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【番外編】湖畔の一日 後編


 じりじりと、最後の夏の暑さを浴びせる太陽も、いくらか沈み始めたころ。

 水辺ではしゃいでいた先生が、ラスティンに手を振って岸へと戻ってくるのが見えた。


「ラスティン! これで最後にするのよー! ひと泳ぎしたら帰ってきてねー!」


 声を張り上げる先生の後ろ姿に、ミリウスは腰を上げる。



 今日は一日中、ずっと先生を見ていた。

 木陰から、ただ何をするでもなく、のびのびと羽を伸ばしながら自由に水と戯れる先生を眺めていた。


 初めは、その満面の笑みに癒されながら。

 次に、その笑みの先に、自分が共にいられないことを悔やみながら。

 全身で夏を謳歌する彼女の記憶に、自分も夏の日射しのように、強く焼き付きたかった。


 王族という体裁を保つためだけに失ってしまった貴重な青春があるような気がして、ミリウスは唇を噛む。


(先生――……)


 せめて、彼女が水から上がったら、たくさん話をしよう。

 何が楽しかったとか、面白かったとか。たくさん聞いて、今日という日をちゃんと大切な思い出にしよう。


 そんな決意とともに、彼女を出迎える。



「先生……!」


 声を上げると、湖から上がった彼女は、こちらに顔を向けて手を振った。


 その笑みが自分にだけ向けられるものであることに歓喜を覚えながら、駆け寄ろうと足を踏み出す。






 そして――――――




 ミリウスは、気づいてしまった。






 その、想定外の事実に。





 目の前の……由々しき現実に。









「―――― っ!??!」



 水から上がり服の裾を絞る先生は、一人で水際に佇んでいた。

 もうすぐ夕刻の色に染まるだろう、夏の日射しを全身に浴びて。


 わざわざ遊泳用に選んだ黒シャツを――――たっぷりと水気を含んだそれを――――上半身に、ぴたりと沿うよう貼りつけながら。



「!?!?」



 夏物の薄手の黒い生地が、先生の肩に貼りついていた。

 内側に包む華奢な肩をそのまま写し取るように、限界まで水気を帯びた黒が先生に貼りつく。


 華奢な肩から、薄い背中へ。

 背中から続くくびれた腰回りから臍、その下のなだらかな下腹へ。


 そして、その更に上――――顎から伝う水を豊かに受け止める鎖骨の下の柔らかな膨らみ――……。

 水に濡れ皺の寄った生地を引き延ばすように張り出したそれらに、ぴたりと黒い生地が貼りついていた。



「……!!!!」



「おー……すげぇな、あいつ」


 突如した声に振り返れば、隣にはファビアンが立っていた。

 

「!?」

「アイツ…………無駄にこういうときエロいな」

「!!!!」


「あれで無自覚なんだからそりゃ変な男も寄ってくる――――うぉッ!?」


 感嘆とも呆れともつかない声で評する友人の肩をつかむと、ミリウスは全力でぐるりと背後に反転させる。


「おまっ……急に何を――――」

「いいか、よく聞けファビアン」


 ミリウスは友人の耳にはっきり届くよう声を低くする。


「絶っっっ対に、いいと言うまで振り向くなよ?」



 それだけを告げると、手近にあったタオルをつかみ駆け出した。


 砂地を蹴ってただ一人、佇む彼女を目指して――――。

 





「あ、ミリウス――――」


 生徒の姿を認め、顔を上げる彼女の前に立つ。


「あのね――――」

「これをどうぞ」


 言うなりバサリとタオルを広げると、その大きな布地ですっぽりと先生を包み込む。


「????」

「風邪を引くと……いけないので」

「そう……? ありがとう!」


 にこりと微笑む先生はわかっていない。

 その無自覚な姿を見たときに、ほかの――――世の男たちが何を想像するのか、欲するのか。


「………………」

「どうしたの? 眉間に皺なんか寄せて……」

「いえ、気にしないでください」


 本当は言いたい。やめてほしいと。注意できればいいのに。


 けれどそうすると今度は、自分が()()()()()で彼女を見ていたのだと――――自白するようで。


 何も言えずミリウスは黙り込む。



「ミリウスは…………楽しかった?」

「え……?」

「私たちばかり楽しんでたような気がしたから……」


 申し訳なさそうに彼女は顔を曇らせる。


「いえ……ちゃんと楽しかったです。安心してください」


 夏の日射しの中で戯れる彼女を見ているのは、楽しかった。

 傍に居れずもどかしい思いもあったけれど、生き生きと輝く彼女を見ているのは、心の底から幸福だった。


「ただ……もう少し一緒にいたかったな……と」


 思わず本音が零れれば、彼女は目を丸くしてミリウスの手を取る。


「!」

「大丈夫! まだ遅くないよ!」


 そう言って生徒の手を引いて、先生は駆け出す。


 水際まで走ると、先生は『泳ぐのは無理でも、足だけでも浸かってみてよ』と言った。


「それなら……」


 足を浸す程度なら、王族の品位がどうとか、誰にも何も言わせないだろう。


 先生に促され、足を浸した水の中は気持ちよかった。

 冷たい水の抵抗と、足裏の砂地の感触。

 ざわざわとする、知らない新鮮な感覚が、不思議と心を沸き立たせる。


「ね? 楽しいでしょ??」


 隣で満面の笑みを見せる先生。



 きっと楽しいのは――――彼女がいるからだ。


 彼女が隣にいるから――だからこんな些細なことでも。

 日常が、小さな楽しみが、何倍にも、何万倍にも大きく膨れ上がる。



「あの…………先生」

「ん?」

「その…………俺は…………先生といると…………」


 自分は、何を伝えようとしているのか。

 頭では『やめておけ』ともう一人の自分が囁くが、足もとから沸き上がる感覚が、それを止められなかった。


 伝えたい。


 この喜びを、感動を。


 あなたといることで、自分がどんなに満たされるのか――……。



「俺は、きっとあなたのことが――――、っ!!??!?」



 突如ぐらりと傾いた視界に、ずれるように滑る足もとに。

 何かに()()()()()()ように動く足首に、ミリウスは大きくバランスを崩して前方へと倒れ込む。


 眼前で、同じように目を丸くして佇む先生を巻き込みながら――――……。



 盛大な水音を立てて、しぶきが舞い上がった。







         *





「それで? どーしてお前らは二人して濡れ鼠になってんだ?」


 ファビアンの呆れたような説教に、ミリウスとシホは二人して肩を小さく項垂れる。


「特に王子。お前水に入るつもりはないって言ってなかったか?」

「それは…………」


「それはミリウスのせいじゃないの! ラスティンが……」


 ちらり、と視線を投げた先生に、今度は少し離れたところで項垂れていたラスティンが自白する。


「ハイ……俺がやりました。ミリウスがようやく湖で遊ぶ気になったんだと思って…………水中から近づいて……」

「それで足首を引っ張ったわけか」

「ハイ…………」


 腕組みをしたファビアンは、ラスティンの耳を引っ張るとそのままどこかへと引き摺っていく。

 途中『お前は小僧か? 相手が怪我をするとか考えなかったのか?』と、まるで母親のような説教が聞こえてくる。


「…………」

「…………」


 ミリウスは、残された先生と顔を見合わせる。

 彼女も自分もずぶ濡れになってしまったが、不思議と悪くはない一日だった。


「…………楽しかった?」


 おそるおそる尋ねる先生に、ゆっくりと頷く。


「ええ、とても」

「よかった……!!」


 先生は両手を前で組み合わせる。


「じゃあまた来ましょう! 今度の夏に!!」




 今年の、その次の夏――――。



 それは、ここにいる生徒全員が卒業したあとのことだ。



「先生は――――また一緒に来てくれますか? 俺と」

「? もちろん!」


 何の躊躇や勘ぐりもなく答える先生に、ミリウスはまなじりを下げる。



「約束、ですよ」

「ええ!」



 真夏の太陽のように、先生の笑顔が眩しく輝いていた。








先生のナイスバディネタは、

ミリウスと年齢の近い先生がちゃんと大人のお姉さんに見えるように、という理由と、

将来結婚し王妃になった先生が、大人ミリウスの隣に立ったときに見劣りしないように…

という意図があったりします。


あとは先生に救われて彼女の優しさを感じ、ともすれば先生を亡き母の代わりに見かねない状況のミリウス君が、

そうではなく「ちゃんと一人の異性として先生を好きなんだよ」ということが伝わればいいな〜と思いながら書いています。

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