第19話 恋心 1
刺すように届いた殺気――それにシルヴィアが顔を上げると、そこには廊下の先に一人の人物がいた。
「王太子……殿下……!」
つい先ほどまで自分に耳打ちしていた騎士クリフが、青い顔をして直立不動に姿勢を正す。
そうして王国軍式の敬礼をすると立像のように固まってしまった。
「……クリフ。彼女が随分世話になったようだな」
「はっ!」
「……借りていくぞ」
「!!」
そう言うとミリウスは、硬直する騎士クリフを放り出し、シルヴィアのもとにゆっくりと歩み寄る。
そうして無言でシルヴィアの手を取ると、どこかへと引いていった――。
(色々説明したいけど……でもいまは女官姿だし……)
他人の目こそないが、正体バレの危険を冒すわけにはいかなくて、大人しく彼に付き従う。
そうしてシルヴィアが連れて来られたのは、ある部屋だった。
(え……?)
「事情はあとで説明する。それまでは誰も部屋に通すな。……誰もだ」
そう部屋の前で警護の任にあたる近衛兵に言いつけると、ミリウスはシルヴィアを王太子の部屋へと連れ込んだ。
(ここがミリウスの部屋……)
初めて入る空間に、思わず室内の装飾に目を奪われる。
そこはシルヴィアの部屋と同じく高い天井を持ちながら、青や水色――より深い色合いを基調とした、落ち着いた雰囲気の部屋だった。
日中は無人だからだろう。高価な家具を守るため閉じられたカーテンの隙間から、夕陽の最後の明かりが漏れる――……。
そんな薄暗い空間で、室内の様子に目を奪われていたシルヴィアを、ミリウスは突然ぐっと引き寄せた。
(え――――?)
そうして気づいたときには、背後を壁に、ミリウスとの間に閉じ込められていた。
「あなたは……俺を試しているのか?」
婚約者を壁に突いた両腕で閉じ込めながら、ミリウスは昏く影の落ちた瞳で詰問する。
「あなたがどれほど『自由』を謳歌しようと、俺が黙認できるかを――――」
ミリウスの瞳が、不穏に青く輝く。
「俺は、誰にも。 あなたを分けるつもりはさらさらない――――」
そうしてミリウスは、シルヴィアの左手を掬い掲げてみせると、その薬指に歯を立てた。
「っ…!」
「俺が贈った婚約指輪もつけず……何をしていた?」
「!!」
「あなたのことだ。……きっと事情はあるのだろう。 だが、指輪もつけず、ほかの男の宿舎に足を運び、俺の知らない石鹸の香りをさせて――――耐えられる我慢にも限度がある」
まるで壁がミシリと軋みそうな、重い怒り。
ミリウスは声を落とす――。
「あなたは俺のものだ。その瞳も、その髪も。その声も、その指先も……。あなたを構成するものすべて、俺の――――」
苦しみに顔を歪めると、ミリウスは望んでも手に入らないものを渇望するように、シルヴィアを掻き抱いた。
「っ!」
「本当は、あなたをこの部屋に閉じ込めたっていい。一生ほかの人間に会わせず、ほかの世界を見せず……。俺だけの帰りを待って、俺だけのためのあなたになるようこの部屋に繋ぎ止めることだってできる」
まるでそれを望んだ過去があるようにミリウスは語る。
「なのにそれをしないのは、あなたを不自由な目に遭わせたくないからだ。あなたから自由を取り上げ、あなたの曇る顔を見たくない――……」
心の底からそう思うように、ミリウスはぐっと自分を押し殺した。
「なのに――――それなのに、あなたは……!!」
慟哭のような葛藤が降る。
「こんな行動を取って――それで俺がどう思うかは……! あなたにとってそれほど気にかける価値もないことなのか……!!」
傷ついたミリウスの深い悲しみが、指先から伝わっていた。
「ミリウス……」
「っ、名前だってそうだ……。俺と、あなただけの。思い出の名前さえ好きに呼ばせて……!」
シルヴィアのもう一つの名前――市井で暮していたころの名前を、騎士クリフが呼んだ場面を彼は見ていたのだろう。
ミリウスはシルヴィアの顔を覗き込んで叫んだ。
「俺だって、ずっと呼びたかった……!! ずっと……シホ、と――」
「っ!!!!」
「シホ、俺は――……」
「――――だめっ!!」
「!?」
「あなたは…………あなただけは、そう呼んじゃ駄目っ!!」
シルヴィアは、反射的にミリウスの胸を押し返した。




