第13話 近衛騎士ユリシスの葛藤 1
一冊の報告書を手に、ユリシスは執務室の扉をノックする。
「失礼します」
「……ああ、ユリシスか。よく来てくれた」
執務机から顔を上げ、出迎えの声をかけてくれたのは王太子ミリウス。ユリシスがこの2年、主君と仰ぎ付き従ってきた人物だった。
「こちらが依頼されていた報告書です。皇女殿下の交友状況ですが……いまのところ、殿下に害意を持つような者は現れておりません」
「そうか。ならいい。……彼女だけは、王宮のつまらない政争で傷つけさせるわけにはいかないからな」
人々の理想の王太子と謳われるこの人物が、玉のように手をかけ守ろうとする伴侶――――それが、あの皇女だった。
「…………皇女殿下とは、殿下から見てどのようなお方ですか?」
「? どうした、ユリシス。お前もようやく彼女のことを知る気になったのか」
未来の妃と近衛が険悪な雰囲気を脱しつつあると思ったのか、王太子は明るい表情で報告書から顔を上げる。
「いえ……ただ、普通の令嬢とは随分印象の違う方のようでしたので……」
「っ…! お前も気づいたのか……!」
王太子ミリウスは笑いを噛み殺し、目尻に皺を刻みながらこちらを見上げる。
「彼女は、そうだな……強くて、美しく、そして…………とても愛情深い人だよ」
「………………」
「俺は学生時代に――彼女に命を救われたんだ」
そう言って王太子は眩しげに遠い過去を見る。
「校外演習で竜に襲われたときだった。彼女は生徒をかばって――――竜の前に立ちはだかったんだ」
竜の前に――――。
それがどれほど無謀なことか、ユリシスにだって理解できる。
竜は魔物の王だ。その大きさがどれほどだろうと、一介の教師が一人で立ち向かうなどあまりに無謀――命を捨てるに等しい行為だろう。
「彼女は、彼女の命に関わるような大怪我と引き換えに、俺たちを守りきってくれた。そしてそれを……何でもないことのように微笑ったんだ」
誰も気に病まなくていいように。むしろそんな考えすら浮かばないほど『自然で当然なこと』のように。
「それからだ……俺は彼女のことを目で追うようになって……気づけばいつも彼女のことを考えるようになっていた。けれど彼女は皆の教師で――……」
それ以上は近づけなかったのだと王太子は言った。
「やっとの思いで告白しても、彼女は首を振り俺を遠ざけるだけ。『教師だから』『生徒だから』と、彼女はけして俺を受け入れてはくれなかった……」
だから、と。王太子はまるで遠い日の少年のようにはにかむ。
「いま俺は、この暮らしが――彼女が俺を選んでくれた現在が…………奇跡と思えるくらい幸せなんだ」
「………………」
近衛騎士ユリシスは、一人静かに、先ほどの王太子の言葉を反芻する。
(あの皇女が、王太子の命の恩人だったとは……)
てっきりその色香で王子を籠絡したのだと思っていた。
王国に初めて現れた日に見たあの姿。
異国の装束だという、大きく背が開き肩の剥き出しになった衣装に、とんでもない女が現れたものだと思った。
歓迎会の夜など、その奔放な姿で王太子と長椅子で寝ているのを見たときは、内心怒りで腹の底が煮えたぎったものだった。
(真面目な王太子を誑かす悪女…………そう思っていたのに)
王太子から耳にする彼女は、まるでそれとは真逆の人柄だった。
王太子の求婚を撥ね除け、筋を通し、あくまで自身の職務を貫き通そうとする姿。
そんな姿を、目の前を歩く小さな肩に見ながら、ユリシスはじっとその『主』を見る。
数日前から同僚クリフに代わり、その主――皇女シルヴィアの近衛騎士を務めることになったユリシスは、今日も彼女に付き従い警護にあたっていた。
あの歓迎会の夜以降、帝国風の衣装をやめ、王国風の隙のない王太子妃らしいドレスに身を包むようになった彼女は、その大きな存在感に対しとても小さな肩をしていた。
(こう見ると……普通の町娘だな)
もちろんその美貌を飾る宝飾品の数々など、身を飾るものに違いはあれ、ここ最近のうわべを取り繕わなくなった彼女は、その辺の下町で見かける少し気の強い娘のようだった。
自分の意見は臆せず主張し、だからとって他者を否定することもない。
おそらく勝ち気で他者との衝突も多かっただろうに、不思議と侍女や使用人たちに好かれる愛嬌のようなものも持っていた。
「………………」
「なに、ユリシス。また何か文句でもあるの?」
背後からの視線が気になったのだろう。
シルヴィアは露骨に嫌そうな顔で(意趣返しのつもりなのか……?)こちらを見る。
「いえ……そういうわけでは」
「そう。まぁ別になんでもいいけど。それじゃあ私はここに用があるから。あなたは部屋の前で待っていて」
王宮の一角。皇女が私用で訪れた部屋の前で待機を言い渡され、ユリシスは大人しく指示に従う。
近衛として今回同行を許されるのはここまでだ。あとはこの廊下で、皇女の用が終わるまで警護に当たらなくてはならない。
扉の向こうへと消える皇女を見送り、ユリシスはその前に立つ。
何も代わり映えのしない、粛々と過ぎる職務の時間。
近衛として実直に警護任務をこなしていたとき――――それはやってきた。
廊下の向こうから数人の王国兵がやってくる。
装備から見るに、王族付きの近衛ではなく、王国軍の兵士だろう。
彼らは雑談をしながら、立番をするユリシスの前を通り過ぎ――――そして、何かを見咎めたように足を止めた。
「……見ろよ、コイツだろ。『白人形』」
「あぁ、あのリンデール人のくせに王族に取り入り近衛になった」
「…………」
「リンデール人は金さえ積まれりゃ同族さえ殺るって有名だもんなぁ? 同じ国民同士で殺し合ってりゃ世話ないぜ」
「どうせこいつも金で国を売ったんだろ。……それとも、そのキレーなお顔で、お偉いさんの奥方に色目でも使ったのか?」
ゲラゲラと腹を抱えて嘲笑うやっかみに、内心激しく舌打ちをする。
……が、いまは他ならぬ近衛の職務中。王族の警護役として品性に欠ける行いをするわけにもいかず無視を決め込んでいると――――……。
キィ……と音を立てて扉が開いた。
ユリシスが背後を振り返り道を空けると、開け放たれた扉から一人の淑女が現れる。
「あら……外は随分賑やかなのね」
そうして淑女は――――皇女シルヴィアは、泰然と優雅に微笑んだ。




