ?」
「あ……う、うん!」
慌てて彼を追いかけて、シルヴィアは階段を上った。
(ここが…………私たちの部屋)
部屋の扉の前に立って、シルヴィアは無意識に服の裾をつかむとゴクリと唾を呑む。
(え、ええと……これってミリウスはどういうつもり……!?)
単純に、本当に単純に雨宿りという可能性はある。
けれど世の多くの男女は、付き合い、キスをし、関係を深めていくと……その先にはこういうことがあるのだと聞いたことがあった。
(たしかに……最近は甘い雰囲気が多かったけど!!)
記憶を振り返れば、どうして無事だったのかわからないくらい甘すぎる雰囲気だった気がする。
(だから今日…………ここに来たの――!?)
思い返せば、ミリウスはずっと自分のことを好きだと気持ちを伝えてくれていた。
再会から考えても、すごく紳士的に待ってくれたように思う。
一般的な男女のそれがどの程度の期間で至るのかはわからないけれど、ミリウスが自分を大事に扱ってくれたことは明白だった。
(でも……私が……昨日たくさん好きって言ったから……)
自分でも思い返せば羞恥に染まるのだが、そのときは好きで好きでしょうがなかったのだから仕方がない!
でもそれをミリウスがOKサインだと受け取って、今日の運びになったなら――――責任はシルヴィア自身にあるように思えた。
(王宮だと、婚姻前にするのは褒められないことだから……?)
実際問題どれほどの婚約者たちが守っているかは知らないが、結局は婚約が破談にでもならない限り、当人たちが黙っていれば外にはわからないことだ。
(だから、監視の目がない外で……)
たしかにミリウスはすごくシルヴィアに気を遣って、夜遅くまで恋人の部屋に滞在することはなかったし、彼の部屋にだって正式に招かれたことは未だなかった。
(ほ、ほんとうに? 今日なの…………?)
動揺と緊張で、シルヴィアは石のように固まる。
そんなシルヴィアには目もくれず――――ミリウスは部屋の扉を開いた。
そうして突然上着を脱ぎだしたミリウスにシルヴィアが背筋をピンと伸ばし硬直すると、
「シルヴィ。あなたはここで。俺は部屋の外で身体を拭いてくる」
そう言ってシルヴィアに大きな手拭いの片方を渡すと、部屋の外へ出て行った。
(………………。杞憂、だったのかな)
ミリウスの姿が消えた扉を見つめながら、シルヴィアは手拭いを握り締める。
『シルヴィ、服も乾かしておいたほうがいい。冷えるといけないから』
「!」
扉の向こうから聞こえた声に、シルヴィアは慌てて服を脱ぐと、髪と身体の水滴を拭い、魔法で服を乾燥させた。
(そっか……。この格好だとお店にも入れないもんね。それに――魔法でも服を乾かせる温度となると、着たままだと火傷しちゃうし)
だからきっとミリウスは気を遣ってくれたのだ。
なぜかホッと胸を撫で下ろす安堵に、シルヴィアは乾いた服に着替えると、部屋の扉を開ける。
「ミリウス、あなたの分の服も乾かすから――――、っ!!!?!」
「あぁ、シルヴィ。すまないな――――?」
シルヴィアが無思慮に開けた扉の先――――そこには、上衣をすべて脱いだ上半身裸のミリウスがいた。
「!!?」
「あぁ……見苦しくてすまない。身体を拭いていたものだから……」
「そ、そうだよね。濡れたものをもう一度着るわけにもいかないし……服、貸して?」
全自動で動く機械のようにミリウスから服を預かると、部屋に入ってきた彼の目の前でシャツを乾燥させる。
「便利なものだな」
「うん……本当にね」
「…………」
「…………」
それ以上、言葉が見つからない。
背後に立っていた彼の先ほどの姿が脳裏に焼き付いて、冷静な思考を阻害していた。
(どうして!? 学院時代は全然平気だったじゃない……!!?)
学院時代、まだ彼が生徒だったころ。
呪紋の施術や授業の一環で、彼の同じような姿を見ることは度々あった。
けれどその時は、何も感じなかったのに……!!
(し、心臓の音が……おかしくなってる……!)
彼の背が伸びたからか。筋肉量が増えたからか。
大人の男性の体つきになった彼を前に、シルヴィアの思考はパンク寸前だった。
「…………シルヴィ?」
「あっ、も、もう大丈夫よね!!」
うっかりシャツを焦がしかねない恋人に優しく声を掛けると、ミリウスはシルヴィアに感謝を告げて、それを受け取った。
「シルヴィ……」
「!?」
「俺の勘違いかもしれないが…………緊張、しているのか?」
「!!!!!」
「そうか、やっぱり――――」
ミリウスはホッと安堵するように息を吐くと、優しくシルヴィアに語りかけた。
「シルヴィ、安心してほしい。今日はもう少しあなたと過ごしたいだけだ――。あなたに手を出すつもりはない」
「……そう、なんだ」
「そうあからさまに安心とされると複雑だが……少なくとも、あなたに望まれるか、結婚するその時まで。そういうことは……大事にしたい」
ミリウスの彼らしい誠意に、安心する反面。どこか胸の奥に、カラリと冷たい風が吹く。
(…………あれ?)
よくわからない自分の感情に、シルヴィアは当惑した。
シャツを身につけ、いつもの姿になったミリウスが、窓辺のベッドに腰かけ窓の外を覗いていた。
「雨…………やまないね」
「そうだな」
「それでも外、見ていて楽しい?」
「あぁ、放っておいてすまなかった」
ミリウスは柔く両腕を広げると、おいでとシルヴィアを誘導する。
(ミリウスは……何もしないって言ったし)
場所がベッドの上なのが気になるが、シルヴィアが靴を脱いでいそいそと上がると、ミリウスは本当に優しく、長椅子に掛けているときのように抱きしめてくれた。
「ここからだと街の様子がよく見える」
「そうだね」
小ぶりになってきた雨の中、家路を急ぐ人、馬車を探す人、客足はいつ戻るだろうかと店から顔を出し空を仰ぐ商売人……様々な人を見ることができた。
「ミリウスは……人が好きね」
「あなたほどじゃないさ。ただ……こうした光景を見るのは好きだ。――――時々、忘れそうになるから」
「…………」
ミリウスは、シルヴィアを抱きながらぽつりと零す。
「政務に没頭していると、時々…………人のことが、ただの数字に見えてくるようになることがある」
「……」
「どちらがより効率的か、どちらがより損害が少ないか――。政務を預かる者として、最善最良の道を求めて――――気づいたときには、何のために働いていたのか忘れそうになることがある」
「それは…………そうだね」
シルヴィアにも、それはわかるような気がした。
任務という、なるべく多くの命を守り目標を成し遂げるという過酷な瞬間。昨日まで顔の見えた仲間だった人間は、その瞬間究極的に還元された『戦力』という数字に置き換わる。
より多くが生存するためには誰を切り捨てるべきか、誰を生かすべきか。互いにそれを計算し、そして感情も感傷もなく実行する。
それが――――全体の利益のためには、最適解だから。
「だが、そうして忘れたときに……それは本当に正しいことだったのかと振り返る。俺が目指した道は、歩みたいと思った道は、本当にそれしか選択がなかったのかと。それ以外選びようがなかったのかと、もっと、何のために働くべきだったのかと、原初の動機を思い出そうと振り返る――」
「そんなときに、ミリウスは市民を見るのね」
「あぁ」
「……じゃあ、今日のデートも役に立ったね」
彼の役に立つなら嬉しい。それが純粋に私のためだけではなくても。彼の道を照らす指標になるなら、それで嬉しい。
ちょっとだけ寂しい……なんて感傷は、わがままだ。
「――――シルヴィ」
「なに?」
「シルヴィは…………そんな俺の灯台なんだ」
「…………?」
ミリウスは、恋人の見上げる瞳を、優しく覗き込む。
「王宮にいて、市民の顔が見えないとき――俺は、あなたの顔を思い浮かべる。市井で暮していたあなたが、俺のこの選択に笑ってくれるだろうか――と。怒りはしないだろうか――と」
毎夜、毎晩。振り返り。内省し。そうして自身にできる最良の一手の向こう側を選び求めようとする。
そのための遙か遠い――けれど挑む価値のある灯台になるのだと、ミリウスは言った。
「私……そんな大したことは……」
「俺が勝手に思っているだけだ。あなたが、俺にとって――最も信頼できて、最も大切な『市民』だったから」
そのためになら、限界も、前例のない政策も、努力して通すだけの価値がある。
「~~~~~! ミリウスは……私を買い被りすぎよ」
「そうだろうか?」
「私ひとりを参考になんて――……」
「ひとり、じゃない。この世のあらゆる人を大切にするあなただから――――俺は大切なんだ」
甘く、髪に口づけられて。
シルヴィアは何も言えなくなる。
「それに、自分の婚約者のために頑張らない男はいないだろう?」
「それは…………」
「シルヴィ。…………頑張っている俺に、褒美が欲しい」
「え……」
「手は、出さないから――――」
「っ!?」
突如、強引に引き寄せられて。
ベッドに横になった彼の胸に落ちる。
「ミ、ミリウス……!?」
「何もしないから――――ここにいて」
そうして、彼の胸の上に覆い被さったまま、大きな腕で抱きしめられる。
(心臓の音が…………すごく早い)
いつもは平然とした彼の鼓動が速く打ち、そうして徐々にゆっくりと落ち着いたものに変化していく過程を、その胸に耳を寄せて聞く。
「ミリウスも…………緊張するんだ」
「シルヴィは俺を何だと思ってるんだ」
好きな相手に寄り添われたら――――男なら誰でものぼせ上がる。
そう言って、シルヴィアから腕を解いたミリウスに、それでもシルヴィアは寄り添った。
「雨…………止まないね」
「そうだな」
「もう少し……かかるかも」
「そうだな」
「ならもう少し…………二人でゆっくりしていきましょう」
彼の、広い胸に身体を預けて。
何の役目も役割もない午後を謳歌する。
それはやがて、彼の穏やかな鼓動とともに心地いい睡魔を伴って……。
二人、眠りに落ちていく――――――……。
幸せで、温かな眠りへ……。
*
「それで…………俺はほっぽり出されたわけですか。そうですか」
「だからそれは……すまないと言っただろう。クリフ」
あの王都散策のその翌日。
前日に半日あまりの休暇を満喫し帰還した王太子は、クリフの目の前でそう謝罪した。
(本来なら護衛に謝罪なんてする必要のない立場の人なんだが……本当に人がいいな、この人は)
それに甘んじて自分も気安く仕事ができるのだから、無理に畏まる必要もないかとクリフは態度を改めない。
「いや、本当に。殿下たち二人が宿に入ったときは、俺はどうしようかと思いましたよ」
「だから……」
「追いかけるわけにもいかないし? 何が起こるかわからない部屋の前に立つわけにもいかないし?」
仮にも婚約している熱々カップルともいえる二人を気遣って、宿の外から見守るに留めたのだ。
……おかげで半日雨に打たれ、濡れ鼠の姿で帰還する羽目になったが。
「それなら宿の主人に適当な事情を話して、部屋の前にいればよかっただろう」
「は…………?」
「そうすればお前は濡れずに済むし、なんなら隣の部屋を取っていてもいい」
「いや…………」
クリフは驚嘆した。
この王子の、あまりに青すぎる無垢な恋路に。
「殿下……あのですね? もし宿の中で殿下たちが――その、外に秘さなければいけない事態になっていた場合? 殿下は嫌でしょう。俺が部屋の近くにいるなんて」
「……? どうしてだ」
意味がわからない。本心からそんな顔をしている王太子に、クリフは頭を抱えた。
「庶民の宿の壁は薄いんです。殿下だって聞かせたくはないでしょう。その――――皇女殿下の声を」
それとも俺が聞いても気にならないもんなんですかね? とクリフが続ければ、王太子はようやくその言葉の意味に思い至ったのだろう。
「な――――」
顔を真っ赤にして、『何を考えてるんだお前は!?』と激昂した。
「なら俺の配慮にも感謝してくださいよ――――ってアレ? その反応は…………え? え??」
クリフの背筋に、冷たいものが走る。
「まさか殿下……婚約者と、熱々の恋人と宿まで行って――――本当に何もなかったんですか!?」
――信じられない!!
遊び人ではないが、それなりに人生楽しく謳歌してきたクリフは目を剥いた。
「うるさい。お前には関係ないだろう……」
「え……マジで? マジで本当に殿下、そうなんですか……?」
宿から出てきた二人は、あんなに甘そうに見つめ合っていたのに。
「お前には…………言う必要性を感じない」
21歳。まだまだ青い我が主は、背を向けるとそのまま職務へと向かって行った。
(まぁ……人の恋路は人それぞれ、か)
奥手か、自制心の塊か。
理由はわからないが、こればかりは当人たちに任せるしかない。
ただ、もし当人たちが困ったときは……。
「年長者として、助言だけはすっかね?」
頭の後ろで手を組んで、騎士クリフは若い二人を応援する。
絵に描いた理想のような、次期王太子夫婦。
その輝かしくも、初々しい恋路に――。
騎士クリフは、兄貴分として、彼らを見守るのも悪くない。……そう、思った。




