第4話 悪役令嬢 vs 悪役皇女
パーティーもお開きに近い時間になると、次々と男性陣は別室の社交場へと移動していく。
そこで新たに飲みなおしたり、領地の課題について議論を交わしたり、女性陣のいる場では見せられない、無邪気な砕けた会話を楽しんだりするらしい。
それは王族であるミリウスも例外ではなく――……
「それでは、シルヴィ。行ってくる」
「ええ、行ってらっしゃい」
同性の、今後政務を共に担うかもしれない仲間たちとの社交に出かける彼を見送って、シルヴィアはひとつ息をつく。
(ふぅ……とりあえず及第点かしら)
会場に据えられた王族用の長椅子で、にこやかな笑みを浮かべながら、理想的な王太子の婚約者を演じる。
(元々市井暮らしが長かったし、皇族としてうちは随分砕けた家柄だから、それっぽく演じてみたけれど……)
これまでの人生で目にした、隣国の女性大公や、今は亡き母――皇妃など、優雅で鷹揚に構えた女性たちを思い浮かべながら、ミリウスに相応しい伴侶を演じてみた。
(どこにもケチがつくようなことはしていないし、たぶんこれで大丈夫なはず……)
何事も最初が肝心だと誰かが言っていた。
つつがなく最初の関門、王国社交界デビューを終えて、シルヴィアは安堵の息をつく。
そこに、カツカツと高らかに響くヒールの音が近づくのを感じながら。
その足音は、男性陣がほとんど消え、淑女たちの最後のお喋り会となっていた会場でカツン、と音を立ててシルヴィアの前で立ち止まった。
「少し、よろしいでしょうか」
その足音の主は、気の強そうなはっきりとした声で、臆することなく皇女に語りかける。
その声にゆっくりと視線を上げるとそこには……
鮮やかな金の髪を美しく巻いた、きりりと眉の吊り上がった橙色のドレスの娘がいた。
「わたくし、メイナード公爵が娘、ヘンリエッタ・メイナードと申しますわ」
彼女は背後にぞろぞろと取り巻き3人を連れながら、まるで決闘でも申し込むように、歯切れのいい声で名を名乗る。
そして長椅子に腰かけたシルヴィアの姿を一瞥して――……、
フン、と鼻を鳴らした。
「あら、皇女殿下。これは失礼いたしました。わたくし、ついマナーのなっていない者を見て、気が立ってしまいましたの」
「…………」
「皇女殿下、皇女ともあろうお方が他国に嫁ごうというのなら、その国の文化をもっと学ばれてはいかがです? いまのあなたのその姿――――まるで下賤な商売女のようでしてよ」
吐き捨てるように語る公爵令嬢は、肩を怒らせてこちらを見下した。
「あなたのような人が王太子殿下の婚約者だなんて……!!」
(それが本音……か)
静かにシルヴィアは目の前の娘を観察する。
年の頃は18前後。取り巻きの令嬢たちも同じ年代なことから、おそらく王都の花嫁学校を卒業したばかりの同級生たちなのだろう。
公爵家の令嬢として純粋培養で、こうあるべきと教えられた規範から外れる者が許せないのだ。
そして…………。
(憎悪に燃えるオレンジ色の瞳――ずっと私のことを見ていたわよね)
歓迎会の最中、王太子の隣で微笑む自分を、ずっとその炎で焼き殺さんばかりに睨みつけていた。
(彼のことだし、王太子に憧れていた令嬢は多いだろうから、その類いだと思っていたけれど……)
この熱量は尋常ではない。
叩きつけるように令嬢は啖呵を切った。
「あなたは王太子殿下に相応しくありませんわ! 破廉恥な方は、あなたに相応しい低俗な殿方にでも嫁げばよいのではなくって!?」
――――――……会場が静まりかえる。
(……まぁ、威勢がいいのは嫌いじゃないけれど)
むしろ格上の相手に堂々噛み付くその姿。
小気味よくて好感さえ覚える。
(でも――――ここは、彼の王宮、なのよね)
彼が生き、彼が統べることになる、彼の庭。
ならばその秩序を乱す者は――――きちんと『指導』しなくては。
シルヴィアは、令嬢の声を聞き、ふむと扇子を口元に添えると――――鷹揚に脚を組み替えた。
自慢のすらりとした長い脚が、帝国風の神殿衣装の裾から伸びる。
「あなたには――この衣装が下賤なように見えるのかしら?」
面白いことを言う、と声色に含みを持たせて、優雅に微笑む。
「この長衣は帝国が始祖、女神レムリアの子孫である我々皇帝家の者がまとうもの。お兄様である皇帝陛下もまとわれる衣を『下賤なもの』――と、あなたは仰るのかしら?」
「!!」
「自国の文化を尊ぶ前に、教養ある公爵家の娘ならば、まずは他国の歴史と文化を学ばれるべきではなくって?」
艶やかな黒髪をさらりと揺らし、周囲からは紅玉の瞳と謳われる深い輝きを放つ瞳で艶然と微笑む。
(まぁ、あなたの主張もわからないではないけれど)
一般的にウィルテシア王国では、体にぴたりと沿うような立体縫製の服が好まれる。
淑女のドレスも例外ではなく、体のラインを最も美しく見せるように、計算と補整の上、細心の注意を払って仕立てられる。
そうして造り上げられた『美』こそが、この国での美しさだ。
対して帝国風の衣装は、その反対だ。
王国より温暖な気候に対応するため、ゆったりとした衣が多く、それは皇女のドレスも同様だった。
むしろ神々の子孫であることを示すため神衣を模したからこそ、純白のさらりとした生地は柔らかく体を包み、いやらしくはないが露出の多い服の裾からは、長い脚や剥き出しの白い肩が見えている。
それを、見ようによっては奔放な姿――と。閨での夜着や、質こそ違うが低俗と呼ばれる下級の娼婦のように見る者もいるのだろう。
(全ては視野の狭さと知識のなさから来るものだけれど――)
かといって、優しく諭すだけでは示しがつかない。
未来の王太子妃兼皇女に盾突くということは、彼の庭の『秩序』を乱すことなのだから。
(『序列』を無視した人間を放置することは、必ずあとで火種になる――)
シルヴィアはスッと目を細めると、扇子を脇に置いて立ち上がった。
カツリ、カツリ、と優雅に歩を進めると立ち止まり、困ったように頬に手を添える。
「この由緒ある神衣が卑猥に映るということは……あなたにはいつもそう見えているのかしら?」
「……?」
「神々の彫像を目にしているときも――卑猥だと?」
「!!?」
ざわり、と周囲がざわついたところで、公爵令嬢ヘンリエッタもまずい事態だと気づいたのだろう。
「ち、ちがっ……そんなことは――!!」
「ヘンリエッタ」
「!!」
「あなたがいままでどのような教育を受けてきたのかはわかりません。けれどあれは――神々の偉容は『芸術』よ」
そっと自身の胸に手を当てる。
「そして神々の偉容が尊いように、神々が創り出した私たちもまた、尊いのです。たとえどんな見目形だろうと、神々が生み出した至高の芸術品。だからこそレムリア皇族は、自身を隠すのではなく、神々に与えられた恩寵を最も美しく見えるよう努めるのです」
玉の肌、と称えられんばかりの陶器の肌も。
瑞々しい黒髪も。
薄く紅を刷いて果実のように色づく頬も。
赤く見る者を惑わせる紅玉の瞳も。
慎ましく小さく隠してしまうよりも、それが最も映える形で世に晒す。
それこそが神々が与えた恩寵への、生への感謝だから。
カツリ、とさらに一歩踏み出す。
「ヘンリエッタ――――……」
説教なら、ここまでか。
けれど未だなお、悔しげに顔を歪めながらもこちらを睨み上げる瞳に、強い意志を見る。
(この子――――ミリウスのことをまだ諦めていない……)
決して折れず、燃えるような意思が、シルヴィアの冷たい瞳とぶつかり合う。
(これなら手加減は無用――か)
むしろ絶対に自分を排除しようと闘志に燃えるその姿。
正面から受けて立つに値する。
なぜなら、どんなに盾突き抵抗されようと、絶対に自分はこの座を下りるつもりはないのだから――……。
(あの人は――――絶対に渡さない――)
低くすっと細めた目で、まだ世間知らずな令嬢の顎を掬う。
そうして頬を撫で、優しく片手で包み込んで、そっと囁いた。
「無知にあぐらを掻き浅慮に相手を糾弾する暇があるのなら、あなたも自分を磨くことに励まれてはどう? 運動不足で代謝が落ちているのかしら……せっかくの肌がくすんでいてよ」
「!!」
甘く、蠱惑的に微笑んで。格の違いを見せつける。
長くすらりと伸びる健康的な手足も。
引き締まり、ほどよく肉のついたメリハリのある体も。
シミひとつない宝石のような肌ひとつさえ、すべては深窓に引きこもっているだけでは得られない――苦難の半生で得たものだ。
すべては、自分の人生をかけて得た結晶。
彼が、その人生すべてを含め『美しい』と褒めてくれたように、この姿で退くことは決してない――――。
「っ!!」
侯爵令嬢ヘンリエッタは気色ばむと、パッとシルヴィアの手を打ち払った。
「あら、気に障ったかしら?」
「~~~~~!!!!」
ヘンリエッタは何事か言い捨てようと口をあわあわとさせると、結局は何も語らず勢いよく会場を飛び出した。
その姿を会場中が見送るなか、シルヴィアはほぅと息をつく。
「あらあら、せっかく良い美容法をお教えしようと思ったのに……」
すでにここにいない令嬢を思うように、残念そうに小首を傾げる。
そして、荒れた場の収拾を図るため、『序列』の重要性を示した会場で、主としての懐深さも披露する。
「けれど……たしかに彼女の言うことも一理あるわね。郷に入っては郷に従え、今後は私も気をつけることといたしましょう。――そうだ、あなたたち」
「!!」
置いてきぼりを食ったヘンリエッタの取り巻きたちを呼び止める。
「後日、あなたたちを私のサロンに招待するわ。そこで先ほどの美容法もお教えしましょう。……よければ彼女にも、声をかけておいてくれる?」
新たなる王太子妃に直接サロンに招待され。
無言でうなずくしかない彼女たちにニコリと微笑むと、シルヴィアは優雅にその場を退席する。
「それでは、殿下のお戻りを待つ準備をしないといけないので」
失礼、とたおやかな手つきで扇子を回収すると退室する。
その背後で、皇女のいなくなったホールでは。
鮮烈な印象を残す次期王太子妃が現れた、と噂されることも知らずに。
皇女シルヴィアの王国社交界デビュー。
その一夜は、こうして幕を閉じたのだった。




