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最終話 ずっと二人で


 春の花が咲き誇る空中庭園を、ミリウスと二人ゆっくりと並んで歩を進める。


 庭園の入り口には人払い代わりに侍女が立ち、ここなら落ち着いてミリウスと話ができそうな気がした。



「…………」


 黙してまだ何も語らないミリウスも、この閉鎖された庭園内ならばシルヴィアが逃げられないと思ったのか、ここに来るまでは鎖のように固く繋いでいた手を躊躇いがちに解くと、いまはシルヴィアをそっと自由にさせてくれている。


(ここじゃなくても、もう逃げられないんだけどなぁ……)


 あれから2年。

 すっかり体力の落ちてしまった自分では、きっと全速力で駆けてもミリウスからは逃げ切れない。

 そうでなくとも、シルヴィアとは違い、男性として立派に成長した彼相手では、きっとすぐに追いつかれ捕まえられてしまうだろうことは目に見えていた。


「………………」


 ちら、と横目にミリウスを窺う。

 そのかつての面影を拭い去るような体躯と、低くなった声色に、まるで別人と歩いているような気がしてシルヴィアは落ち着かない。

 ドキドキと脈打つような鼓動がうるさくて、シルヴィアはぎゅっと目を閉じた。



「そ、そういえば……今日はどうしてここに? 突然だったから驚いて……。それにその格好、まるでこれから決闘や戦でもするみたい」


 あまりに予想外な登場に、だから最初誰だかわからなかったのだと。

 わかった今でも慣れなくて、心臓が早鐘を打つのだと必死に伝えようとしたけれど、シルヴィアが言い終わる前にミリウスから返ってきたのは、さらに予想外の言葉だった。



「この鎧は……」

「鎧は?」

 ミリウスは言いかけたものの、何故か言いづらそうに一度口ごもる。


「この鎧は……もしあなたが皇帝に幽閉されていた場合……あなたを攫って国に帰ろうと……」

「!?」


 知らないところでとんでもない事態になりかけていたことを知って、シルヴィアはさっと青ざめる。



「ま、まさか、ここまで無理矢理押し通ってきたわけじゃないわよね……!?」


 皇宮にはけして少なくない数の衛兵たちが詰めているはずだが、まさかそれら全部をなぎ倒してきたのではと危ぶめば、ミリウスは静かに首を振った。


「皇帝の許可は得ている。それにもしなくても――――誰も傷つけるつもりはなかったんだ」


 そう言ってミリウスは、自らを守る漆黒の鎧に覆われた手をじっと見下ろす。


「この鎧は、剣や弓、あらゆる武器の攻撃を跳ね返す。だから、絶対的な防御力を誇るこの鎧と、あなたがくれた魔法を無力化する魔石いしさえあれば――――誰も傷つけずに、あなたのもとまで辿り着けると思ったんだ」


 ミリウスは静かに語る。

 確かに彼が言うように、彼の着た鎧は立派で、そこらの市場で金さえ積めば手に入る『名ばかりの名剣』程度であれば簡単に跳ね返しそうな気がした。



(さすが王家の鎧。一流の武器でも傷つけられないなんて……一体どんな素材でできているのかしら……?)


 つい昔の自分が顔を出し、初めて目にする超一級品の防具に魅せられてしまう。


(すごく綺麗な黒……。落ち着いているのに艶やかで、一切無駄のないつくりが却って華やかで優美にみえる……)


 それは王が身につけるに相応しい逸品で、装飾性を排し実用性を極めたゆえの機能美の最上ともいえる美しさがあった。



 あまりに理想的な鎧に、シルヴィアはうずうずとじっとしていられなくなってミリウスに尋ねる。


「ミリウス……その……。あなたの鎧、ちょっと触ってもいい……?」

「…………」


 ミリウスが黙して拒否しないのをいいことに、シルヴィアはおそるおそるそっと鎧に触れる。

 立派な胸部のプレートは彼の体温を移してほんのり温かい。

 なめらかな肌触りにシルヴィアがうっとりして、ペタペタと触っていると、ミリウスが鎧に覆われた手のひらでそっとシルヴィアの頬を包んだ。



「あなたは……わかっているだろうか? この鎧は、あなたが俺にくれたものだ……」

「え……?」


 まったく記憶にない告白に、シルヴィアはミリウスと鎧を交互に見つめる。


(うそ……こんな一級品、私なら絶対に忘れない……………………あれ?)


 そう言われ記憶を探ってみれば、このとても印象的な黒が脳裏の片隅にチラついた。


(この深い黒…………どこかで…………)


 強く、強く記憶に焼きついた深い黒。


 その漆黒は、忘れようにも忘れらない――――あの時の――――……。



「!! え!? これって……あの……!? あの、黒竜の鱗なの!!??」



 シルヴィアが倒し、素材として王国に売却し、いつかそれでミリウスの鎧をつくってもらえたらなぁ……と夢見た、あの。



「――あの黒竜の!?」


 こくり、とミリウスが頷く。



 瞬間、ぱあぁぁぁっと鎧が光り出したように見えて、思わずシルヴィアはその鎧に頬ずりをした。


 夢にまで見、いつか一流の職人の手によって仕立ててもらいたいと願ったその鎧。

 仕立てるときはシルヴィアの好きにしていいと言われ、かつての自分は夜な夜な白紙を広げては、そこにありったけの夢や趣味を詰め込んだ。

 その夢の鎧が、気づけばいまここに、シルヴィアが思い描いたままの形で現実となって現れていた。



「~~~~っ!!!!」


「あなたが残した指示書を参考に、リンデールの職人に頼んだんだ。――――そうすれば、あなたがどこかから出てきてくれる……そう思って……」


「…………」


 まんまとその思惑どおり、彼の胸の中に飛び込んでいる自分が言えたものではないが、まるでエサさえ用意すれば出てくる猫か虫のような扱いに、少々不本意になってシルヴィアはジッと彼を見上げる。


 が、それすらもミリウスにとっては幸福なのか、彼は泣きそうに目元を緩めるとシルヴィアの手を取った。



「……シルヴィ」

「!」

「あなたのことは……もう『先生』とは呼ばないことにした」


 シルヴィアの目の前で、ミリウスは繋いだ手を柔く握り直し宣言する。


「そうでないと……俺は永遠に、あなたの『生徒』のままだろうから」


「…………」


「俺は……もうあなたの『生徒』ではいられない。それだけではもう幸せだと思えないようになってしまった」


 はにかむような、あの眩しい笑顔を見せていたあどけない面立ちが、今は凜々しい真剣な大人の男性のものとなってシルヴィアのことをじっと見つめる。



「俺は……あなたの特別になりたい」




 おそるおそる、恐れるように握り締められる両手。




「あなたは――――俺の妻になる」



 決定された物事を告げるときのように、彼は淀みなくその事実を告げる。





 ……予想はしていた。


 正直、彼がここに来た以上、何らかの変化はあるだろうと。

 そうでなくてはあの皇帝あにが、突然彼の入城を許すはずはないと、薄々心のどこかで気づいていた。


 けれど、正面を切って彼の瞳にまっすぐ見つめられながら告げられると……どう反応していいかわからない。

 


 シルヴィアが何も言えず黙っていると、ミリウスはぐっと奥歯を噛みしめ続きを告げる。



「……あなたへの求婚は、帝国の国主――皇帝の許可も得ている。あなたが王国に嫁ぐことで、帝国と王国、両国の民が幸せになる……」


 それはすでにシルヴィア本人がどう足掻いても、逃れられない契約の証――――。

 帝国と王国間で、国主による皇女と王子の政略結婚が成ったという事実だった。



「あなたは……憎んでもいい。恨んでくれても構わない。 一生俺を愛さなくても…………だから、」



 ――もう二度と、俺の前からいなくならないでくれ……。



 そう両手を強く掴み額を押しつけるその様は、どれほど打ちひしがれればこうなるのか――――痛いほどの痛切な彼の悲哀が伝わってきた。



 大きな身体を折って自分に懇願するその姿。


 そんな彼と、彼と過ごしてきたこれまでの時間を振り返ってシルヴィアは――――ぽつり、と呟いた。




「……あのね、ミリウス」



 話しかけると、ミリウスはびくりと肩を震わせる。



「私ね、あなたが思っているようないい人間じゃないよ」



 ……がさつで、適当で。本当は、貴族のお嬢様がするような所作は、意識して気をつけないとできなくて。

 すぐに素が出て、全然皇女らしくもない……。


「先生としてだってそう。私は善人でも、優しい人間なわけでもない。あなたたちを助けたのだって――――きっと。最初は、全部自分のためだった」


「………………」


「私ね。ずっと誰かに助けてもらいたかったの。両親を奪われたときに、リンデールで色付きだって蔑まれたときに。一人で強くなれって……師匠にも助けてもらえなかったときに……。ずっと、ずっと誰かに……守ってほしかった」



 だから、守ったのだ。

 生徒たちを。



「過去の自分のためだったの。昔の自分が泣いていたから……だから守ろうって。今度は同じ思いはさせたくないって。自分で自分を守るために戦った…………ただそれだけだったの」


 過去の自分を慰めるため。

 辛いとき、苦しいときに、守ってくれる誰かがいることを夢見て。同じような境遇の誰かの『楯』になりたいとそう思った。

 見捨てられなかった。


 ただ、それだけだった。



「ごめんね。純粋にあなたたちのためじゃなくて。だから……それを優しさだとか、愛情だとか思っていたのなら、きっと…………後悔するよ。……幻滅する。私はそんなに……立派な人間じゃない」


「………………」



 始まりは、突然の魔法学院教師としての招聘からだった。


 赴任して、彼ら生徒たちと出会って。


 校外演習で出遭った竜と対峙して。


 彼を背に庇い戦ったのだって――――過去の自分なら『そうしてもらいたかった』と思ったから、ただそれだけだった。


 全然、優しい人間なんかじゃない。





「………………それでも」

「?」


 なのにミリウスは、手を強く握り締め、シルヴィアのことを眼差しで強く射貫く。


「それでも――――たとえあなたの中ではそうだとしても。あなたの言うことは、半分正しくない」


「…………何が……」


「どんな理由があろうと。どんな過去を背負おうと。――――誰かのために自分の命をかけられる人が『優しくない』なんてことは……ないんだ」



「……っ」


「俺は、あなたが他人を幸せにする瞬間を何度も見てきた。生徒を、教員を、職員を……街の人を。みなを笑顔に変えるあなたを見て――――その輪の中で、一番あなたの近くに……傍に居たいと、そう思った」



 ――世界で一番、あなたと出逢って幸せだったのは俺だから……。



 そう続けるミリウスに、シルヴィアの視界は熱く歪む。



「シルヴィ。あなたといるだけで俺は幸せになれる。あなたがいれば、未来を望める。あなたがいれば――――……。シルヴィ、あなたはずっと――――俺の光なんだ」



 繋いだ手はそのままに、ミリウスがそっとその場に跪く。

 大きな漆黒の甲冑で、春の花が咲き乱れる庭園で、その石畳に膝を突いて。


 片膝を立てながら、恭しくシルヴィアの手を掲げ真っ直ぐに見つめる。







「シルヴィ。俺と結婚してほしい」



「……!!」



「順番は逆になってしまったが、あなたにもこの結婚を望んでほしい……」





「結婚…………」


 ぽつり、とシルヴィアが呟くと、ミリウスの瞳が熱を持つ。


「俺はあなたをいつだって望みたいし、あなたにも俺を求めてほしい」


「求める……?」


「あなたには――――俺は、『不要』だろうか?」


「っ! そんなことは……!」



 求めて……いいの?と、過去の臆病な自分が顔を出す。



「本当に……いいの? 寂しいとき…… 一緒にいてって言っていいの? 助けてほしいとき……傍に来てって言っていいの? そんなの一度許したら――――際限なく求め続けるかもしれないのに……」


 

 シルヴィアが恐れるように問うと、ミリウスは両目を眇めて……目元を崩す。



「……駄目なはずがない」



 いまにも泣き出しそうに、涙をこらえて。



「あなたなら、いつだって――――……」



 つないだ手を、握り締める。




「あなたがいないと――――もう俺は笑えない」




 くしゃり、と崩れた、ぎこちない満面の笑み。



 きっと久方ぶりの――彼自身、長く、長く忘れていた――シルヴィアの大好きだった笑み。




 自分が――寄り添うことで、幸せになる人がこの世に一人でもいるのなら――――…………。



 シルヴィアはゆっくりと目を閉じて――――そして微笑った。






「それなら…、しょうがないね」



「!!」



「あなたが……私を好きでいてくれるように。あなたのその笑顔を世界で一番好きなのは――――――きっと、私だから」




 ……きっと、そのためならばどんなことでも惜しくない、してあげたいと思ってしまうくらいに。



 きっと自分は――――彼にくびったけなのだ。









「っシルヴィ……!!」




 大きな両手が伸びてきて背を包むと、ふわりと身体が宙に浮き上がる。




「夢じゃないな? 嘘じゃないな?」


「うん」


「シルヴィ、俺と……」



「うん、ずっと一緒にいる」




 軽々と、彼の腕の中に抱き上げられて。


 回転する視界のなかで、春の花たちが満開に咲き誇っていた。


 きらきらと、彼の髪が輝いて。


 大好きな空色の瞳が、大きく弓なりに細められる。



「シルヴィ」

「?」

「……愛している」



 甘えるように、ねだるように。


 そっと彼の整った鼻筋が近づいて――――。



「ん」



 シルヴィアは、初めてそっと触れるようなキスをした。





 長く、長く離れていた間を埋めるように――――何度も。




 初めてで、くすぐったい幸福の時間。




 それらを静かに――――満開の春の花々たちが祝福していた。











長い連載でしたが、これにて二人の物語は一旦完結です。

初めての拙い連載にここまでお付き合いいただいた皆様、本当にありがとうございました。

お楽しみいただけたなら嬉しいです。

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