第18話 近衛騎士クリフの日常 3
「この手を離しなさい。私が皇女よ。皇女シルヴィア――」
皇女の部屋から出てきた怪しいメイドを捕まえて。
騎士クリフが見たのは、化粧っ気の薄い黒髪紅目の女だった。
たしかに言われてみれば、皇女殿下と同じ外見背格好だ。しかし、最初に一見したときは、まったくそうは思わなかった。
「それはそうよ。そうなる魔道具を身につけているんだから」
そのメイド――――自称皇女殿下が掲げて見せたのはひとつの指輪。
その曇った輝きを閉じ込めた指輪は、彼女曰く魔道具らしかった。
「この指輪は身につけた者の存在を認識しづらくする指輪よ。通常は本人の正体をわからなくさせて、どこにいてもおかしくない存在感の薄い他人を装えるようになるはずなんだけど……どうしてかあなたには効き目が薄かったようね」
「あー……それは」
「?」
「俺、生まれつき幻術系への耐性が強いようで……」
だからこそ皇女を脅かす魔術への対抗手段になると、彼女付きにされたのだが、それがまさか皇女自身の幻術を破るきっかけになってしまうとは。
そう言われて見下ろしてみれば――――目の前のメイドは、どこからどう見ても皇女だった。
しっかりと手入れの行き届いた黒髪に、生気を感じさせる生き生きとした紅い瞳。
いつもより化粧っ気が少ないせいか、あの男を惑わすような美貌はないが、それでも顔立ちは十分整ったものだった。
街で歩いていたなら、澄ました美人だと男たちが声を掛けたくなるような横顔。
それが、いつにもまして子供っぽい顔つきで立っていた。
「え、ええと……皇女殿下はなぜこんなことを?」
「シホよ。この格好のときはメイドを装ってるの。だからその呼び方はやめて」
「え、ええと……ではメイドのシホさんは何故こんなことを……?」
わけがわからない。クリフはほんの数分ほどの間に起きた急転直下の展開に狼狽えていた。
「王宮内の地理把握と情報収集のためよ。内部の構造や、裏方から見た内情を把握するためにメイドを装って働いてるの」
「!?」
「何? 何かおかしい?」
「え、ええと……それを王太子殿下はご存じで?」
「もちろんよ。許可はもらってる」
次期王太子妃が下働きのメイドに交じって働くとは!
それを許可する王太子も王太子だが、それほど皇女に甘いのだろうか?
(まぁ確かに、元は市井暮らしだったしな……)
普通の令嬢と違い、労働への抵抗も、技術的な問題もないのかもしれない。
「そうだとしても……! 危険でしょう! 護衛も付けず」
何のために王太子が、始終自分を皇女に張り付かせているのかわからない。
あなたの身を守るためなんですけど……。
「大丈夫よ。この指輪をつけている以上、まず他人の意識にはのぼらないし。下手なことをしなければ人の記憶にも残らないわ」
それは王太子の捜索網から逃げた一件で実証済みなのだと彼女は言う。
「それでも……」
「私、これでも喧嘩の腕には自信があるのよ?」
ふんすと鼻息荒く拳を握ってみせる彼女に、クリフの頭は痛くなった。
(勘弁してくれよ……)
自称喧嘩番長な皇女の戯言に、クリフは額を押さえた。
「皇女殿下――」
「シホよ」
「シホさん? あのですね……」
子供のように目を期待に光らせて、護衛が主の武勇伝でも聞くのを期待しているような眼差しに、クリフはため息をつく。
そして意を決して言い切った。
「あなたがここでの暮らしを窮屈に思う気持ちもわかります。ですが、いくら王太子殿下の許可があろうと自由に王宮内を出歩かれてはこちらも護衛のしようが――」
「あなた、さっき私の胸を揉んだわよね?」
「!?」
「別にれっきとした職務だからあえて何も言わなかったけれど……これって殿下に報告すべき事案だと思う?」
「!!!!!」
殿下に、報告?
あなたの婚約者の胸を揉みました。
想像より柔らかく気持ちよかったです。……と?
(ぜっっったいありえねえぇぇぇ!!)
ただでさえ皇女付きで誤解を招かないようにしなければならない立ち場だ。
それがまだ王太子ですら触ったか定かでない婚約者の胸を、先にほかの男が揉みましたなどと報告した日には……。
(殺される。殺されなくても5日くらい干される……物理的に)
あの王太子は、自分のものに手を出す輩を絶対に許しはしない性分だ。
それをほかでもない。彼の伴侶に手を出したとあっては、いくら職務といえ、ただでは済まされない。
「あの~~、できれば殿下には報告しない方向でお願いできると助かるんですが」
「そうよね」
「ええ」
「じゃあ見逃して。というか手伝って?」
「!?」
「私一人だと潜入できる場所にも限りがあったのよね~」
そういうと皇女は、いきいきと話し出す。
「あなたがいるといろいろ助かりそうだし。よろしくね」
皇女シルヴィアは、にっこりと微笑んだ。
*
それからというもの、クリフの日課は皇女がいる設定の部屋の警護任務になった。
皇女の自室や、彼女が訪れているという無人の施設。図書室や空の応接室など、皇女の不在を偽装するためのていのいい『標識』になった。
「あのですね~、やはりこれだと俺の仕事ができていないような気がするんですが」
「大丈夫大丈夫。十分役立ってるから」
そう言って彼女は以前にも増して潜入活動に精を出すようになった。
清掃担当メイドから、厨房見習い。王立騎士団所属魔術師に、果ては馬房の掃除係まで!
園丁の手伝いをしてくると言って出かけた彼女の様子を見に行って、厩舎で馬の糞を掃除していた彼女を見たときは目が飛び出るかと思った。
(どこの世界に馬糞を掻き出すお姫様がいるんだよ……!)
馬の寝床用の藁を敷き詰めて満足そうにしている彼女を引き出せば、
「どう? むかし羊の世話をしていたから、こういうのは得意なのよ?」
と、自信満々に胸を張った。
「殿下に馬糞の臭いをさせたあなたを近づけるわけにはいかないのでさっさと風呂に入ってください……!!」
そう言って近衛隊用宿舎の風呂に彼女を突っ込んだときは生きた心地がしなかった。
(王宮に馬糞の臭いをさせた皇女を連れていくわけにはいかないから仕方なかったんだ! 頼むから殿下にはバレないでくれよ……)
基本男所帯なので、ほかの人間が入らないよう番に立ちながら痛感する。
(皇女殿下――もといシホは、男を振り回す女だ。……悪い意味で!)
基本周りの苦労を考えない。教師時分はどうだったか知らないが、目を配るべき相手がいなくなった途端、自由気ままに動き出す。
それも――――驚くべき行動力で。
(天真爛漫、そう言えば聞こえはいいが……!!)
どうみても面倒な女だ。それも厄介なほど!
しかしきっと、そういう女だからこそ王太子ものめり込むのだろう。
真面目な性格の人間ほど、この手の自由な存在には憧れやすい……。
この先もますます王太子の執着を深めそうな女に、クリフは身を引き締めた。
(俺は平穏に生きたい……それだけなんだ)
なのに現実は、破天荒な皇女のお守りで、王太子の怒りを買いそうな罪ばかり重ねている。
風呂上がりのさっぱりした女官姿の皇女を引き連れて、なるべく目立たぬよう宿舎を出る。
この際自分に女官との逢い引き疑惑が出るとかそういうのはもうどうでもいい。
ただ、いまは、無事平穏に、このお転婆皇女を部屋まで送り届けられれば……!!
この時間は自室にいることになっている皇女の部屋へと二人で向かう。
皇女に用のある女官と、同じ場所へ立番交替に向かう近衛騎士。適度に距離を空けていれば、特に不審感はない組み合わせだ。
(しかし何か忘れているような……)
さっぱりとした後ろ姿の皇女を見ながら天を仰ぐ。
(あ!!!)
クリフは皇女に駆け寄った。
「皇じょで―――― っ、シホ!!」
呼び止められた皇女が振り向く。
「あのう……今日の件は殿下には内緒にしてくださいね」
「?」
「その……宿舎に来た件です」
小声で女官姿の皇女に耳打ちする。
もし今日の一件が殿下の耳に入れば、あらぬ怒りを買いかねない。
「わかってるわ。私もミリウスに怒られたくないし」
……自覚があるなら、もっと考えて行動してほしい。
「とにかく―――――― っ!?」
その瞬間、どこからともなく届いた殺気に剣の柄に手を掛ける。
「あ……」
しかしその刃は、鞘から姿を見せることはなかった。
刺すような、鋭利な刃物のように届いた視線。
その主を発見して――――……。
( ……終わった )
廊下の先に佇む主――――王太子ミリウスの姿を発見し、クリフは最期の敬礼をしたのだった。
※正体を隠す魔道具の指輪は、4章『学園祭編』の『魔道具パニック』で登場したものです。
なので一度正体がバレたミリウス相手には効果がないです。




