第5話 揺れる瞳と幸せの色
「シルヴィ」
その夜、ミリウスが私室を訪ねてきたとき、シルヴィアは『ん?』と、間の抜けた声で振り返った。
「何をしていたんだ……?」
「あ、え? あ、あはははは――」
「後ろに隠したのは氷菓子に見えるが……」
「!!」
いたずらを見つかった子供のように肩を跳ねさせてシルヴィアは謝る。
「ごめんなさい。その…歓迎パーティーじゃあまりご飯が食べられなかったから……それで……」
密かに食べたいと思っていた氷菓子を、侍女に頼んで厨房から分けてもらっていた。
「それならそうと言ってくれれば……」
婚約者ミリウスは、恋人の奇行にも今更目くじらを立てることもなく、隣の長椅子に腰かけると、侍女を呼ぶ。
そして『温かいスープも持ってきてくれ』と、更なる気遣いを見せてくれた。
「だって、新しい王太子妃が食い意地の張ってる皇女だった、なんて噂が立ったらあなただって嫌でしょう?」
「俺は別に健康的でいいと思うが……」
そうだった。彼はいつも、シルヴィアが美味しそうにご飯を食べるのを、幸せそうな目でただただ見つめていた人だった。
「でもやっぱり、あなたの評判に関わるようなことは駄目よ。あなたには『理想の王太子妃を貰った、国民自慢の王太子殿下』でいてもらいたいし……」
そう言うとミリウスは、
「俺は十分あなたを得られただけで幸せ者なんだが……」
と、困ったように眉尻を下げる。
「それで、今夜はどうしたの?」
紳士同士の社交会を終えるなりこちらに直行しただろう恋人に、シルヴィアは疑問を投げかける。
歓迎パーティーでは『帰って彼を待たなくては』と言って出てきたが、まさか本当に部屋まで来るとは。
いくら慣れているとはいえ、社交で疲れているだろう彼を窺うと――――。
「あなたが部屋に戻っているか……心配で……」
「!?」
(まさか王宮入り初日で、浮気を疑われてる……!?)
心外だ、と暗に目で訴えれば。
「すまない。あなたを信用していないわけじゃないんだ。ただ――――あなたは魅力的だから」
「……」
「ほかの誰かがあなたに懸想しないとも限らない――」
どうやら私の恋人は、相当に過保護らしい。
「大丈夫よ。私はあなたの婚約者としてここに来たんだし。もしそんな人がいても、まさか王太子殿下の婚約者に手を出すなんて――――」
「だが」
ミリウスはもどかしそうに拳を握り締める。
「あなたは、どれほどの面を俺に見せてくれている――……?」
「?」
「あとから社交会に来た男たちが言っていた。『新たに来たレムリア皇女、彼女ほど妖艶で美しい令嬢を見たことがない』――と」
「!!」
「俺の目に映るあなたはいつだって可憐で、強くて、美しくて――――。『妖艶』などと形容する姿、俺は目にしたことがない――――」
ミリウスの戸惑うようなもどかしげな感情が、その揺れる空色の瞳には映っていた。
「それは…………」
恋人のまっすぐな眼差しで見つめられて、シルヴィアは渋々歓迎パーティーでの一幕を白状する。
次期王太子妃として、王宮の秩序を守るため仕方なかったのだと。王太子妃の座を狙われて、ついムキになってしまったのだと。
「………………」
それを聞くとミリウスは沈黙して――――。
そして次の瞬間、隣の椅子から婚約者の腰を抱え持ち去ると、自分のいる長椅子の膝の上に抱きかかえた。
「!? !!??!?」
「シルヴィ……」
そうして甘く耳元で囁く。
後ろ抱きにされたこの状態では、彼の顔は見えない。
ただ自分を愛おしげに抱く腕と、甘く低い声音だけが耳に滑り込む。
「あなたが自分から婚約者の立場を守ってくれるなんて……」
感激したように抱きすくめられる。
そうして彼が寄りかかる甘い重みを感じながら、シルヴィアはふとそれに気づいた。
「ミリウス…………もしかして、酔ってる?」
「ん?」
と甘い微笑みを浮かべる彼を肩越しに見上げるが、そんな彼からは昔は嗅ぐことのなかった甘い酒の香りがした。
初めて出会ったころはまだ学生で、二つ年下の彼からは、いつも清涼な学生らしい香りか、シルヴィアが好きな紅茶の爽やかな匂いがした。
そんな彼が3年の歳月を経て21歳となり、酒を愉しむような年齢になっていたことに驚く。
(当たり前のことなんだろうけど……)
大きな腕や低くなった声に、なんだかそわそわと落ち着かない。
「酒にはそれほど弱くないつもりだったんだが……」
訥々と語りながら、彼は幸せそうに恋人の肩に顎を置く。
「つい、飲み過ぎた。これからずっとあなたといられると思うと嬉しくて……」
腹の前で交差していた腕が、大事な宝物を抱きしめるように緩く引き寄せられる。
「シルヴィ」
甘くとろんとした瞳が、自分を呼ぶ。
その声に応えようとして…………。
「っ」
体を捻った瞬間、バランスを崩して二人して長椅子に倒れ込んだ。
とさり、と長椅子の柔らかなクッションが背中に沈むのを感じながら、同時にシルヴィアを庇うように手を突いた彼の体が、ゆっくりと重力に従い落ちてくる。
倒れたシルヴィアに覆い被さるように下りてきた体は、シルヴィアを腕の中に閉じ込めて満足げに微笑むと、とさり、とその横に落ちる。
そうして長椅子に横になりながら、腕の中に婚約者を抱え込むと、彼はゆっくりと目を閉じた。
「ミリウス……?」
幸せそうに肩を上下させて、穏やかな呼吸を繰り返す彼の瞼は閉じたまま。
しばらく見つめても変化のない安らかな寝息に、シルヴィアは密かに息をつく。
「……舞い上がりすぎよ」
それほど彼に想われていることが嬉しくて、くすぐったくてしょうがないけれど。
その分自分も、彼に想いを返していけたらいいと思う。
しばらくしてスープを手に戻ってきた侍女ベラがぎょっとするのに笑いをひた隠しながら、シルヴィアは恋人の腕の中で呟く。
「きっと疲れてるだろうから、もう少し寝かせてあげて。それで起きなかったら近衛の方にでもお願いしましょう。……スープはその後でいただくわ」
そうして自分もまた、ゆるりと瞼を閉じる。
恋人の腕の中で温もりを感じるその瞬間は、今まで生きてきたどの瞬間よりも、安らかで、心地好く……愛おしい感覚がした。
*
翌日、午後。
目映い光が射し込む次期王太子妃の私室には、大勢の使用人たちが集っていた。
彼女たちが持ち込んだ色とりどりの衣装は試着ののちクローゼットに仕舞い込まれ、次に日の目を見るのを待っている。
「シルヴィア様、本日のお召し物はこちらが最後になります」
「ありがとう、ベラ。それなら他の子たちはもう帰ってもらって大丈夫よ」
侍女のベラだけを残し、最後の衣装を身につける。
「シルヴィア様……。とてもよくお似合いです」
ほぅと息をつく、普段はあまり感情を見せない侍女の微笑みに、この国の衣装もちゃんと着こなせたのだと実感し安堵する。
「それでは殿下をお呼びしますか? 新しい衣装の着付けが終わり次第、ひと声かけるようにと仰せつかっていますが……」
「ええ、お願い」
彼がどんな反応をするか……。
予想できるようで、けれど確かではなくて……くすぐったい。
(それでも喜んでもらえるといいのだけど……)
シルヴィアは窓辺に立ち、美しい庭園を眺めながらその時を待つ。
「シルヴィ、失礼する――――」
そうして部屋の扉をノックする音とともに、彼――婚約者ミリウスは現れる。
そしてシルヴィアがゆっくりと振り返ると――そこには、くしゃりと幸せに顔を崩したミリウスがいた。
「とても……とても綺麗だ」
「ありがとう」
引き寄せられるように傍に寄る彼に、最後の一着のドレスで柔らかに微笑む。
この国の王太子妃らしい長尺のドレス。
それはゆるりと身を翻せば、淑やかに足もとで揺れて、爽やかな春風のように場を彩る。
たっぷりとしたドレープのスカートも。
胸元を彩る、控えめな宝石も。
耳元に揺れる、淡い星のようなピアスまで。
すべてに宿るのは、春風が高く舞い上がるように澄んだ空色だ。
「私の一番好きな色なのよ」
その言葉に、百の言葉以上の愛を込めて。
彼にも伝わればいいと……願いながら。
ゆっくりと……目尻に涙を浮かべる彼の頬に手を伸ばす。
「あぁ……俺の…瞳の色だ」
くしゃりと、もう一度彼の顔が幸せに崩れるのを、何よりも幸福に感じる。
愛されていると、彼の一番心の深い部分にいさせてもらっていると実感する。
「あなたも……気に入った?」
愛する人の、大好きな瞳の色に包まれて。
それを何よりの幸せだと思ってしまう自分を――ミリウスも気に入ってくれればいいと願う。
「…………聞くまでもないさ」
頬を包み返すように手が伸びてきて、こつん、と無防備な額と額を突き合せる。
「シルヴィ――――。誰より、何より……世界で一番あなたを愛している」
そうして緩やかに、優しいキスを交わす。
こんな日々が永遠に続いていくことに幸せを噛みしめながら。
二人で、空色の幸せに包まれる。




