第8話 戸惑い皇女と愛しの恋人
氷の騎士ユリシスと不穏な挨拶を交わし合ってから早数日――……。
シルヴィアの懸念は、ますます本格的なものへと変わっていた。
(やっぱり……嫌われてるよね……)
ユリシスがミリウスの騎士である以上、婚約者と会うたび、基本的に彼とも顔を合わせることになるのだが、その度に塩対応というか、なんともつれない反応をもらっていた。
たとえば昨日、朝食の席に向かうため食事室に入ろうとしたときに――……。
先に到着したミリウスが室内にいるのだろう。部屋の前で警護にあたっていたユリシスに朝の挨拶をしたのだが、見事に『聞こえなかったふり』をされてしまった。
(ま、まぁ、向こうは仕事中だしそんなことも……)
少し距離があった気もするし、仕事に集中していて、自分にかけられた声だとは思わなかったのだろう。
そう自分を納得させたのだが……。
次に、午後の所用でミリウスの執務室を訪ねたとき。その部屋の前に立つユリシスに入室の伺いを立てると……。
『殿下は現在執務中ですが』
『その執務に関して耳に入れたいことがあるの。とても急ぎ……というわけではないのだけれど、来客がいないのであれば少し通してもらえないかしら?』
『………………』
ユリシスは長い間逡巡し、そして『とても嫌そうな顔』で、室内のミリウスに伺いを立てにいくと、渋々シルヴィアのことを通してくれた。
(それはもちろん、次期王太子妃とはいえ、ただの皇女が政務に口を出すのを歓迎されないのはわかるけど……)
自分だって別に彼の仕事に口を挟もうとしたわけじゃない。
ただ彼の選ぶ道に情報は少しでも多いほうがいいから、帝国筋から得た情報を、少しでも早く彼の耳に届けようとしただけだ。
(けどそれが、きっと政務を掻き乱す余計なことをしているように映るのよね……)
表だった場面では、あまりミリウスに会いに行かないほうがいいのかもしれない。
「…………はぁ」
顔を合わせるたび、まるで厄介者を見るような目で突き放され、さすがに心労が蓄積する。
思わず小さな溜め息を零すと、それを聞きつけたミリウスがふと振り返って心配そうな顔をした。
「どうしたんだ、シルヴィ。……何かあったのか……?」
そうだ。ふと気が緩み日々の心配事に思考が耽っていたが、いまは夕餉のあとの憩いの時間。
恋人ミリウスがシルヴィアの私室を訪れ二人で過ごす貴重な時間だった。
「ううん、なんでもないわ。ちょっと疲れただけよ」
慣れない王宮生活で学ぶことも多く、少し疲労が溜まっただけ……。
そういうことにすれば、恋人ミリウスは、シルヴィアの言葉を素直に受け取りながら、それでも無理はしないように、と身を案じてくれた。
「何も急ぐことはないんだ。俺にはシルヴィがいてくれる、それだけで十分なんだ……」
長年求めてやまなかった幸せがここにある。
それだけで十分なのだと、シルヴィアをまるごと受け止めてくれる彼に、シルヴィアも寄り添いながら彼の胸に頬を寄せる。
(こんなに優しい人だから……心配はかけたくない)
彼の騎士のことで悩んでいるだなんて。それを知ればきっと彼が傷つき、心悩ませるだろう。
(ミリウスが選んだからには、きっとユリシスだっていい人なのよ。信頼して近衛に置き、将来夫婦になる私にも紹介してくれた人なんだから、間違いなく素晴らしい人に違いない……)
だからこそ、そのような得がたい人物に目の敵にされていることが辛く堪えるのだが、それをシルヴィアはそっと胸の内に秘めることにした。
(これは私の問題なんだから、ミリウスには笑っていてもらいたい……)
自身の心労を誤魔化すように、シルヴィアは微笑んでみせる。
「王太子妃修行で少し疲れたから……いまだけはあなたの『ただのシルヴィア』でいていい……?」
少しわかりやす過ぎたかもしれないが、彼に甘えてみせれば。
「! あぁ、いくらでも。ずっと俺だけのあなたでいてくれ……」
抱きしめられる大きな腕の中が心地いい。
自分より高い彼の体温に、そのまま包まれる感覚はこの世のどの場所より安心する。
だから……シルヴィアも立ち上がるのだ。
彼とのこの生活を守るため、彼にこれからも笑っていてもらうため。
彼の腕の中で養った英気で、明日からも元気に笑って困難と向き合おうと決意する。
そのためには…………もう少しだけ『英気』がほしい。
「ねぇ、ミリウス……大好きよ」
「!」
目を丸くする恋人の片頬に手を伸ばす。
その薄らと赤みを帯びる頬を柔らかく包めば、より大きな手が伸びてきてシルヴィアの手を握り込んだ。
「……俺もだ。シルヴィ、愛してる」
そう言って掴んだ手の内側――手のひらに、愛を誓うように口づけられる。
「………………、手のひらだけ?」
いたずらっぽく首を傾げて口を尖らせれば。
「……お望みであれば、仰せのままに」
瞳に歓喜と執着の色を滲ませた顔が下りてきて――――逃れられないよう腕を取ったまま、背をぐっと抱き込まれた。
「ん……っ」
そのまま奪われるように何度も唇を食まれ、苦しさにぴんと伸びた腕が宙を彷徨う。
けれどそれも逃れることは許されなくて。
気づけばただ拘束するのではなく絡めるように繋がれた指先が、シルヴィアの手の甲を強く握り込む。
「シルヴィ……」
息を荒げたミリウスが、耳元でそっと囁く。
「……愛してる」
「うん……」
執着を見せつけるように、なおも耳元に口づける彼に、空いた手のひらでその頭を抱え込む。
「…………シルヴィ。俺の気のせいでなけば……頭を撫でられているような気がするんだが……」
急な子供扱いにムッとする彼に、
「嫌だった?」
と、問えば。
「………………。嫌……では、ない」
「ならいいでしょう?」
意趣返しだ、と尚もその綺麗な金髪を梳き続ければ。
ぱしり、と今度はその手まで捕まえられる。
そうして今度こそ両腕を封じられたまま、ぽすりと長椅子に押し倒される。
「シルヴィ……あまりいたずらが過ぎると、いたずらでは済まない事態になるぞ」
(!!)
悩ましげな視線で自分を見下ろす恋人を見上げると、シルヴィアは息を呑む。……そして、
「じゃあ、もし私が『それでもいい』って言ったら……?」
「っ……!!?」
挑戦的な瞳で拘束されたまま見上げると、ミリウスは天を仰いで――……。
「……わかった。シルヴィ……、俺の負けだ」
ミリウスは力を失ったようにシルヴィアの上に倒れ込んだ。
「シルヴィのことは大事にしたい……」
愛しい宝物を愛でるように、ミリウスは恋人の頬を撫で続ける。
――愛されている。
この実感が、何より自分を強くする。
この場所にいていいのだと、踏みとどまれる力になる。
「ありがとう、ミリウス……」
愛しい恋人の額に口づけて、シルヴィアは朗らかに微笑う。
「なんだかあなたに煙に巻かれたような気がするが……」
ミリウスは口を尖らせる。
「あなたがもしそれを望むのなら、俺は我慢も遠慮もしない――それだけは覚えておいてくれ」
「!?」
「そういうものだろう? 恋人とは」
「〜〜〜〜っ!」
振り回したつもりが、振り回される。
そんなやり取りひとつが胸を掻き回し、愛おしい。
広い部屋の小さな長椅子で、二人笑顔で笑い合いながら。
シルヴィアは今日もこの人を好きでよかったと実感する。




