第14話 近衛騎士ユリシスの葛藤 2
突然ゆっくりと音を立てて開いた扉。
そこから姿を現したのは―― 一人の淑女だった。
「あら……外は随分賑やかなのね」
そうして優雅に微笑みながら――――皇女シルヴィアは、歩を進める。
その泰然とした姿を目の当たりにしながら、騎士ユリシスは道を空ける。
「あなたたち……うちの騎士に用かしら?」
「皇女殿下――」
そう男たちに問いかける皇女に、脇に控えながらそう呟くと、王国軍の連中は背筋を雷に撃たれたように姿勢を正した。
「どうやら見たところ、軍の方のようね。……あぁ、近衛騎士団への転属希望かしら? でもそれならユリシスではなく、近衛騎士団長に言ってもらわないと」
にこり、と微笑んで彼女は彼らに寄る。
「もちろんあなたたちに実力があれば、近衛騎士団はあなたたちを歓迎するわ。私からも話を通しておきましょう」
所属とお名前を教えてくださる?と、愛らしく首を傾げながら彼女は呟く。
そして軍の連中が言い淀んでいると……彼女はさらに一歩を踏み出した。
口元に添えていた閉じた扇子を、そのまま差出し、男の一人の顎をクイと上向かせる。
そしてまっすぐ自分の瞳を捉えさせると……。
「それとも、あなたが私に色目を使ってくれるのかしら?」
妖艶に微笑んだ。
「……!!!」
「このユリシスは、王太子殿下付きの騎士よ。それを殿下がご厚意で私につけてくださったの。王宮での見聞を広めるために。それを『奥方に色目を使って』……と言ったかしら?」
それはつまり――……と、彼女は血のように紅い両目を弓形に引き絞る。
「つまり、王太子殿下という方がおりながら、色目でほかの男を侍らすような女――――そう、私のことを仰っているのよね?」
全身の毛穴が開くような。
ぞくり、と背筋に冷たいものが這うような緊張感が場に満ちる。
「それは私のみならず、殿下をも侮辱しているということに、あなたは気づいているかしら?」
にこり、と。女神がみせる慈愛の微笑みを浮かべながら、少しも笑っていない冷たい光が目の中で揺れる――――。
そんな眼差しを、この世の最上位に君臨する貴人から向けられて――――。
王国軍の連中はじり……、と半歩後ずさりをすると冷や汗を流した。
「………………」
なおも皇女は男たちを睨みつけ――――そして頃合いだと見切ったのだろう。
扇子を引き戻すとパシンと手中に打ちつける。
「今回の妄言は私の心中に留めます。行きなさい」
決して見過ごすわけではないけれど、温情で事を荒立てないでやる――そう匂わせながら、皇女シルヴィアは男たちを静かに一喝する。
「他人に暴言を吐く暇があるのなら、まずは自分自身を精進なさい。少しでも――――王国軍に所属する誇りがあるのなら」
そうしてくるりと身を翻すと、ユリシスを呼ぶ。
「行くわよ」
そうして直立不動で凍る王国軍人たちを場に残し、シルヴィアは堂々と王宮の奥へと消えていったのだった。
*
淡々と、廊下を進む皇女に付き従い、王宮の奥深く、彼女の私室の前でユリシスは立ち止まる。
するとそれまで黙々と前を歩いていた彼女が振り返り――、
「あなたは、なんで言い返さないの!!」
肩を怒らせて扇子を握り締めた。
「あんな奴ら、実力でも品性でも、あなたの足もとにも及ばないじゃない!」
「それは…………」
品性はともかく、王国近衛兵として恥ずかしくない程度には自分を律してきたはずだった。
だからこそ、
「職務中、でしたので……」
近衛として相応しくない態度を取るわけにはいかなかったのだと釈明した。
「それでも! 私の騎士なら鼻で笑ってやるくらいすればよかったのよ!」
少なくとも自分ならそうしてやったのだと、皇女にあるまじき烈火の怒りで彼女は立腹する。
「そこまでお怒りにならなくとも……。もちろん殿下やあなたを侮辱したのは許せませんが――――」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
彼女はいまにも扇子をへし折りそうな勢いで言葉をまくしたてる。
「私は、皇女の私への侮辱とかはどうでもいいの。別に自分の力でなったわけじゃないから。でもあなたは違うでしょう!?」
「……?」
「自分の力で、自分だけの力でここまで這い上がってきた。王国近衛兵まで昇ってきた。その努力を、見た目や、自分ではどうにもならないことで貶められるのは――――許せるわけがないでしょう!!?」
まるで自分がそう罵られたように。
自分ごとのように立腹する彼女は、皇女ではなく一人の人間だった。
「少なくとも私は、リンデールで半端なリンデール人だと、『なり損ない』だと罵られたとき、黙ってなんていなかったわ。言って後悔させてやるくらいには闘った。そうやって、自分で自分の道を切り開いてきたの」
だから……と、皇女シルヴィアは肩を怒らせる。
「だから、あなたはあなたで、胸を張りなさい! あなたは私の騎士で――――次期国王、王太子ミリウスの騎士なんだから!!」
「!!―――」
横っ面をはたかれるような衝撃に、知らずと目を見開き、知らぬうちに背筋を正していた。
目の前で肩を怒らせる細身の皇女が、なぜかきらきらと光をまとって輝いて、こんなにも眩しかったのかと首を傾げる。
「それは……ありがたいお言葉ですが」
「ですが? 何よ」
「あなたは俺のことを疎ましく思っていたはずでは……」
そのはずだった。
いま思えば皇女相手に随分無礼な、邪険で嫌味な態度を取っていたように思う。
ただ彼女を追い出したい――その一心で、騎士にはあるまじき態度を取っていた。
それなのに彼女は――……、
「そうね。私はあなたのことが好きじゃない。でもね、それ以上に腹の立つこともあるの」
ぴん、と。自分の騎士の胸に指を突きつけて、相手の心臓に言葉を刻み付けるように何度も突く。
「あなた、卑屈な態度はもうやめなさい」
「!!」
「ユリシス。あなた『リンデール人』だと言われるたびに、苦虫を噛み潰したような顔をしてたでしょう」
おもてには、出していないつもりだった。
けれど日々共に過ごすなかで彼女は気づいていたのかもしれない。
「あなたはリンデール人じゃない。でも周囲はリンデール人扱いをする。だからリンデール人として育った私が憎かった……そういう部分もあるのでしょう?」
深い心の奥底を、彼女は覗き見たように言い当てる。
(そうだ……俺は…………彼女が、『リンデール人』だから、憎かった……)
本質的にはレムリア帝国人だとしても。
リンデール人として育ち、そこに人生の根を張る彼女が、憎らしかった。
(自分は…………そう生まれても、そうはなれなかったのに)
リンデール人の母から生まれ、リンデール人の外見に生まれても。母は祖国に自分を連れ帰ろうとはしなかった。
この国に――――捨てていった。
そんな母の代わりに――そんな人生の代わりに――――かの国で、異国人ながらのうのうと生きていた――そう決めつけていた彼女に、抱えきれない怒りをぶつけていた。
すべては――――ただの八つ当たりでしかなかったのに。
「それは…………無礼を働き、申し訳ございませんでした」
「謝ってほしいわけじゃない。そうじゃなくて……!」
「……?」
理解ができず眉間に皺を寄せるしかない自分に、彼女は言う。
「あなたがそこまでリンデール人を嫌うのはどうしてなの? 少なくとも……私から見ても、あなたにはリンデールの血が流れているのでしょう?」
どうしてそこまで怒り、卑屈に自身に流れる血を忌々しげに思うのかわからない、と彼女は聞く。
「それは…………」
礼を欠いた手前、適当に誤魔化すわけにもいかず。
初めて同郷のクリフ以外に、自身の生まれのことを明かす。
(ミリウス殿下は、言わずとも察していたふうなところはあったが……)
この皇女は、それに対しどのような反応を示すのだろう。
なぜか初めて打ち明けた告白に、興味のようなものを抱いた。
「お母さまが…………そうなのね」
同情か、憐憫か。
嘲笑でなくとも、高貴な人間のすることは、いつも優しく惨たらしい。
自分はそうではない立場から、他人のことを見下ろして、自分にそうはなれなかった立場を思い知らせる。
(………………)
何の期待もなく見上げたそこに――――彼女は、皇女シルヴィアはふむ、とただ納得しただけだった。
「…………?」
「ユリシス。先に言っておくけど。私、あなたに同情はしないわよ」
「!」
「同情ほど腹の立つものはないから。私、あれが大嫌いなの」
散々自分も浴びてきたのだと、いまならそう思う彼らの心情もわかるけれど。それでも惨めな気分にさせられるそれを素直に受けられなかったのだと、シルヴィアは語る。
「あなたはお母さまに捨てられたからリンデール人を憎んでいるようだけど…………それはどうだかわからないわ」
「……?」
「言ったでしょう? 前に、リンデールでは、リンデール人らしくない見た目の人間は『色付き』だと蔑まれるんだって」
たしか数日前、彼女がそう、かの国で扱われていたのだと言っていた。
「あの国で銀髪銀眼でない者は、酷い迫害を受ける……それはその見た目の本人も、その家族自身も」
「…………」
「ユリシス。あなた…………子供のころはもっと眼の色が濃かったんじゃない?」
「――!!」
まるで見ていたように、昔の自分を言い当てられて瞠目する。
「ほらね。混血のリンデール人は、大きくなるにつれて色素が少しずつ薄くなる…………そんな話を聞いたことがあるわ」
だからそれに夢を見たこともあったけれど……と、叶わなかった夢を寂しそうに彼女は語る。
「それが本当のことなのか。私だけに誰かがついた嘘なのか。本当のところはわからない。でもあなたが生まれたときにもっと瞳の色が濃かったのだとすると――――あなたのお母さまは、あなたを案じたのかもしれないわ」
「…………」
「あなたを祖国に連れ帰っても、半端なリンデール人『色付き』だと蔑まれる。けれどお母さま自身がこの国に残り戻らなければ、今度は祖国の家族が、国を捨てた裏切り者の家族だと迫害される……。だから、お母さまはあなたと家族を天秤にかけて――――あなたをこの国に残したのかもしれない」
それはもちろん、許されることではないかもしれないけれど。と、彼女は続けながら可能性を語る。
「母親なら、子供を選んでほしかったという気持ちもわかる。でも子供を持つきっかけは……色々だから」
「…………」
子供ができても、相手に逃げられることもあるだろう。
初めは幸せでも、絶望に叩き落とされることもあるだろう。
そもそも初めからが絶望で――望まぬ子だった可能性すらあるだろう。
「私にお母さまの事情はわからない。あなたの本当の怒りもわからない。けど、それでも……あなたのお母さまはあなたを産んで、あなたを育ててくれるところに預けていった……それだけは、確かな事実なんじゃないかしら」
何が正しいかではない。ただ、そこに事実があるだけ。
「私にはこれ以上何も言えないけど。それでも、あなたが卑屈になる理由なんてないと思う。あなたは……立派な騎士なんだから」
シルヴィアは、もう一度とんとユリシスの胸を突き、手のひらで想いを伝えるように心臓に添える。
「あなたは、自分で自分を輝かせることのできる人よ。自分の仕事に――生き方に、自信を持ちなさい?」
まるで不器用な同僚を励ますような屈託のない笑い。
無邪気な笑みを浮かべる彼女に――――淡い光のような後光が差した。
それは廊下の窓から射したただの陽光だったかもしれない。しかし、たしかにユリシスの心臓に添えられた手は熱く――心臓がドクリと脈づく。
「私からは以上よ」
今度は人生の先達のように胸を反らす彼女を――――まじまじと見つめる。
煌びやかな宝飾品とドレスをまとった、由緒正しき皇家の姫君。
けれどその内面は幼く、無邪気で、他人の怒りを自分ごとのように捉える自由さで――――……。
その辺の街角にいる娘と、そう変わらない。
そんな素直な心根で、けれどときに理知的で、物事をよく観察し、冷徹な判断を下し。ときに愛嬌を振りまき、また部下思いで、周囲を気にかけ王宮を正しく導こうとする。
そんな、ただひたすらに真っ直ぐに、王太子の力になることだけを目指す彼女は――――。
それは、自分が求めてやまなかった理想的な王太子妃なのではないだろうか……?
「………………ッ」
思わず、笑みが零れる。
まさか……こんなところにいたなんて。
(気づかないわけだ……)
目の前で、突然の部下の苦笑に目を丸くする彼女を見る。
(あの今とは似ても似つかない妖艶な姿――――あれは、彼女なりの『戦う姿勢』だったんだ)
無作法を厭うこの王宮で、彼女が、彼女なりに見つけた戦い方。
それはとても尊大なようで――ときに不器用で。
彼女の試行錯誤が垣間見えるような……見守りたくなるような、不思議な存在に思えた。
「な、なに……!?」
当惑する彼女に、笑いを噛み殺し。ユリシスは『失礼しました』と、姿勢を正す。
「それじゃ、私は部屋に戻るから」
未だ頭に疑問符を浮かべながら、動揺して部屋のドアに手を掛ける彼女を見送る。
「ええ、ゆっくりお休みください」
そんな彼女を不思議と大らかな気持ちで見送れる自分に驚きつつ――――ユリシスはそっと目を閉じた。
(皇女シルヴィア。彼女は――――俺が思っていたような人ではなかったようだ)
その不思議と胸を温かくする満足感に、静かに、敬服の礼を取る。
そんなときだった――――。
「ユリシス。どうやら彼女とは親交を深められたようだな」
廊下の角から、ゆっくりと姿を現したその姿。
堂々とした長身の体躯を持つ、真の主君。
「はい。殿下のご厚意に感謝いたします」
王太子ミリウスは部下を労うように笑って、そして皇女の部屋へと視線を戻す。
「彼女は……今日も一日健やかに過ごしていたか?」
「はい」
「そうか。ならいい。……それだけが俺の望みだからな」
皇女が何不自由なく、この王宮で彼女らしく過ごせること……。それを望むのは、実に自分が奉じた主君らしい願いだった。
「では俺も彼女の顔を見に行くとしよう」
「はっ」
そう言ってゆるりと目の前を横切っていく王太子 ――ミリウスは。ユリシスの前を通り過ぎる直前、ふとその足を止めた。
「ユリシス」
「はい」
ユリシスが姿勢を正し続きを待つと――――。
「お前が彼女と親交を深めるのも、彼女を主として慕うのもいい。――――だが、」
涼やかな横顔が感情の色を消す。
「彼女が、次期王太子妃であることだけは――――肝に銘じておけ」
淡々と、抑揚なく告げられるその言葉。
それだけを告げて、王太子ミリウスは皇女の部屋へと消えていった。




