第15話 王太子ミリウスの葛藤
ミリウスが婚約者シルヴィアの部屋に入ったとき、彼女はこちらに背を向けて部屋の中央に立っていた。
「ミリウス? どうぞ入って、いまちょっと手が離せなくて……」
何か考え事をしているのだろう。
こちらを振り返ることなく声だけで返事をする彼女。
その後ろ姿に…………ぐっと胸の奥が締めつけられた。
「ミリウス……?」
傍に寄って背後から抱きしめれば、彼女が不思議そうに視線を上げる。
「どうしたの?」
そのいつもと変わらない眼差しに……彼女に回した腕にぎゅっと力を込めた。
(彼女には……他意は無いとわかっているのに)
ほかの男を惹きつけるのも、周囲の人々に愛されるのも。彼女自身の魅力ある資質で、責めるべきものでないと理解っているのに。
(それなのに…………俺だけの彼女でいてほしいと願ってしまう……)
初めて目にしたときから、『皆の先生』だったから。
もっと自分を見てほしい。
自分だけを、見てほしい。
自分だけの……俺だけの彼女でいてほしい――……。
(彼女を独占したい……。そんな欲求ばかりが湧いてくる)
彼女を、ほかの誰も触れられない場所に閉じ込めて。
自分だけが、彼女の世界になって。
彼女の笑顔も、優しさも。ただ一人で享受して。
未来永劫、二人睦まじく愛し合って生きられたなら――……。
それはなんと、心揺さぶられる未来だろう。
(だがそれは彼女のためにならない。……それでは父と同じだ)
第一王妃との結婚を、半ば身分の差で押し切って。
王妃が王宮内で上手く立ち回れず孤立しても、彼女をけして手放そうとはしなかった。
自分と幾人かの使用人だけが入ることを許された屋敷に囲い、彼女が病で命尽きるまで、王宮という檻の中に閉じ込め続けた。
(シルヴィには……そんな思いはさせたくない)
ミリウスは自分の命にすら勝る宝物をぎゅっと抱きしめる。
そうして、そんな葛藤をこぼすように、拗ねた言葉を口にした。
「あなたは……またそうやって男を誑かす……」
「!? 何の話!?」
やはり自覚がないのだろう。
シルヴィアは恋人の腕の中で抗議の声を上げる。
「誑かすって……、まさかさっきのユリシスとのこと? あれはただ同僚として叱咤激励してたというか……。我慢できなかったというか」
「あなたはユリシスの『同僚』なのか?」
「え? ほら、同じ王宮で働く仲間というか……」
「あなたは王宮に仕事をしに来たのか?」
「え……」
恋人の言わんとすることを察し、シルヴィアは自分をとらえるその腕にそっと手を添える。
「……あなたの奥さんになるためよ」
観念したように、とすんと背を預ける細い体を、誰にも渡すまいと引き寄せる。
「そんなにほかの男の人と話すのは嫌?」
「理解は……している……」
「それでも我慢できないのね……」
「あなたが、どこか遠い場所へ行きそうで……」
それだけをぽつりと零すと、シルヴィアはぴたりと静止する。
そして、
「それはきっと……私のせい、よね。私があなたから逃げたから……」
そう呟いた。
学院時代の最後の日、告白の返事を聞きに彼女のもとを訪れたとき。その日彼女は、ミリウスの目の前から忽然と姿を消した。
呆然と立ちすくむミリウスの胸の奥に、絶望と後悔だけを強く残して。
「本当に、あなたが消えてしまったと思ったんだ。この世から……もう二度と会えないんじゃないかと……」
身を切るような。心を凍らせ、千々に引き裂くようなあの日々を。いまもこの身体は覚えている。
呼吸さえ満足にできないのではないかと思う日々。あの日々にまた戻るくらいなら……。
(彼女が、二度と俺から離れていかないように。縛りつけたい、と……そんなことを思ってしまう)
枷でもなく、檻でもなく。
ただ、彼女が自分から離れていかない楔。
「シルヴィ……早くあなたと結婚したい……」
「!」
できもしない相談を、ただ自分の願望を押しつけるためだけにシルヴィアに投げかける。
彼女にプロポーズし、彼女自身が王国に来ても、まだ式の日取りさえ発表できないのは、他ならぬ王国側の事情のせいだ。
国王の第2王妃が数ヶ月前に病死した。そのために、現在喪に服している最中の王宮では、どうしても祝事は未だ憚られる。
だからどれほど望もうとも、彼女の意志ではどうにもできないことなのに……。
「ミリウス……」
彼女は困ったように恋人の手を握り締めると、ゆっくりとこちらに向き直った。
「そんなに不安……?」
こくり、と恥も外聞もなく無言で頷く。
彼女の前だと、自分はどうしてこんなにも脆くなってしまうのか……。
それほど彼女に心囚われている自分の想いを知ってほしくて、ミリウスは躊躇いつつも自分を偽らないことにした。
「あのね、ミリウス。私、あなたの希望には添えないと思う」
「……っ!」
「ほかの男性と話すのも、もちろんあなたが嫌がるようなことはしないつもりだけど、完全に接触を断つとか、本当にあなたを安心させてあげられるようなことはできないと思う」
「…………」
「それに私も、そんなことはしたくない。それは……きっと長続きしないと思うから」
シルヴィアは真剣な眼差しで語る。
「きっとそれは、いつか窮屈になる。あなたの顔色をいつも伺って、あなたを傷つけないよう誰も彼も遠ざけて……そんな生活、きっといつか無理がくる。私は、そんな生活はしたくない」
きっぱりと言い切って、シルヴィアは…………優しく微笑む。
「私ね、おばあちゃんになるまで一緒にいたいの。あなたとは」
「!」
「毎日何が楽しかったとか、何が嫌だったとか。たくさん話し合って、譲り合いながら。衝突することも、喧嘩して何日も喋らないこともあるかもしれない。それでもずっと……ずっと一緒にいたいの。だから……」
シルヴィアはすっと手を伸ばす。
恋人の、その頬へと。
「あなたの希望は叶えられないけど、その分たくさんあなたを愛するから…………それじゃ駄目?」
伸ばした手で、頬を包み。愛おしげにそっと指で撫でる。
「…………駄目なものか。駄目なはずがない」
愛しい人の、その指先に。慈しむように撫でられて。
そこから伝わる愛情が、喜びに震える唇を引き絞らせる。
「シルヴィ……」
「ん?」
「キスがしたい……」
「いつもは了解なんて取らないのに?」
「いつもより、たくさんしたい……。それに、あなたからしてほしい……」
「!?」
自分で『あなたを愛する』と言った手前、引き下がれなくて。シルヴィアは戸惑いながら背伸びをする。
「ミリウス……屈んで。届かない」
「すまない」
「………………、大好き」
そう言って、ちゅっと触れるようなキスをした。
「……それだけ?」
「~~~!!」
ムキになってするたどたどしいキスも、つたない口づけも。
何もかもが愛おしい。
できることなら……彼女をまるごと食べてしまいたいけれど。
そんな欲望を、ミリウスは静かに闇へと葬った。
「こんなことをするの……ミリウスだけなんだからね」
「あぁ。わかってる」
「本当に? 私がこんなことをしたいと思うのは……」
「したいと、あなたも思ってくれるのか?」
「!!」
自分で放った失言に、彼女も気づいたのだろう。
顔を真っ赤にして、そっぽを向く。
「じゃあもっとしないとな」
「!?」
焦る横顔を掬い取って、逃れようとする唇に覆い被せて。
必死に恋人の服をつかみながら羞恥に震える彼女……。
そんな彼女を見ていると、いつの間にか胸のわだかまりは溶けていた。
いまはただこの愛おしい存在と、甘くくるおしい時間を共有したい……。
ただ、それだけ。
「…………もう駄目っ!」
とんっ、と胸を押し返して、やり過ぎよ!と怒る彼女。
それでも自分を嫌いはしないだろう優しい横顔に、『いまなら大丈夫かもしれない』と、胸の奥にある思いが湧く。
(『彼女を縛りつけたい』。そんな感情で渡すのは望まなかったが……)
ただ、愛おしい。
その気持ちだけで渡せるいまならば。
純粋に、あなたに誓える。
「シルヴィ」
「……なぁに?」
先ほどのやり過ぎに抗議のつもりなのだろう。
若干余所余所しい態度のシルヴィアが、それでも恋人を無下にはできず、可愛くもこちらを振り返る。
「そこの椅子にかけてほしい」
「……?」
不信に思いながらも、言われるがままに腰かける彼女。
その足もとに跪いて――――ミリウスはある小箱を取り出した。
「シルヴィ。遅くなってしまったが……これをあなたに贈りたい」
「……!」
「俺とあなたの婚約指輪だ。……受け取ってもらえるだろうか?」
ちいさな小箱から現れたのは、一対のリング。
その頂に、揃いの空色の宝石が埋められた指輪だった。
「シルヴィ?」
「…………」
「手を取っても?」
「…………」
こくり、と頷く彼女。
俯く彼女の前で、彼女の薬指にそっとリングを嵌める。
「っ……」
シルヴィアは、それを大事そうに胸に抱き留めた。
そうしてしばらくして顔を上げると、すっと残りのリングに手を伸ばす。
「……あなたのリングは、私に嵌めさせて」
シルヴィアは、箱からもう一対の大きなリングを取り出すと、ミリウスの手を掬い上げる。
そうしてミリウスの骨張った大きな手のひらとは比べものにならない細い指先で、たどたどしく薬指を見つけなぞる。
そうしてそこに……銀色のリングを嵌め込んだ。
そうしてしばし、ぼうっとその指輪を眺め、自分のものと見比べて…………。
嬉しそうにはにかんだ。
「……お揃いね」
春の花が綻びるように、涙を目尻に浮かべながら。
満面の笑みを浮かべた。
「あなたのことは、大切にする。一生、幸せにする」
「私も、あなたのことを一生大切にする。幸せに……できるかわからないけど、一生をかけて愛するわ」
互いに、互いへの想いを誓い合って。
優しい輝きの光る指先で抱擁を交わす。
決して未来永劫曇ることのない輝きのように。
二人、互いを想い合って生きられたなら。
「シルヴィ……愛してる」
そうして交わす口づけが、未来永劫続くことを祈って。
今日も俺は、あなたを愛し続けるんだ。




