第16話 近衛騎士クリフの日常 1
皇女シルヴィアの近衛騎士、クリフ・オーウェンの日常は、王宮の詰め所に出勤するところから始まる。
王宮の奥深く、王太子とその婚約者が居住する区画の入り口には詰め所があり、そこで同じ隊の衛兵たちに挨拶し、自身の所定の位置である皇女の私室前に配置に着く。
そうして背筋を正したクリフは……ひとつ大きなあくびをした。
(あー……今日も一日、何もありませんように)
厄介ごとは勘弁で、少しでも楽をしたくて王国軍に入隊した。その後縁あって掴んだ近衛騎士の仕事。
過酷な訓練もなく、面倒な上官もおらず。日がな一日快適な宮殿の廊下でぼーっと立番をしながら、飯のことを考えていればいい最高の仕事だ。
(クビになるまで少しでも長くいれたらいーんだが……)
同郷のユリシスと同じく、自分もこの不真面目な態度が原因で、何かと疎まれがちな性格ではある。
もちろんあいつよりは処世術に長けているし、生来の のらりくらりとした性格が幸いして、奴よりは上手くやっているつもりだ。
が、それでも目をつけられるときはつけられる。
(いまの職場は上司もいいし、このまま平穏に過ごしたいもんだ)
目下の上司。王太子ミリウスの姿を思い浮かべながら、クリフは回想する。
『――殿下より、皇女殿下を優先しろ、ということですか?』
『そうだ』
皇女の近衛騎士の任を拝命したその日、クリフの問いに王太子ミリウスはそう答えた。
『俺の指示と彼女の意向が食い違ったとき、彼女の騎士であるお前だけは、何があっても彼女の意思を優先しろ』
『それは――――』
クリフは戸惑う。
『それは、皇女殿下が「王太子を斬れ」と言ってもですか?』
『そうだ』
一瞬の迷いもなく即断したその言葉。
クリフは自分でも珍しく瞠目したことを覚えている。
『彼女が俺を斬れと命じたのならば、それなりの理由があるのだろう。俺が人の道を墜ちたのならば、彼女ならきっとそうするはずだ』
それを甘んじて受け入れる。
それが当然のように、目の前の主君は言った。
(……ただ女に溺れているだけかと思ったが……)
王太子ミリウスの皇女への熱情は、並々ならぬものだ。
行方不明になったときは国中を探し出し、国外までその手を広げ、手元に取り戻そうとした。
それはてっきり若さゆえの激しい恋情だけかと思っていたが、どうやらそうではなさそうだ。
その根底には、皇女への思慕と深い信頼があるように思えた。
(そういや、皇女は元教師とか言ったっけ……)
あいにく教師や孤児院の職員どもに、何一ついい思い出はないのだが、それが王太子にとってはかけがえのないものだったのだろう。
仕事人間で無理をしがちな王太子も、皇女が諫めるとその生活を改めた。
(元が真っ当な人間な分、仕事をするな言っても聞かないからな。あの人は)
過労死まっしぐらなあの王太子がまともな生活に戻るのなら、それは文官たちも一安心だろう。
(それだけ惚れ込むもんなのかね)
暇な立番なのをいいことに、脳裏に自身の主である皇女の姿を思い浮かべる。
(たしかにいい女だが……)
艶やかな黒髪に、人を惹きつける魔性の瞳。
その紅玉の瞳に魅入られたなら、多くの者が抵抗することもなく墜ちるだろう。
他ならぬ自分だってそうだ。
(皇女さまにこんなことを考えるのもアレだが。容姿とスタイルだけなら、好みど真ん中なんだよなー)
少し気の強そうな意志のはっきりとした顔立ち。
それでいてしっとりと濡れて光るような黒髪に、メリハリのある猫のような身体つき。
街の酒場で見かけたなら、ぜひお近づきになりたい相手だ。
(でもま、性格がなー。たぶん全然合わねぇだろうし、これからどう仕事すっかね?)
不真面目な自分とは正反対の、まさに皇女といった、淑やかで模範的な皇族らしい所作の主に、クリフはどう付き合ったものかと天を仰ぐ。
(ま、護衛騎士の仕事なんざ、直接皇女さまと言葉を交わすこともそうねぇしな)
ただその隣に付き従って、粛々と任務に当たればいい。
そうしてクリフは、日常の業務に意識を戻すことにした。
(おっと、そろそろ時間か……)
皇女が朝食から戻り、自室に帰って1時間。
日課なら、王太子妃教育の教師が来て授業を受けるか、それがない日は、自室で読書や書き物にあてる時間だ。
そんな時間に――――……。
カチャリ、と皇女の部屋のドアが開く。
そこから出てきたのは、一人のメイドだった。
白と黒のお仕着せを着た、王宮雑務女中。
何食わぬ顔で退室し、廊下へと消えて行こうとするその肩をつかまえてクリフは、
「よぉ、お嬢さん。ちょっとこっちで話を聞かせてくれる?」
顔を凍りつかせるメイドを、廊下の隅に引き込んだ。




